マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

偉業を否定したい人たち(復元・改訂版)

このブログ、はっきり言ってアクセス数は少ないです。
過疎ブログというやつですね。数日更新を怠ると1日のアクセスが一桁になったりすることもあります。

そんな僕のブログが、何故か5日の夜からアクセス数が急激に増え始めました。(註:引っ越し前のこと。)
5日夜〜6日夜までで250アクセスくらい。普段の10倍以上の数です。
はて何があったのかと思いましてアクセス解析してみたところ、殆どがアメーバブログからでした。

業者にしても数が妙だなと感じたので、思い切ってリンク元へ飛んでみたところ、「クチコミ評判検索」なるページへ辿り着きました。
去年痛いニュースさんで取り上げた記事について少々思うところあって書いた文章があったんですが、その記事がクチコミ評判検索のリンクの中にあったのです。そこから飛んできたということのようです。


それを書いたのは随分前だったので、自分でも殆ど忘れていました。これがいわゆるロングテールというやつかなぁと思ってみたり。
で、自分でも改めて確認しようと思って調べてみたところ、何とその記事を削除していました。(ノД`)

去年の夏頃にこのブログをマンガ中心にしようと思い、マンガと関連が薄い雑文とかをかなり削ったのですが、その中に含まれていたという次第。
訪れてくださった方には申し訳ないことをしたと思います。


で、今回のことから、埋もれた過去ログが思いもしないかたちで日の目を見ることもあるのだなぁと痛感し、且つ改めて考えてみるとその記事にもある程度マンガの話は書いてあったと思うので、これを機に復元してみることにしました。
記憶を頼りに書き直しているので多少は異なっているかと思いますが、意見や考え方は当時と変わっていません。

まぁ正直なところ長いばかりで大したことは書いていないですが、もしご興味がある方はということで。


2007年5月に「痛いニュース」に掲載された記事です。

この記事は大層盛り上がりまして、最終的にはコメント数が7400を超えていました。
知る限りにおいては、元々コメント数が膨大な数になる痛いニュースの中でもトップクラスの数であったと思います。

正直このニュースは驚きでした。
見出しの「人類は月に行っていないと思う人が約2割」というのも勿論のこと、この記事で引用している2chの書き込みやコメントにおいても、少なからぬ人が「行っていない」という説を信じている向きが見受けられたからです。

で、困ったことに「行っていない説」の方々が論拠として持ち出すのは、まぁどこかで聞いたことがあるようなものが多かった印象が強かったです。
最近だと2002〜2003年にかけて『これマジ!?』という番組で「行っていない説」が取り上げられて結構話題になり、それを完全に信じてしまう方が結構出たことがあります。
その中に副島隆彦教授という、本来はアメリカ政治思想研究か何かをなさっている方がおりまして、本来の研究を一旦脇に置いて『人類の月面着陸は無かったろう論』という非常に歯切れの悪いタイトルの著書を出版したりしています(本文のほうはタイトルとは真逆の煮えたぎるような文体です)。

で、『これマジ!?』や『人類の〜』で取り上げられている論拠の数々は、とうの昔に的確な説明が為されたり論破されていたりする訳なのですよ。
それを逐一解説すると膨大な量になるうえ僕自身科学はあまり得意とする分野ではないので、詳細な解説・反論をしている本を1冊挙げておきます。

人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポート

人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポート

これは非常に面白い本なのでお薦めです。


で、個人的にはちょっと違った点にも関心があります。
なぜ「行っていない」という説を信じようとするのかという点です。

騙されているとか知識不足とか、そういう簡単な問題ではないように思う訳です。
仮にその説にこれ以上ないくらいの反論をしたとしても、それに対しての更なる反論を作り上げたり、果ては陰謀論まで持ち出して反論した相手を非難したりということが往々にして起こったりするようなのです。

やはりこれは、現状への不満と(無闇なまでの)自尊心の高さがあるのでしょうかね。
あとは選民思想的考えと言いますか、平たく言えば「この俺はお前等とは違うのだ」といった感覚への欲求ですか。或いは知られざる真実を自分は知っているという優越感がもたらす悦楽。


「行っていない説」を信奉している方々に訊いてみたい、と思っていることがあるのですよ。
「月面着陸はあった」と考えることによって生じるデメリットはあるのか?ということです。着陸していたら何か困るのか?と言い換えてもいいですね。
案外、間違いを認めるのが恥ずかしいとかいうレベルのものではないかと思ったりする訳です。

信じ始めるきっかけも曖昧なものではないかという気がします。
まず背景に「アメリカ気にくわねぇ」とか「俺が産まれる前に月面着陸しているのに現在は宇宙開発が停滞しているのは納得いかねぇ」とか、少なからず感情面のくすぶりがあるんじゃないかと。
で、「月に行っていない説」はそのくすぶりを奇麗に取り払ってくれるのみならず、自分を高いレベルの存在だと思い込ませてしまう訳です。「みんな騙されているけど俺は騙されない」みたいな感じに。
それゆえに簡単に飛びついてしまうのではないかと思ったりします。

で、一度その優越感に味を占めてしまうと、抜け出しづらいと思う訳です。
「少数の知的エリート」みたいな自覚を持っていた人が、「珍説に踊らされた数少ない人」に格下げされるのは我慢ができないのではないかと。
だからこそ、自分の意見を撤回することなく更なる反論を作り出す、と。
殊更に陰謀論を振りかざす人たちって、アポロ計画を始めとするあらゆる宇宙計画に携わったすべての人を侮辱しているようにも思えるんですが、どう考えているんでしょうね。
(これに認知的不協和の理論とかも加わるのでしょうが、更にややこしくなるので省略。)

陰謀論って麻薬みたいなものではないかと思うのですよ。
麻薬が効いているうちは物凄い高揚感かもしれませんが、切れたときの禁断症状(つまり恥ずかしさ)が尋常ではない。
故に次から次へと麻薬(新たな陰謀論)を打ち続ける。
打ち続けた果てに待つものは、いったい何なのでしょうか。


そんな珍説に陥らないためには、やはり科学・歴史への知識とかが重要になってくるのでしょう。
ただそういうのって得てして退屈だったりすることが少なくないので、やはり面白さとかロマンとか憧憬とかが感じられるようなものが理想的です。

それを満たしている(少なくとも僕にはそう思えた)のがこのマンガです。

まんがサイエンス (2) (ノーラコミックスDELUXE)

まんがサイエンス (2) (ノーラコミックスDELUXE)

ロケットが飛ぶ原理から宇宙開発の歴史、ロケットの構造や月面着陸のプロセス、そして未来のロケットの構想に至るまでを非常に判りやすく、ストーリー仕立てで描いています。
作中に登場するウェルナー・フォン・ブラウン(サターンV型ロケット設計者。月面着陸における最重要人物です)が月面に降り立ち、無邪気に嬉し涙を流しつつはしゃぐ姿は、僕にとっては最も感動的な場面でした。


これを読んだあと、是非とも夜空を見上げてみて欲しい。
そこに浮かんでいる月は、それまでより一層輝きを増して見える筈です。
それでも月面着陸を否定する人とは、少なくとも僕は仲良くはなれないですね。


随分と長文になってしまいました。とりあえずはこのくらいで。