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時折マンガの話をします。

マンガの読み方が変わる。『漫画をめくる冒険』上下巻

さて今回の記事も、前回に引き続き評論同人誌の感想です。
今日ご紹介するのは、ピアノ・ファイアのいずみのさんによる同人誌、『漫画をめくる冒険』です。



(左が上巻、右が下巻です。)


自分が何か書いたところでこの本の凄さが伝えられるかと言うと甚だ自信はないのですが、黙っていても伝わるものではないので微力を尽くしてみようかと思います。しばらくの間、駄文にお付き合いください。


漫画をめくる冒険』はどのようなジャンルに属するか一言で言えば、マンガ論になります。
「マンガ論」と言っても作品論や文化論やらいろいろとありますが、その中では表現論・ひいては基礎原論的な位置付けにあると言えましょう。夏目房之介さんや竹熊健太郎さんらによる『マンガの読み方』や伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』の系譜に位置するものかと。


マンガの読み方 (別冊宝島EX)

マンガの読み方 (別冊宝島EX)

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ


これらの先行文献と比較して『漫画をめくる冒険』が大きく異なっているのは、「マンガ」というメディアをまず「モノ」として捉えたうえで論を展開している点だと思います。
「本」の構造や持ち方から導き出されるセオリー(重要な情報はどこに配置するのがよいか、等)から論を始め、そこから読み手の「仮想アングル」や「見えないベクトル」といった、従来の視線誘導から更に一歩踏み込んだ理論を構築しています。


これまでのマンガ表現論が二次元的(平面的)なものであったのに対し、『漫画をめくる冒険』では三次元的(立体的)にマンガを捉えていると言ってもよいかと思います。


実のところその領域に片足を入れたかのような記事が『マンガの読み方』に既にあったりはするのですが、何でも本格的に足を踏み入れると収拾がつかなくなってしまうとの危惧から手を付けなかったのだとか何とか。



(『マンガの読み方』183ページ。高野文子さんの作品を分析した記事。視線のアングルについて言及されています。)


そして上巻では副題に「視点」とあるとおり、マンガが描かれる際の視点・或いはマンガを読む際の視点について大きな紙幅を割いています。一言で言えば「誰の視点でそのコマは描かれているか?」といったところでしょうか。
更に「キャラクターの主観をどのように表現しているか」(プライヴェート視点)についても精緻な分析が為されています。小林尽School Rumble』と津田雅美eensy-weensy モンスター』が題材として取り上げられていますが、この考察は圧巻です。ここまで読み取ることができるのか!と衝撃を受ける筈です。


2008年初頭に自分も『eensy-weensy モンスター』の感想を書いたことがあるのですが、視点・主観の違いには朧げにしか言及していませんでした。何と言うかお恥ずかしい限り。

下巻でも視線力学に関する考察が続きます。
ですが個人的に最も印象深かったのは、いずみのさんと夏目房之介さんとの対談、並びに終章です。
そこでは「マンガはプライヴェートなメディア・娯楽である」という点と、「娯楽を共有したい・多くの人と一緒に愉しみたい」という、一見すると相反する思いが文中からひしひしと伝わってきます。


そしてそれを繋ぐのが、マンガについて語るという行為なのだ、と。
その行為を行うためのツールが、『漫画をめくる冒険』に書いたものなのだ、と。


上巻の終わりのほうで、曽田正人『昴』が取り上げられています。


昴 (11) (ビッグコミックス)

昴 (11) (ビッグコミックス)


作中においてヒロインの宮本すばるはバレエの舞台で演じることで、本来は(すばるやバレエ界の女王プリシラ・ロバーツのような)一握りの人間にしか視ることのできない("ゾーン"と呼ばれる)世界へ、共演したダンサーや観客をも引きずり込みます。
本来視ないままだった筈の世界を「共有」させたということです。


漫画をめくる冒険』は、宮本すばるのような存在と言えるかもしれません。
マンガが好きな方なら、決して読んで損はない1冊だと思いますよ。