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時折マンガの話をします。

『ナポレオン −獅子の時代−』で一瞬感じた既視感と、「描く」という行為への熱い思いが凝縮された構図の話

昨日、待ちに待った『ナポレオン −獅子の時代−』新刊が発売されました。


ナポレオン 13―獅子の時代 (コミック)

ナポレオン 13―獅子の時代 (コミック)


13巻ではエジプト遠征とカイロ叛乱、そしてシリア遠征に至るまでの様子が描かれます。
カイロ叛乱においては、同時期にナポレオンやランヌが愛妻の不義を知ることとなり、私怨も加わったことにより女性・子供を問わない苛烈な鎮圧・虐殺が為される場面が、圧倒的な熱量で展開されています。


そしてシリア遠征の見どころは、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの息子・ウジェーヌです。
ジョゼフィーヌの醜聞(浮気)を恥じ、糾弾しつつも自分も全く同じようにハーレムを作って放蕩三昧していた*1ウジェーヌは、母親とは違う一人前の兵士になるために自らシリア遠征の行軍に従事します。
餓えと渇き・寒さで次々と兵士が倒れていく中、その過酷な環境こそが自らを鍛え上げると感じているウジェーヌは、ひとりその状況に悦びを見出していきます。作者自ら指摘しているとおり、見事なまでの変態マゾです。*2


さてそんな見どころ満載、イチオシ作品の『ナポレオン』ですが、あるページを見た際にちょっとした既視感がありました。
カイロ制圧後に、マムルーク追撃を行うくだりです。その行軍に画家・ドゥノンが同行します。
エジプト遠征は単なる侵略のみではなく、学術研究的な側面も持っていました。その集大成が『エジプト誌』であり、この書物が欧州全土にエジプトブームを引き起こすことが、作中でも言及されています。*3


ナポレオンエジプト誌 (25周年)

ナポレオンエジプト誌 (25周年)


そして追撃を行っていたドゼー師団が王家の谷に到着した時。
ドゥノンによる遺跡のスケッチは行軍の遅れの原因にもなっており、兵士たちには疎まれていました。
しかし王家の谷の壮大な建築群を目の当たりにした兵士達は感動に打ち震え、ドゥノンにこの光景を描くことを強く訴えます。
その場面がこちらです。



長谷川哲也『ナポレオン −獅子の時代−』13巻74〜75ページ。)


この75ページの2コマ目、この光景を刻み込まんと鉛筆を振り上げるこの場面に、既視感があったのです。
少し考えて、はたと思い付きました。あの作品の、あの場面だと。



ゴージャス宝田キャノン先生トばしすぎ』211ページ。)


そう、『キャノン先生トばしすぎ』のあの場面に、似ているのですよ。
長谷川先生が読んでいるかどうかは判りませんが、オマージュというやつかもしれませんね。
いちおう個人的見解を書きますと、パクリだとか言うのは頭がよろしくないです。そういう輩はダヴーに一喝されるべきです。



長谷川哲也『ナポレオン −獅子の時代−』13巻145ページ。因みにこの場面は、援軍としてカイロに到着したダヴーが、風紀が緩みきっているフランス軍を目の当たりして一喝する箇所です。清廉潔白・真面目を絵に描いたようなダヴーらしい一言ですね。)



キャノン先生』は、エロマンガを描くという行為に対しての熱く、純粋な思いがページ全体に迸っているような作品です。
そして上のコマは、その情熱が叩き込まれたような1コマです。
翻って『ナポレオン』のコマですが、この場面もまた同様の思いが描かれています。
ドゥノンや兵士達が見たこの光景を、見たときの衝撃を、全ヨーロッパに伝えようとする熱い思いが描かれています。
この構図には、そういった「描こうとする・伝えようとする思い」が凝縮されているような感がありますね。どちらの場面も、目頭が熱くなること請け合いです。


という訳で、今日はこのあたりにて。
読もう!『ナポレオン −獅子の時代−』!

*1:半人前故に任務を与えられず暇を持て余していた、とのこと。

*2:13巻211ページ、「ビクトル対談」参照。

*3:『エジプト誌』は西洋からの視点であり、西洋が東洋を支配する構図云々といった批判を思想家エドワード・W・サイードが『オリエンタリズム』で行っていた気がしますが、まぁそれは別の話ということにしておきます。