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『草子ブックガイド』ガイド

先月下旬、玉川重機『草子ブックガイド』を購入しました。


草子ブックガイド(1) (モーニング KC)

草子ブックガイド(1) (モーニング KC)


限りなく簡単に説明してしまうと、「主役の草子が本を読み、その感想を伝えることで、彼女の周囲に何らかの影響を与えていく話」です。
しかしこのような説明は、珠玉の逸品と言えるこの作品の魅力を、欠片ほども伝えてはいない。という訳で、今から『草子ブックガイド』の感想じみた文章を綴ってみようかと思います。



まず作品の内容について触れる前に、外堀から埋めていこうかと。
作品の描き方から、そして装丁そのものからも、作者である玉川重機さんの「本」に対する強いこだわりを見て取ることができる。



これは表紙カバーです。半透明の(向こう側が透けて見える)材質で、やや灰色掛かっている。詳細は追って書きますが、主役である草子は、決して幸せとは言い難い境遇です。それを反映したかのような、ややくすんでいるかのような色合いです。



それに対し本体に描かれるのは、虹色にきらめく草子のシルエット。彼女の内面を、本の世界に入り込んているときの心境を代弁しているかのような、鮮やかな色合いが表紙カバーと対照を為しています。



そして本体にカバーを掛けた状態がこれ。
本体の鮮やかな色合いが透けて、淡く浮かび上がっている。
もしかすると巻を追うごとに、あたかも草子の周囲の環境を反映するかのように、彩りは鮮やかさを増していくのかもしれない。そんな想像を掻き立てる造本と言えましょう。
いぶし銀の魅力を放つ装丁です。



さて装丁のみならず、作中の描写からも、作者さんのこだわりと思しきものが窺えます。
どのページでも構わないので、この本のお持ちの方はページを開いてみて欲しい。
持っていない方もいらっしゃるかもしれませんので、暫定的にこちらを挙げてみることにします。



(玉川重機『草子ブックガイド』1巻116ページ。)


少々ピンぼけしているのはご容赦の程を。上の場面は、この作品の主要な舞台となる古書店「青永遠屋」で、草子が在庫整理の手伝いをしている箇所です。大量の蔵書が、2階の本棚まで総て埋め尽くしているのが描かれています。実に緻密に描き込まれた、密度の濃い画面であることがお判りかと思います。
そして、お判りでしょうか?
このコマには、スクリーントーンが用いられていません。


いや正確には、『草子ブックガイド』全篇を通じて、スクリーントーンはまったく用いられてはいないのです。
細やかな線やカケアミ線を駆使して、色の濃淡をすべて表現している。
服や影、眼の虹彩や唇、そして青空に至るまで、すべて線を重ねることで描き出している。
1コマ1コマが、アラベスクの如き緻密さをもって描かれているのです。コマをじっくりと注視すればするほど、その途方もない手間に驚愕する筈です。そしてその細密さを保ちながらマンガとして作品を造り上げる、そこに作者さんの強いこだわりが感じられるのです。



ある程度外堀については書いたので、そろそろ内側、作中で描かれていることにも触れていこうかと思います。
この作品は古書店を主な舞台としていますので、言うまでもなく本にまつわる雑学・蘊蓄が多数披露されます。


古書用語の話。*1
文学作品の雑学。*2
古書の蘊蓄。*3
司書教諭と学校司書の違いと、学校図書館法について。
ブックトークについて。
蔵書票とは何か。蔵書票を作成する際のきまりとは何か。
本の作者のエピソード。


それらを追うのが実に愉しい。
本の世界の奥の深さを垣間みることができます。



しかしそれもまた、この作品の外堀でありましょう。
長々と書いてきましたが、今から『草子ブックガイド』の粗筋を説明させて戴こうかと。


主役の内海草子は、決して恵まれた家庭環境とは言えません。
父親は画家とは名ばかりの、日雇いの仕事をしては日銭を稼ぎ、それを酒代に使って飲んだくれているような男です。酔い潰れた勢いで草子に手を上げることも度々あるようです。
母親もまた銅版画家ですが、そのような父親に愛想を尽かし、家を出て行ってしまう。
この親子に焦点を当てたエピソードは、「3冊め」(第三話)で詳しく描かれています。


