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時折マンガの話をします。

セリーヌの源流、『海人ゴンズイ』にあり

先月下旬、ジョージ秋山先生の『海人ゴンズイ』が復刊されました。



当時リアルタイムで読んだ少年たちに多大なるトラウマを残していったと言われながら、作中の描写が問題になったとかで長らく復刻されず、幻の一作として篦棒なプレミア価格が付いていました。
今年の始めに『銭ゲバ』がドラマ化された勢いでようやく日の目を見ることになったようです。


早速読んでみました。
まずは概略っぽいものを少々。


物語の舞台となるのは江戸末期(1854年)の、神無神島という島です。
その島は流人の島。つまり何らかの罪を犯した人物が送られてくる場所です。そしてそこに、難破した奴隷船*1から漂流してきた2〜3歳の黒人の子供が流れ着くところから物語は始まります。


島の住人・アズサにより、その子供は「ゴンズイ」という名前を与えられます。
その名前は自分の子供の名前です。アズサは息子が死んでしまったことにも気付かず、虫が湧いて白骨化してもなお彼を背負い続けていました。そして島に漂着した(黒人の)子供を自分の子と思い込み、ゴンズイと呼ぶのです。


いきなりパンチが効いています。この辺りのいろいろな描写が、復刊する際の障碍になったのかもしれません。
そして物語は、驚異に満ちた海の生き物や、冷酷無比な島の監視役・リュウとの、生々しい闘いを軸に展開していく・・・予定だったと思われます。


後半でいきなり路線変更がされるのです。
リュウを含めた島の大人が全て八丈島へ労役で駆り出されます。そして『二年間の休暇』(『十五少年漂流記』)みたいな、何とも健全なお話になるのです。
正直なところ、かなり違和感がありました。ちぐはぐな感じと言いますか。『機動戦士ガンダムZZ』を観たときの印象に近かったです。


二年間の休暇(上) (福音館文庫 古典童話)

二年間の休暇(上) (福音館文庫 古典童話)


子供同士の諍いとかもあるものの、それも解決して和やかな雰囲気となり、なだれこむように終了。
早い話が打ち切りです。
実際、アンケート結果とかは散々なものだったようです。やはり異質過ぎたということなのかもしれません。因みにこれが連載されていた時期の時代背景については、大西祥平さんによる解説で詳細に語られているので、そちらを参照して戴ければと思います。


そしてこの作品、実際に読んでみるとかなり突飛なところも多いです。



ジョージ秋山ジョージ秋山捨てがたき選集第1巻 海人ゴンズイ』(青林工藝舎)84ページ。)


ウツボは少々デカ過ぎやしないかと思ったりもしますし、



(同書170ページ。)


サメも些か空を飛び過ぎのように感じたりもします。
因みにゴンズイを背中に乗せたこのサメ、160〜180ページあたりに掛けてずっと空を飛んでいます。


とは言え、執筆当時のジョージ秋山先生は海には詳しいとのことで、同書収録のインタビューにおいても「あの頃、僕、海に生きていたからね」(314ページ)と仰っているので、実のところ僕が無知なだけに違いありません。



さて、ここでようやくこの記事のタイトルに戻ります。


ゴンズイは、最初は言葉を喋りません。喋らない主役というのも凄いですね。
意味があるのかどうかも定かではない、謎の発声をするのみです。「アチョプ」とか「チャポチュ」とか。
そんな謎の発声のひとつがこちら。



(同書54ページ。)


こちらがゴンズイインパクトありますよね。
そしてこの発声に、妙な既視感がありました。はて何だったか・・・。





!!



そうだ『To LOVEる』のセリーヌだよ!!



それが意味するところはつまり・・・、


セリーヌの「まうまうー」はゴンズイの発声に影響を受けている。
その点に付いては、もはや疑いの余地はない。
矢吹先生や脚本の長谷見沙貴さんが『海人ゴンズイ』を読んでいたのかは判らない。むしろ読んでいない可能性のほうが高い気がする。しかしそれは些細な問題である。



(同書59ページ。)

リュウに闘いを挑むにあたり、自らを鼓舞する目的で「闘いの踊り」を踊るゴンズイである。
もうしばらくすれば、セリーヌもまたこのような踊りを行う筈なのである。
それがいつになるのかは判らないが、セリーヌが「フンムムフンム」と踊り出すその日を、我々は心待ちにしていこうではないか。



※この記事はid:m-kikuchiの妄想が大部分を占めています。充分にお気をつけください。尚、幼女セリーヌが初登場する第128話はまだ単行本に収録されていないため、ToLOVEる☆LOVEさんの記事から借用させて戴きました。

*1:この時代には奴隷貿易は廃止されている筈ですが、まぁそれはストーリー上の都合ということで。