マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

戦後マンガの出発点、『新寳島』を読んでみた


脳髄を直接殴り付けられたかのような衝撃。
子どもの頃にマンガを読んでいて、そういう体験をしたことがある方は多いのではないかと思います。*1
僕の場合だと、『DRAGON BALL』がそれに当たります。自分がまだ小学生の頃ですが、正月に兄が「ジャンプ」を買ってきました。当時の我が家は諸事情あって経済的にかなり大変で、週刊誌を毎号買うというような余裕はありませんでした。その正月に、どういう経緯か判りませんがたまたま兄が買ってきたそれが、初めて読んだ「ジャンプ」です。


その号の巻頭カラーが『DRAGON BALL』。
防寒具に身を包んだ悟空が、マッスルタワーに突入する回です。


「パンパカパーン!」とか叫びつつ、猛スピードでマッスルタワーへ突き進む悟空。
それに気付き、機関銃で応戦するレッドリボン軍の雑兵たち。
悟空はその銃弾を、全て如意棒で弾き飛ばす。しかもその足は少しも止まることがない。
一瞬で雑兵たちを蹴散らした悟空は、そのままタワーに侵入する。
その様子を最上階から眺めていたホワイト将軍は不敵な笑みを浮かべながら、「最上階まで辿り着くことができるかな・・・?」とか何とか呟いて、その週は引き。


実家に単行本を置いてきているので完全に記憶頼みで、少々違いはあるかと思いますが、大体こんな感じだったかと。
僕の文章力では到底伝えきれないのですが、あまりの面白さにひっくり返ったのです。
数ヶ月後に本屋で『DRAGON BALL』単行本を見つけたときは迷わず買ったと記憶しています。


ドラゴンボール (巻5) (ジャンプ・コミックス)

ドラゴンボール (巻5) (ジャンプ・コミックス)

(この巻ですね。右下に「マッスルタワーの恐怖」とあります。)


・・・と、柄にもなく自分語りっぽいことをしてしまいましたが、年代・作品は違えど、似たような体験はそこかしこで発生していた筈です。
そしてマンガに限って言えば、最大級の衝撃を与え、後々にも大きな影響を及ぼした作品が手塚治虫『新寳島』でありましょう。藤子不二雄A先生の『まんが道』にも、最近だと辰巳ヨシヒロさんの『劇画漂流』にも『新寳島』を読んだ際の衝撃が余すところなく描かれていますし、そのことについて触れられた文章も数多く存在します。


ただ、その作品を実際に読むことはこれまで殆ど不可能でした。
この作品は酒井七馬という方が原作・構成を務め、手塚治虫は作画を担当したのですが、手塚先生にとっては納得のいかない箇所も多かったようでして、後年「手塚治虫全集」が出たときには大幅な描き直しをしています。そしてオリジナルのほうは日本一のプレミアマンガ(確か500万円)になってしまい、『新寳島』はまさしく幻の作品になってしまっていたという次第。
そんな『新寳島』オリジナル版が、2009年2月に遂に復刻されました。


完全復刻版 新寶島

完全復刻版 新寶島

(表示では3月になっていますが、確か先月末には出ていた筈。)


これはどうしても読んでみたかったので、早速読んでみた訳です。
以下、感想っぽい文章です。


誤解を恐れずに言うと、藤子先生たちが受けたような衝撃は、僕は受けることができなかった。
しかしこれは、不可避のことではないかと思います。
『新寳島』が大きな衝撃を与えた要因のひとつに、いわゆる「映画的手法」を大きく押し進めたということがあるかと思います。*2こういう技法に初めて接したのと、技法が定着して当り前になった後で接するのでは、衝撃の度合いが変わるのは当り前と言って構わない筈です。


あと意外だったのが、コマ割りが非常にシンプルだったこと。
基本は3段コマ。1ページにつき横長のコマ3つ。時折見せ場やモブシーンで2コマぶんの大きさになったり1ページ全体を使用した大コマがあったりもしますが、殆どが1ページ3コマです。
川三番地先生のマンガみたいな構成なんですよね。
驚いたことに、横2つに分割されるようなコマ割りが1つも存在しない。戦前のマンガにも、より複雑なコマ割りはあるにも関わらずです。



(旭太郎作・大城のぼる画『火星探険』小学館クリエイティブ2005年復刻版31ページ。オリジナルは1940年。)


上の写真のものは非常に例外的なものかもしれませんが、こういうコマ割りに比べると『新寳島』は実に牧歌的な構成に見えてしまったりもします。手塚先生はコマ割りが非常に独創的という印象を持っていたので、3段コマだけというのは逆に新鮮ではありました。これも原作の、酒井七馬さんの影響(或いは意向)なのかもしれませんね。*3


何か貶めるような文章になってしまっている気がするので書いておきますが、上の『火星探険』に比べても『新寳島』の視点の変化は非常に特徴的です。クローズアップとか場面の切り替えとか俯瞰描写とか過去の場面の挿入とか、恐らくそれ以前のマンガでは滅多に見られないものであったのは確かだと思います。基本的に舞台を観ているような、同じ視点からの描写が非常に多いのが戦前のマンガの特徴かと。


ただ、初めてこの作品に接した僕のような人間も、ある程度は「歴史的な位置付けを知ったうえでの」読み方をしてしまいます。藤子先生と同じような衝撃を受けるのは難しい。
しかしだからと言って、これを読むのに価値がないということには決してなりません。宝の地図を発見してそれを探す冒険に行き、そこで海賊たちと闘ったりターザンが登場したりという展開はやはりワクワクさせられます。また、このマンガに影響を受けた人たちが自らマンガを描くようになり、そしてそのマンガを読んだ人たちが・・・という歴史に思いを馳せるのも楽しかったりするものですよ。


戦後マンガの出発点、『新寳島』。
復刻版であっても少々値は張りますが、余裕がある方は読んでみては如何でしょうか。
因みに当時の出版事情やもう一人の作者・酒井七馬さんについての解説等を収められている副読本「新寳島読本」も滅法面白いですよ。


何ともまとまりのない長文になってしまいましたが、今日はこのあたりにて。

*1:何も子どもの頃に限ったことでも、マンガに限定されている訳でもないですけど、このブログはマンガのことを主に書く場所なので。

*2:最近の研究によると戦前のマンガにもその手法は用いられたりしているようなのですが、些か専門的過ぎてちょっと判りかねるところが多いです。少なくとも、最も意図的且つ効果的な使い方をしたのは手塚先生と考えていいのではないかとは思っています。

*3:因みに『新寳島』は1947年の作品ですが、その数年後の作品(『手塚治虫のディズニー漫画』とか『リボンの騎士』とか)を読むと現在のマンガのコマ割りに近いものとなっています。