マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

明治大学国際日本学部・藤本由香里ゼミ卒論発表会簡易レポ(2日目)

1日目のレポ記事の続きとなります。
前回同様、自分で殴り書きしたノートの断片と記憶に基づいた要約になりますので、発表者の方々の意図とは異なる解釈になっている可能性はありますので、その点はご容赦のほどを。



2日目の発表は午前10時半から。
しかしながら起床したのが10時半頃という体たらくでして、明治大学に到着したのが12時頃。そのため『〝音楽を売る“というビジネスの変容〜CDと音楽データ配信の現状と未来』ならびに『ボーカロイド・ムーブメント〜人気の秘密と将来展望』を拝聴すること叶わず。('A`)





【玉井麻美『「感情の陽の当たらない部分」ーPeople In The Box 歌詞分析ー』】

  • 「感情の陽の当たらない部分」とは。
  • いわゆる「喜怒哀楽」で表せない感情の部分。
  • People In The Box 感情モデルについて。
  • インタビューにおいて、People In The Box のヴォーカル・波多野裕文は(世の中・社会・物事に対する?)違和感を抱いていた旨を語っている。
  • その「違和感」を出発点に、楽曲の歌詞が「失望」→「怒り」→「死の切望」→「生死の謎解き」へと推移していく。
  • 「死」を連想させる歌詞(語句)の使用頻度が、1st.ミニアルバム『Rabbit Hole』(2007年発売)以降徐々に増加していき、1st.シングル『Sky Mouth』(2010年発売)においてその傾向は頂点に達する。
  • そこを転換点として、歌詞の傾向に変化が生じている。2nd.シングル『Lovely Taboos』はこれまでの軌跡を再確認するかのような作品。


音楽は個人的にかなり不得手なジャンルということもあり、相当に大雑把な要約になってしまっているのが申し訳ないところ。発表の時間が押していたこともあり、分析手法とかの説明とか統計データとかがバッサリ省略されてしまっていたため、ちょっと漠然とした印象になっていたところが惜しいと感じました。
また、この発表に People In The Box の所属事務所(?)の担当の方がいらっしゃっていたようで、発表者の方がたいへんに緊張されている様子でした。


ここで昼休憩。
ピアノ・ファイアのいずみのさんが来ていたので久し振りのご挨拶。お昼一緒に、ということで明大駅前のカレー屋へ。宮本大人さん(明治大学准教授)や岩下朋世さん等、本職の研究者の方々が集まる中に何故か自分が紛れ込むようなかたちになり、たいへんな場違い感を感じたりしていました。(; ゚∀゚)
いずみのさんから『まおゆう』朗読劇の感想を伺ったり、昨年末に自分がブログに書いた『ヒストリエ』のコマ割りについての記事に関連してのイマジナリーラインの話をしたりしつつ食事。
昼食から戻ったのは、午後の部の発表が始まって少し経ったあたり。



Twitterと微博(ウェイボー:中国版Twitter)の比較論』が最初の発表でしたが、途中からの拝聴ということもありノートをあまり取ることができず。微博は YAHOO! 的なポータルサイトが提供しているサービスで、それが中国国内での普及に一役買っているという指摘や、それらポータルサイトはいわば国営的な位置付け(?)であるため、仮に政治批判的なものを書いた場合検閲を受ける、といった話が興味深かったです。
また、実際の微博の画像もプレゼンテーションの中で見せているのですが、画像(写真)が大きくアップされていたりしていて、twitter とはかなり異なる見た目、という印象を受けました。「写真+コメント少々」の記事が大量に挙げられている、(あくまで個人的なイメージで言えば)芸能人ブログ的な感じ。中国人利用者が微博の魅力として「自己アピールできる」「注目を惹くことができる」という点を挙げているのとも関連があるかもしれません。


個人的な疑問としては、中国ではポータルサイトにおけるミニブログサービスが支持を得たのに対し、日本の場合だと twitter の独走に近い状態になったのは何故だろう?というものがありますね( mixi の「エコー」はある程度成功しているのかもしれませんが、FC2の「piyo」とか Ameba の「Amebaなう」、はてなの「はてなハイク」とかの知名度はかなり劣る気がします。自分が知らないだけで大流行りという可能性も否定できませんが)。


【追記】mixi は確か最初は「エコー」で次は「ボイス」、今は「つぶやき」でしょうか?最近あまり mixi を使わなくなったのでちょっと判らないところがあります。




