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迷える天才の自分探し:羅川真里茂『ましろのおと』

先日、羅川真里茂さんの新作『ましろのおと』1巻が発売されました。


ましろのおと(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

ましろのおと(1) (講談社コミックス月刊マガジン)


赤ちゃんと僕』では少年期〜思春期における心理の機微を、『ニューヨーク・ニューヨーク』では同性愛という題材を、『しゃにむにGO!』ではテニスに情熱を傾ける少年たちの姿を、何れも真正面から描いてきた羅川真里茂さんが、次の題材として選んだのは津軽三味線です。
長いこと描きたいと考えていたテーマであるとのことです。



背表紙の上部がまた凝っていますね。出版社・レーベルのロゴが描かれるのが通例ですが、この単行本には津軽三味線のシルエットが描かれています。これは非常に珍しいケースと言えるでしょう。出版社側としても推している作品、ということかもしれませんな(個人的な願望が混じっています)。



この物語の主役となるのは、津軽三味線奏者(とは言っても高校二年。そして大会とかにも出ていないのでこの時点で「奏者」と呼べるのかは疑問)の澤村雪です。雪は祖父を師として演奏の腕を磨いてきましたが、その祖父が亡くなります。そして祖父は亡くなる間際に、自分がみっともない音を出しているのに気付くまで三味線を弾くなと言い遺します。自分が弾く音を見失い、そして周囲の環境にも息苦しさを感じていた雪は、半ば逃げるように東京へとやってきます。
そしてそこで出逢う人たちとの関わりを通じて、自分の音を探し始めていくのです。



身も蓋もない言い方をすれば、この物語は自分探しです。
ただ(笑)が付くようなタイプのものでは決してないので、その点はご安心戴ければと思います。ご一読して貰えればお判りかと思うのですが、雪は津軽三味線の演奏に関しては天才的な才能を持っています。しかし「自分の音」が何なのかが判らない状態になっているという状態。つまりは迷える天才の自分探しな訳です。そしてその「天才の」という箇所が、物語に独特の味わいを付ける要素となっている。


まず天才ならではの思考と言いましょうか、基本的に「自分が三味線をどう弾くか」ということが、雪にとって最も重要です。殆ど総てを占めていると言っても過言ではないかもしれません。



羅川真里茂ましろのおと』1巻151ページ。)


「自分が好きで弾く以外 興味ねぇ!!」と明言しています。
そして他の人間の評価とかへの関心は限りなく低い。



(同書184ページ。)


その演奏が上手か下手かという周囲の評価ではなく、あくまでその人独自の音が出せているか、ということが重要なのだと考えていることが窺える台詞となっています。(因みに上のコマ、雪が話し掛けている相手は雪の兄・若菜です。雪は若菜に対し、若菜は自分の音を出すことが出来ている、と伝えようとしています。)
しかしそのような境地に辿り着けないのが、天才とそうではない大多数の違いとでも言いましょうか。



(同書180ページ。)


1つ前の引用したコマは、この場面での若菜の苦悶を受けての返事になります。若菜は雪に合いに上京する直前、津軽三味線の全国大会に出場しています。若菜はA級で3位になるほどの腕前なのですが、同郷かつほぼ同年代で、準優勝となった田沼総一の実力を目の当たりにし、才能の限界を認めざるを得ない。
自分は自分の演奏をするだけ、というところには辿り着けない訳ですね。他者を意識してしまう。
それは田沼総一の妹で、雪の同級生でもある舞にも言えます。



(同書157ページ。)


時期的には(恐らく)数年前の回想となります。
父親に認めてもらうためにも、是が非でも雪に三味線の腕前で勝利したい舞。しかし雪は大会とかにまったく関心がないので出場すらしない。舞は勝負すらできないことに苛立ち、雪はそれを強いてくる環境が息苦しい。
この価値観のズレが、物語に深みを出しているように感じます。


そしてこれがまた面白い点なのですが、自分が好きで弾く以外興味ないと(恐らくは少なからず本心から)言っていながらも、実のところ雪が納得できる演奏をしているのは「多数の観客(或いは見物人)がいる場所」での演奏だ、という点ですね。




(画像上:同書101ページ、画像下:同書169ページ。)


上はTrack0(第0話、連載前に掲載された読切版)で、訳あってライブの前座として「じょんがら節」を演奏している場面、下は母親・梅子に強引に拉致(?)されて下宿先(商店街のど真ん中)に連れて来られた雪が、梅子の伴奏で「津軽小原節」を演奏して場面です。それぞれの場面において、演奏が終わった直後、ライブの観客や商店街の人たちから、惜しみない拍手・賞賛の言葉が送られるのです。
因みにライブで「じょんがら節」を弾く場面は86〜102ページあたりまでになりますが、コマ割りや色遣い・集中線の使い方といった技巧を駆使して「じょんがら節」のリズム・音の流れを表現しようと試みています。1巻での最大の見せ場の一つと言えましょう。そして梅子のエキセントリックなキャラクター造型が秀逸です。



と、些かまとまりに欠けますが、長くなってきたのでこのあたりで止めておきましょう。
12月に早くも2巻が発売予定とのことですが、話が大きく動き出すのは次巻からの模様です。雪が「自分の音」を探し求める物語、今後にも期待です。



(同書202ページ。)


1巻の時点ではまだ殆ど物語に絡んでいない、ヒロイン格(と思われる)2人にも注目ですね。
右は雪が転校してきた高校で、一人で津軽三味線愛好会をやっている前田朱利(雪とは同じクラス)。
左は朱利の友人で、どうやらゲームオタクらしい山里結。
個人的には結に注目しています。何と言いますか、基本的に斜に構えたような、一歩引いた冷笑的なスタンスで物事に当たるタイプとして結は描かれています。そんな結が雪の三味線に影響されて次第に夢中になっていく、ベタかもしれませんがそんな展開を読んでみたい気がします。たぶん黒髪ロングですし。


という訳で、今回はこのあたりにて。