マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

編集者について書かれた本

幾つか前の記事で、編集者が書いた本を幾つか紹介しました。

(そういえば『トキワ荘実録』を挙げるのを忘れていました・・・。 )

今回は逆に、「編集者について書かれた本」を幾つか紹介してみます。
これも知っている・持っている範囲内での紹介となるので、実際にはまだまだあるかとは思います。



別冊宝島EX マンガの読み方』(宝島社)

マンガ研究史上、画期的な1冊とされています。
現在のマンガ評論・研究は表現論が中核を担っていますが、その出発点とも言える本です。現時点においてもこれを超えるものは非常に少ないと思います。
残念なことに絶版です。古本屋で見掛けたら(この分野に興味がある方は)迷わず買いましょう。

この本の160〜164ページに「マンガ表現から見た編集者の役割」という記事があります。
写植や自社倫理規定に基づく台詞の変更、背景のアミ指定といった面から、編集者がマンガ作品そのものに影響を与えることが指摘されています。
手塚治虫ロストワールド』の出版社毎の比較検討が非常に興味深いですね。
とは言えこの本が表現論を主に取り扱っている関係で、ストーリーそのものに対する関与については触れられることはありません。


編集者については、評論家で『マンガの書き方』にも記事を執筆している夏目房之介さんが幾つか書かれておられます。
2冊ばかりご紹介しておきます。

マンガ 世界戦略―カモネギ化するマンガ産業

マンガ 世界戦略―カモネギ化するマンガ産業

この本の159〜162ページが「台湾作家と『編集者』」という項で、日本の編集システムの説明とその特異さについての記述となっています。
少し引用します。

日本の編集者は、新人を何人か抱えて育てるのが大きな仕事で、彼らのためにアシスタント先の紹介、アパートの手配、新作ネーム(コマ構成とセリフ、絵のラフなどによるマンガの一種のシナリオ)のチェックとアドバイスなど、徹底的につきあう。「先生」になればなったで、作品設定段階からの共同作業、仕事中の栄養剤や食品の差し入れ、取材の手伝い、同行、原案に近いアイデア出し、はては逃げた作家の追跡や説得と、どう考えても労働基準法埒外の運命共同体のような仕事をこなす。

(160ページ)

そしてこのような密接な付き合いによる信頼関係が、戦後マンガの黄金期を作り上げたのだと指摘しています。
その指摘は恐らくは正しいです。しかしそれが成立し得たのは良くて1980年代初頭あたりまでではないかという印象もあります。
マンガ産業の規模が巨大化の一途を辿る80年代より前、尚且つマンガが右肩上がりに発展していった時期故ではないかという気がする訳です。因みに161〜162ページに参考図書として幾つか編集者が書いた自伝類が挙げられていますが、それらを著した編集者の方々が(現場レベルで)活躍したのは1960〜1970年代です。

例の雷句誠さんの原稿紛失問題の流れで話題になった松永豊和さんの『邪宗まんが道』は90年代が舞台となっています。その頃には既に各所でほころびが出始めていたのではないかという気もします。
この著書が小学館から出版されていることに、何か皮肉を感じます。

些かネガティヴな意見ばかり書いてしまいましたが、158ページにはエージェント・プロデューサー制度についての言及もあり、既にこの時期(出版は2000年)にこの問題について考えていたことが判ります。
またマンガ編集ノウハウの理論化も提唱されています。これは行われてしかるべきものだと考えます。


続けてもう1冊。

この本の54〜63ページに掛けて、「BSマンガ夜話」で『編集王』が取り上げられた際のエピソードが書かれています。『編集王』の回は「BSマンガ夜話」の全エピソードを通じても最も有名な回のひとつです。

編集王』はマンガ業界を舞台に、描きたい作品にこだわるマンガ家と売れるマンガを要求する編集部の対立、つまり作家主義と商業主義が描かれます。
このマンガ家に、(マンガ夜話出演者の)大槻ケンヂ氏が異様なまでのシンパシーを感じて商業主義を弾劾する熱い語りを始めるという事態が発生しました。

編集王』における編集者の描かれ方は相当に戯画化されたもの、との認識がメイン出演者の共通認識です。確かに熱血編集者がマンガ家に暴力を振るいまくる編集者に対し「てめえら人間じゃねえ!!」と叫んだりするくだりはまさしく時代劇や講談の世界です。
破れ傘刀舟悪人狩り』の決め台詞とほぼ同じですし。

ただ先述の『邪宗まんが道』や新條まゆさんのブログで明かされたエピソードを読んだりすると、かなり近い世界なのではないかと思ってしまったりもする次第です。

編集者の世界はまだ謎が多いです(少なくとも傍目からは)。
80年代以降〜現在に至る時期に現場で編集をやっていた(或いはやっている)方の、包み隠さない証言がない限りは全体像は掴めないのかもしれません。
そういう自伝類が出てくるのは、まだまだ先になるのでしょうか。