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時折マンガの話をします。

果たしてこれはマンガなのか?岡野玲子『イナンナ』

今日、何冊かマンガを買ってきました。
そのうちの1つが、岡野玲子さんの『イナンナ 上弦の巻』です。


イナンナ 上弦の巻 (KCデラックス)

イナンナ 上弦の巻 (KCデラックス)


「モーニング」で月イチくらいで連載されていますね。
今日はこの作品について、何か書いてみようかと思います。


とは言ってみたものの、どこから書き始めるかこれほど迷う作品も珍しい。雑誌で読んでいる方の中にも、どう評価したものか困惑しているという人がけっこういるのではないかと推測しています。
だいたいこの作品、マンガなのかどうかもはっきりしないという摩訶不思議な作品です。


とりあえず、現物を引用させて戴きます。



(『イナンナ 上弦の巻』154〜155ページ。)


全ページこんな感じです。
コマが存在しないのですよ。フキダシすら両手で(もしかすると片手で)数えられるくらいしかありません。
マンガ表現論の出発点と言える名著『マンガの読み方』では、「マンガに必要なものはコマと絵」という趣旨の主張が繰り返し出てきます。*1


その主張に従えば、コマが存在しない『イナンナ』はマンガではないと言えます。もっとも、これまでの定義を覆す、マンガ表現の極北と言うこともできるかもしれません。厳密に定義してしまうと、表現の可能性を狭めることになる気もしますしね。


さて、上の画像だけを見て、どういう話か見当がつくでしょうか。
できるという方は相当な変わり者です。千手観音みたいな女性が踊っているっぽいというのが辛うじて判るくらいではないかと思います。
ではどういう話なのかと言いますと、これがまた説明しづらい。


一言でまとめると、大地・自然・生命の象徴としての女神の姿を描いているのではないかと。
そして『イナンナ』を理解するうえで重要になるのが、「ベリーダンス」です。


ベリーダンスというのは、古代エジプトメソポタミア発祥の踊りとのことです。シュメール神話に登場する愛と豊穣の女神イナンナ(ひいては女神全般)を信仰し、感謝の念を踊りで表現するようになったのが起源らしい(少なくともそういう説が存在するとのこと)。*2そしてベリーダンスは「ヒップから腰、胸へとつながる最も女性らしいラインを強調しながら、女性であることを喜び、謳歌する踊り」(『イナンナ 上弦の巻』初版限定版小冊子4ページ)なのだそうです。


言うならば、女神自身がベリーダンスを踊っているのが『イナンナ』なのです。
千手観音みたいになっているのは、踊りの(恐らくはゆっくりとした)動きをそのまま重ねて描いているからです。本来は「止まった絵」であるマンガで動きを表現するために、このような描き方をしたのだと思います。


更に言えば、コマが存在しないのも同様の理由ではないかと。
女神の動きを最大限魅力的に見せるためには連続性が不可欠だ。そして間白(コマとコマの隙間)は連続性を阻害してしまう。そのように考えたのではないかと推測する次第です。
『イナンナ』は、ぱっと見は非常に混沌として見えます。しかしこのページ構成は、読者の視線誘導とかも相当に考え抜かれた末で描かれたものだと思うのです。


何にせよ、とにかく珍しい作品であることは確かです。
これまでとは違うマンガを読んでみたいという方は、試してみては如何でしょうか。


それにしてもよくこれが、「モーニング」に連載されているなと思います。(´ω`)
編集の人も面食らったのではないかなぁ。

*1:例えば168ページ、220ページあたり。

*2:『イナンナ 上弦の巻』初版限定小冊子4ページ参照。