そのような父親の許で育ったがためか、草子は人と接するのが不得手です。
誰かと話をする際も、非常にたどたどしい。学校では殆ど喋ることもなく、友人もいない。
授業中も、ずっと本を読んで過ごしている。そんな草子が居場所として見付けたのが、古書店「青永遠屋」です。
しかし家は貧乏で、本を買う金すら父親は出してはくれない。草子の取った手段は拝借すること。早い話が万引きです。一度持って行ったものは必ず返してはいるものの、如何なる理由があろうと褒められたものではない。せめてもの、草子なりの罪滅しでありましょう、返す際にはブックガイド(感想文)を本に挟んで返しています。


そんな或る日、家に帰ると(母親から貰った本と、「借りていた」ものを含め)草子の本が1冊もない。
父親が勝手に売り払ってしまっていたのです(なんという駄目親父!)。
しかし不幸中の幸いというものか、父親が本を売り払ったのは「青永遠屋」。
謝罪のために赴いた草子に、青永遠屋の主人は「店の手伝いをすること」「読んだ本のブックガイドをつけること」を条件に、草子の本を返すことを約束します。主人は返された本に挟まっていた草子のブックガイドが、すっかり楽しみになっていたのです。



そして様々な本のブックガイドが、つまり草子の感想が、作中で語られることになる。
そのブックガイドの書かれ方、つまり草子の「読み方」こそが、この作品の白眉である。


「本の読み方」には、様々な読みが存在します。
情報・知識を得る為の読み。*4
何らかの世界認識の為の読み。*5
何らかの対象を愛でる読み。*6
作品を理解しようとする読み。*7
他にもいろいろとありますが、まぁ実際にはそれぞれの読み方が独立している訳ではなく、様々な「読み方」が混じり合っていると言える筈です。その混じり方は、読んでいる本の内容や個人の性質により千差万別と言えるでしょう。


では草子の読み方はどのようなものか。
草子は基本的に、物語に入り込む読みです。本の登場人物に没入する。
「ブックガイド」が語られる際、基本的に草子は作品のキャラクターの扮装をしている。『ロビンソン漂流記』を読む際はロビンソンに、『山家集』を読む際は西行に。



(同書32ページ。)


そして、草子自らの置かれている環境を重ね合わせながら、自らの心の奥底に深く深く潜航していく。
上のページは、ロビンソンが「絶望の島」と呼んだ島の生活を、そこから逃れたいと思った筈の生活を、逆に自分は望んでいると気付き、それは何故かを考えている場面になります。
草子の「読み」は、物語の登場人物を経て自分の心の中に沈み込み、自分は何を欲しているのか、何をしたいのか、どう生きていたいのかを知るための読み方です。些か気恥ずかしい表現を用いるならば、「生きるための読み」と言えましょう。



これは俺にはできない読みだ。
どう足掻いても、ここまでの読みはできない。


このように断言せざるを得ないほど、草子の「読み」は深く、曇りがない。
数をこなすばかりで、只でさえ乏しい感性を擦り減らしている自分のような人間には、あまりにも眩しい読み方であります。


作中で草子のブックガイドに接した人たち(青永遠屋の店主、そこで見習いとして働く岬くん、草子の学校の司書教諭・江波先生、草子のクラスメート、そして草子の母親等)もその読み方に影響を受けています。
かく言う自分も、作中で取り上げられている本を読みたくなりました。そして少しでも草子の読み方に近い、深い読み方をしてみたいとも。そんな感情を掻き立ててくれる、本の素晴らしさを伝えてくれる本だと思います。


本好き必読の1冊だと思います。
随分長くなりましたので、今回はこのあたりにて。

*1:「黒っぽい」「ミヨゴロ本」とか。詳細は『草子ブックガイド』を。

*2:『ロビンソン漂流記』(『ロビンソン・クルーソー』)は何部作か、とか。若干ネタバレになりますが、最近新訳で出た河出文庫版は第一部のみの訳出、ロングセラーとなっている岩波文庫版は第一部・第二部の訳出です。

*3:大正元年に出版された冨山房版『新訳ロビンソン漂流記』には1ページごとにムリヤリ副題を付けている、とか。冨山房は辞書『大言海』とか出している出版社ですが、児童書の出版も多数手掛けているので、子供向という意図もあるのでしょう。現にその『ロビンソン』は「冨山房家庭文庫世界児童文学全集」の1冊として出版されています。

*4:ライフハック本とか、PC関連の本(Word、Excel の解説やらiPhone の使い方やら)とかはこれに該当するかと思われます。

*5:思想書や評論本はこれに該当するかと。

*6:ルイズコピペみたいな、というのは些か極端ですが、○○可愛い!ブヒィィィ!みたいな読み方。

*7:この台詞はこういう意味がある筈、とかこの演出は・・・とか。