マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

いつになったら「タイトルに偽りなし」になるのか?と思わせる作品

※幾つかの作品の内容について言及しています。ネタバレを避けたい方はご留意ください。


最近は忙しいこともあり、深夜アニメを観る本数が減っています。
そんな中、今期最も楽しみにしている作品が『魔法少女まどか☆マギカ』です。



キャラクター原案が『ひだまりスケッチ』の蒼樹うめさんでありながら、脚本を担当するのがかの虚淵玄氏で、愛らしいキャラクターと視聴者を戦慄させるようなハードな展開との落差が魅力のひとつと言える作品でありましょう。


さてそんな『まどか☆マギカ』ですが、現時点(2月9日)で放映したのは5話の時点で、未だ主役のまどかは魔法少女にはなっていません。『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジですら第1話でエヴァ初号機に載っていた筈なので、まどかの逡巡は昨今のマンガ・アニメにおいてはかなり異例と言えるやもしれません。
果たして何話目でまどかは魔法少女になるのか、それも気になっている点のひとつです。


いつ、魔法少女になるのか?そう思いつつ視聴する訳ですが、やはりタイトルというのは作品において重要な要素となります。故に、タイトルの意味はその作品の早い段階で判るものだったり、何らかのキャラクター名がタイトルに使われている場合は早々に活躍する機会があったりするものです。
しかしその真逆を行くような作品というのも存在する訳です。
今回は、これまでに自分が読んだ作品の中から、とりわけ「タイトルに偽りありではないか?」と感じさせてくれた作品を2〜3作ご紹介します。


わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)

わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)


まずはこちら。楳図かずお先生の大傑作『わたしは真悟』です。
1人の少年と1人の少女の、あまりにも純粋な愛と、それがもたらす奇蹟が描かれる作品です。ラストシーンを読んだ際の衝撃は今も記憶に新しく、小賢しい理屈など易々と吹き飛ばす感動がそこにはあります。
そしてこの作品、自分が読んだのは文庫版の全6巻のものですが、タイトルの意味が明らかになるのは確か3巻です。確か1年半くらい連載が続いた段階、そこでようやく判るのです。最初はまったくタイトルの意味が掴めないだけに、それが明かされた際の感動は大きかったですね。
これは機会があれば絶対に読んで欲しい作品のひとつです。


そういえば、つい先日読んだ『洗礼』も、中盤まではまったくタイトルを連想させる要素がない作品でした。


洗礼 (1) (小学館文庫)

洗礼 (1) (小学館文庫)


これもお薦め。
身近な存在が恐怖の対象となる、というモチーフを度々描いてきた楳図先生の、到達点とも言える作品かと思います。


惑星ロボダンガードA(エース) (秋田文庫)

惑星ロボダンガードA(エース) (秋田文庫)


さて上では「謎だったタイトルが明らかになった衝撃」の好例を示したつもりですが、次に挙げるのはタイトルが残念な結果になってしまった(と個人的に感じている)例です。
松本零士先生の『惑星ロボ ダンガードA』でございます。*1


自分ももう20年くらい前に読んだきりなので、大雑把且つ間違いが多くある可能性があるのですが、簡単に概略を書いてみます。
確か、70万年だかに1度だけ地球に接近する惑星・プロメテに行くのが目的の話です。プロメテは楽園のような地で、大江戸博士という人物が中心となりそこへ向かう計画が立てられるのですが、プロメテの独占を目論む悪の総統・ドップラーと戦うことになる。そんな話です。


確かプロメテの周期は70万年だったかと思うのですが、この竹を割ったような時間設定は、松本零士先生の味ですな。昨年封切られた『ヤマト』劇場版に併せて発売された単行本も、沖田艦長とかの1000年後、という豪快な時代設定になっていた筈です。


それはそれとして、マンガ版の『ダンガードA』なのですが、最終話の最終ページまで出番がないのですよ。誰とも戦うことなく、最後に立ち姿だけを見せて完!なのです。
初めて読んだ際は、それはもう狐につままれたような気分に陥ったものです。


何と言いますか、松本零士先生の作品は、アニメ版のほうが見応えがある作品が多いという珍しい方だと思います。仮説というか憶測に近いのですが、アニメの放映時期に合わせるかたちで強引にまとめるからかもしれませんなぁ。『ヤマト』のマンガ版もまるで打切のような終わり方でしたし。


と、まとまらないままに、今日はこの辺りにて。
まどか☆マギカ』はどのようにまとめるのか、期待しています。

*1:あくまでここではマンガ版の話です。アニメ版はかなり内容が異なる模様。