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時折マンガの話をします。

ホセ・メンドーサ讃歌

今回の記事は、タイトルだけで判る方は判ると思いますが、『あしたのジョー』について書きます。
ネタバレ的な箇所もかなりありますのでご注意ください。




これを書くきっかけになったのは以下の記事。

上記リンク先の記事を読み、以前から思っていたことを声にしてみようと考えた訳である。


あしたのジョー』は、力石徹が死んだ後のほうが面白いのだ、と。


あしたのジョー』を語る際に力石のことばかりに焦点を当てる人は、その人自身力石徹の亡霊に憑かれているのではないか、とも思っている。・・・この考えが極論であることは承知している。ある作品等について語る際は、それが存在していた時期(マンガの場合だと連載時期)における社会背景・風潮を踏まえておく必要がある筈だ。どういった雰囲気・空気の中でそれが受容されていたか、という点は作品を理解するうえで不可欠な要素だと考える。『あしたのジョー』連載時には生まれてもいない自分には、この作品を真に理解するのは困難なことなのかもしれない。


だがそれでも、『あしたのジョー』は後半のほうが面白いと思う。


まずは物語の前半を、ひどく大雑把に概略してみる。
犯罪に手を染めて少年院行きとなった矢吹丈は、そこで力石徹と出会い、出所後にボクシングで対決することを約束する(筈)。出所して丹下段平のジムに入ったジョーは白木ジムに入った力石と戦うことになるが、ジョーの体重に合わせるために過酷な減量を行った力石は、その影響と試合で頭部を強打したことが原因で試合終了後に命を落としてしまう。


この「力石徹の死」が大きな衝撃を与えたことは、後の評論等での記述から窺い知ることが可能である。また寺山修司が「力石徹の葬儀」を呼び掛けて多数の参列者が集まったという点も、この衝撃を物語るエピソードだと思われる。*1


マンガの深読み、大人読み (知恵の森文庫)

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(評論の一例としてこちらを。)


そして力石の死に最もショックを受けたのは、矢吹丈に他ならない。彼は自らの拳が力石を死に追いやったという思いから、試合の際に相手の顔面を殴ることができなくなってしまう。
そしてそこからが、『あしたのジョー』の始まりと言っても構わないのではないか。「力石徹の死」を乗り越えるための物語が始まる訳である。カーロス・リベラ金竜飛との戦いを通して、*2力石の亡霊から解放され、また自らがボクシングをする意味というものを掴んでいく。その過程もまた、『あしたのジョー』後半の見どころのひとつと言える。


そしてそんなジョーの前に最後に立ちはだかるのが、ホセ・メンドーサである。
カーロス・リベラを廃人にしてしまうほどのパンチ力を持つ、完全無欠の世界チャンピオン。


そしてこの記事の目的は、ホセ・メンドーサを讃えることである。


そこはジョーの姿を讃えるところだろう!という声が聴こえる気がするが、それはこの物語におけるクライマックスの、一面でしかない。そしてその声は既にかなりの数が存在すると思われる。
しかしホセ・メンドーサを讃える文章はあまり目にしない。彼の姿は、もっと讃えられて然るべきなのだ。


ホセ・メンドーサ戦において、序盤は圧倒的なホセ優勢で試合は進む。
試合以前からジョーにはパンチ・ドランカーの症状が出始めており、試合中もホセの重いパンチを幾度も喰らい続け、ダウンを喫する。そしてジョーは、何度倒されようとも立ち上がる。それはジョーが見出した、自らがボクシングをする理由とも繋がっている。


その理由は、ホセ・メンドーサの理解の範疇を越えたものである。
そして人は、理解できないものに対して恐怖を抱く筈なのだ。
ここからが、ホセを讃えるべきところである。



高森朝雄ちばてつやあしたのジョー講談社文庫版12巻331ページ。)


ある偶然も手伝い、少しずつジョーホセ・メンドーサの形勢は逆転し始める。
上のコマは、12ラウンド終了時のセコンドでのホセの発言の1コマ。前後も含めて引用してみる。

イ・・・・イッタイ・・・・
ジョー・ヤブキハ・・・・
廃人ニナッタリ・・・・死ンダリスルコトガ オソロシクナイノカ・・・・?
彼ニハ悲シム人間ガヒトリモイナイノカ・・・・?


ワタシハ・・・・
チガウゾカバレロ*3・・・・!
ワタシハオソロシイ
故国ニハ愛スル家族ガ
ワタシノカエリヲマッテイルノダ


ジ・・・・ジョー・ヤブキハ・・・・
アノ男ハワタシトハマルデベツノタイプノ人間ダ・・・・!!


(同書330〜331ページ。)


ホセは矢吹丈が自分とはまったく異質のメンタリティを持っていることに気付いている。
そして「まっ白な灰」になるまで戦うという感覚は理解できないということが示されている。彼には守るものが存在するのだ。それと同時に、チャンピオンであるホセ・メンドーサは戦いに勝たなくてはならない。勝って、生きて戻ることが重要なのだ。


そして13ラウンド。ホセはジョーに更なる打撃を繰り出し続ける。
解説者も、最後までは持たないだろうと考えている。
しかしジョーは、ホセに向かってくる。倒れても倒れても立ち上がり、ホセ・メンドーサへと近付いてくる。
沸き上がる恐怖。そしてジョーの目を見たとき、それは頂点に達する。



(同書350ページ。)


我を忘れたホセは、ジョーの背中に両拳を叩き付け、肘打ちを行い、レフェリーの制止を払いのけ、掴み掛かって殴り付け、最後にはジョーを投げ飛ばしてしまう。
プライドをかなぐり捨ててでも、眼前に迫る恐怖を振り払い、叩きのめすために。


そして最終ラウンド。
形勢は完全に逆転している。ホセは精神的に追いつめられた状態である。ラウンド後半にはジョーのパンチを貰い続ける展開になり、肉体的な限界も近付いてくる。



(同書371ページ。)


しかしそれでも、ダウンを喫しようとも、ホセもまた立ち上がるのだ。
既にボロボロの身体になっていて、繰り出す拳も弱々しい。
それでも彼は戦うことをやめたりはしない。守るものが存在するホセ・メンドーサは、負ける訳にも逃げる訳にはいかないのである。そして同時に、戦い以外の全てを捨てることもできないのである。


たとえ相手が何を考えているか判らない、恐怖そのものであったとしても、ホセ・メンドーサは戦い続けた。
全ラウンドが終了し、勝負は判定へと持ち越される。
そしてホセ・メンドーサ勝利が告げられる。そのときの姿が次の画像である。



(同書377ページ。)


髪の毛がまっ白になってしまっている。
科学的にあり得るのかはともかく、恐怖のあまり髪が全て白髪になってしまうという話は度々見受けられる。ホセの体験した恐怖もまた相当なものであった、ということを示している。


まっ白に燃え尽きたのは、ジョーだけではないのだ。


ホセ・メンドーサもまた、まっ白になるまで戦い抜いたのだ。
目の前に存在する「恐怖」そのものと対峙し、15ラウンドを戦い抜いたのだ。
その姿は、より讃えられて然るべきなのだ。



・・・と、このあたりにて今回の記事は締めとさせて戴きます。


あしたのジョー(12)<完> (講談社漫画文庫)

あしたのジョー(12)<完> (講談社漫画文庫)

*1:他に架空のキャラクターの葬儀が行われたのは、ラオウと赤木しげるくらいでしょうか?

*2:個人的にはハリマオ戦はちょっと浮いた印象が・・・。

*3:「カバレロ」はセコンドの名前。