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時折マンガの話をします。

萩尾望都先生のエッセイ集が面白かった。編集者とのやりとりも収録

昨日書店を散策していて、ふと目に付いて購入した『思い出を切りぬくとき』が面白かったです。

思い出を切りぬくとき (河出文庫)

思い出を切りぬくとき (河出文庫)


デビュー40周年を迎え、今なお第一線で活躍しているマンガ家・萩尾望都先生が1976〜1986年に発表したエッセイを集めたものです。単行本は1998年に出ていて、それの文庫版になります。


収録されている内容は実に多岐にわたります。好きなアニメーションや映画の話、小さい頃に読んだマンガの思い出、日本語は論理的なのかどうか、英語の発音について、紅茶の飲み方、お酒の話、ピカソ等々。
この本は3部構成になっていて、「風をおどるひと」と題された第2部は観劇記録となっています。お気に入りの舞台演出家モーリス・ベジャールによる『近代能楽集』『我々のファウスト』、バレエダンサーのミハイル・バリシニコフの公演についての記録ですが、その詳細な観察と分析には舌を巻くばかりです。



ベジャールでいちばん有名なのはこれですか。)


(バリシニコフによる『ジゼル』。)


第1部収録「人の往来」に、萩尾先生がマンガ家志望の方に以下のようなアドバイスをするくだりがあります。

「うーん、あのー、まずあなた自身の感性をね、豊かにしたほうがいいと思うのね、もっと楽しんで、遊んで、本読んだり、バレエ見たり、音楽とか・・・」


萩尾望都『思い出を切りぬくとき』河出文庫版52ページ。)

これらのエッセイを読むと、まさしく上の引用を自ら実践しているのだ、感性を磨き続けているのだなということが判ります。マンガを描き続ける一方、バレエを観るためにパリまで出向き、スペインやロシアにも旅行をし、ミステリー小説を読み漁る。いったいどこにそんな時間があるのかと不思議になるほど精力的に活動しています。そしてそれこそが40年にわたり第一線に立ち続けられた理由なのでしょう。


そしてマンガ好きとして最も興味深く読んだのは、(幾分下世話ながら)マンガ業界の内幕話
ここ2〜3年で度々話題に出るようになった、マンガ家と編集者間とのやりとりが、第1部「のちの想いに」に収録されているのです。まずは第1部収録「しなやかに、したたかに」から引用してみます。『トーマの心臓』連載時のやりとりです。

「いいじゃない!」
 と、I編集は目を細めて言った。
「これを二、三年連載しようよ!」


(中略)


 が、私が三回目あたりの原稿を描きまとめて編集部へ行くと、I編集は青い顔をしていた。
「萩尾さん、実はボクはこんど、編集長になったんです」
「まあ・・・・・・。おめでとうございます」
「それで、『トーマの心臓』はいつごろ終わりますか?」


(中略)


「なんとか、四回くらいで終わりませんか?」
「でも、Iさんが、二、三年とおっしゃったから、長編構成の話を連載しているんですよ。それに、『トーマの心臓』は帰結方式の連載だから、、テーマを最後に出して、そして終わるんです。四回ではテーマが出ません、まだ」
「あのときはそう言ったけど、あなたのアンケートが、最下位なんですよ。トップの人は三百票とっているのに、あなたは、三十票しかとっていません」


(中略)


「それはわかります。でも連載一回目で、その判定をするのは気が早過ぎませんか?せめて一カ月は気長に様子を見て下さい」
「気長に見られるなら、こんなことは言いません」
「気長に見られないんですか?」
「もう大変なんです。編集長になって初めて、どんなに大変かわかりました。今すぐ、うける*1のが必要なんです」


(同書13〜17ページ。)


以上のような、早く終わりにして欲しいという編集サイドとのやりとりが書き綴られています。萩尾先生はこれから面白くなっていく、自分は初の週刊連載だから読者の馴染みが無く票を取れないのは当然という主張を行い、せめてもう一カ月、あと少しと引き延ばしを行います。時期を同じく発売された『ポーの一族』単行本初版が3日で完売という追い風も手伝い、引き延ばしを行っているうちに人気が出てきて全33回を描くことができたということです。
あの名作『トーマの心臓』が、最初は人気最下位だったということが驚きですね。


トーマの心臓 (小学館文庫)

トーマの心臓 (小学館文庫)


また、同じく第1部収録「作家と編集の間には」では、マンガ家志望・新人マンガ家とベテランマンガ家との会話、マンガ家と編集との会話が収録されています。実話とも創作とも、或いはそれを混ぜ合わせたものとも読み取れる内容です。その何れもが何とも堂々巡りの、不毛な印象が強いのですが、その中からマンガ家と編集との会話を引用してみます。

編集X きみの長編の「青春の××」は読者に大好評だった。第二部を描くべきだ。
作家A あれは長く連載しすぎました。もう言いたいことは全部出しつくしたから、続きは描けません。
編集X しかし読者から主人公をもう一度みたいという要望がきている。
作家A でも、もう終わりましたから・・・・・・。
編集X 続きを描かないか。
作家A いや、もうあれは描ききりました。
編集X しかし読者の人気はまだ高い。読者の希望のあるうちは、続けるのがプロだ。
作家A いいえ、作品は描ききったところで終わったほうがいいのです。私は別に、描きたいテーマがいろいろあるので、別な新しい作品を描きます。
編集X きみはもっと読者のことを考えなければ。読者が読みたいのは「青春の××」の続きと、あの主人公なんだ。だいたい、人気があるうちに連載を終わらせて、その理由が描きたいとこは描いてしまったからだなんて、作家の傲慢だ。読者をどうするんだ。たとえたったひとりでも作品に読者がついてるうちは続けるべきだ。


(同書82ページ。)


この「作家と編集の間には」が書かれたのは1983年ですが、別にこれが昨日書かれた文章だと言っても違和感があまり無いですね。


まぁ、この対話では、編集X氏の論理はかなり破綻しています。
「たったひとりでも作品に読者がついてるうちは続けるべきだ」とありますが、それなら打切マンガは殆ど世の中に存在しない筈ですしね。そしてこの編集X氏、しきりに「読者」を盾に取るのですが、ほんとうに読者のことを考えての発言なのか?と訝ってしまう内容だったりします。実は「読者」は「我々」ではないか?とか。・・・まぁ邪推ですよ。


あと、この対話にはもう少し続きがありまして、

編集X "大人気作品"*2なんてのはそうそうでるもんじゃないんだ。先細っても、続けるべきだ。読者が完全にあきて見放すくらいまで、続けるのがいいんだ。それがプロだ。


(同書83ページ。)


というのもあります。
実際に先細りするまで描いて読者に見放されてしまうというのは、作家にとっては相当なリスクな訳ですが、それに対する編集側のフォロー、責任は存在するのかな?とか考えてしまいますね。
「ジャンプ」今週号の『バクマン。』並びにそれに対する記事を併せて読むと良いかもしれません。


と、長々と書いてしまいましたが、実にいろいろな読み方ができる良書です。
興味のある方は是非とも。

*1:本文は傍点付。

*2:本文では「人気」に「ヒット」とルビが振られています。