【飯塚英之『映画産業の支援策における日仏韓比較』】

  • 日仏韓の映画産業の現状(公開本数・興行収入)について。
  • フランスの興行収入は増加傾向にある。公開本数の特徴としては、他国の映画も観るが、自国の映画を観る割合が高まってきている。
  • 韓国の公開本数は2000年代に急上昇。公開作品の割合としては国産・外国産と半々くらい。いっぽうで輸出本数が激減している。
  • 日本の公開本数はの割合は、2006年に邦画の本数が洋画を抜いている。
  • フランスの支援政策について。
  • TV局・映画館・DVD販売の収益の税金が国立映画センター(CNC)へ廻される→CNCが制作者に資金面での援助を行う→制作者はTV局や映画館に作品を提供する→(最初に戻る)というサイクルができあがっている。
  • 集めた税金を効率よく回転させる、という考え方。
  • 映画館にも助成金が出る(→常に最新の設備で映画を観ることができる)。
  • CNCの財源は大半がTV局(税金だけでは運営が難しく、多額の出資も受けている)であり、TV局が大きな影響力を持つことになる。表現規制の問題とも関連が。
  • いっぽうで、安定した供給というメリットも存在する。
  • 韓国の支援政策について。
  • 韓国の支援政策を担っているのは韓国映像振興院(KOFIC)。
  • 韓国における支援政策の在り方を端的に示す、KOFIC会長の言葉:「商業映画は投資組合を通して間接的に支援し、市場論理に任せると死んでしまう芸術映画は直接支援する」
  • 制作費の高騰(主にスターの出演費の高騰)により、映画一本あたりの輸出額が増加。輸出本数が激減したのはこれが原因。
  • 日本の支援政策について。
  • 芸術文化振興基金が支援を行っている。
  • 助成金の額は上昇している。
  • 作品が完成した後に審査を受けてから助成金を受けられる、という制度になっている。そのため、先立つ資金が不足している制作者にとってはハードルの高い制度となっている。
  • 日本のケースに対し、フランス・韓国では作り始めてから完成までをサポートする体制で、規模の小さい作品(芸術映画etc)も扱う。


日本だと昔はATG(アート・シアター・ギルド)というのがあって、制作資金を提供して自ら運営する映画館で一定期間必ず公開する、という制度(たしかそんな感じ。洋画も公開していたけどそこはどうやっていたのかは憶えていないです)でやっていて、またそこで公開された映画が邦画・洋画問わず軒並み「キネ旬ベストテン」とかで高評価を受けていたりもしましたね。ただ個人的な考えでは、ごく限られた人しか観ることができないATG系列映画が高評価を受け続けたことで、観客と制作者の感覚が乖離してしまった面はあるのではないかな、という気も。発表内容とは関係は薄いのですが、ふと思い出しました。
あと支援といえば、何年か前にちょっと話題になった「動画革命東京」とかどうなったんでしょう?





【石塚稚菜『少女漫画雑誌におけるこわい漫画〜1950年から75年まで』】

  • 研究目的・研究対象と、少女マンガの三本柱について。
  • 何故少女マンガの三本柱として「かなしい」「ゆかい」に加え「こわい」が存在したのか?
  • 「こわいまんが」はどのように生まれ、変化してきたのか?
  • 1950年〜1975年に発行された「少女クラブ」「少女ブック」「りぼん」「なかよし」「週刊少女フレンド」「週刊マーガレット」に掲載された「こわいマンガ」と判断される作品を対象としてそれを調べる。
  • 元来「かなしい」「ゆかい」「こわい」は、紙芝居の三本柱。それがマンガに継承されたかたち。
  • また貸本マンガには「美醜もの」「母子もの」「因果応報もの」等が存在し、これは後の少女マンガにも共通するテーマとなる。
  • 年代別にみる「こわいまんが」。
  • 「こわいまんが」は1956年までは皆無。1958年頃までは「かなしい」「ゆかい」が殆どで、「こわい」に該当する作品は1950年代の10年間を通じても38作品に留まる。
  • 1960年代に入り数が増えるものの、1962〜64年に再び減少。しかし65年に29作品、66年に41作品と急上昇。67年以降は再び20作あたりに減少。このことから、「こわいまんが」は2年間のブームであったと言える。
  • 1970年代は「週刊少女フレンド」が「こわい」を担っている。
  • また1970年代は男性作家から女性作家への移行が起こっている。例として、「りぼん」において1960年代の「こわいまんが」作者は男性のみであったが、1970年代は女性のみになっている。
  • 「こわいまんが」の系統について。
  • 系統を「伝奇(妖怪・吸血鬼・悪魔・怪物等)」「オカルト(黒魔術・魔法・超能力等)」「心霊(怨念・幽霊・祟り等)」「事件(人間が起こす事件にまつわるもの)」「スプラッタ(視覚に訴えるもの。虫等を含む)」「推理(事件に近いが、特に探偵が出てくるもの」「その他」の7つに分類。
  • 1950年代は「推理」が最も多い。
  • 1960年代は「伝奇」が増えている。これは「週刊少女フレンド」で楳図かずお、「週刊マーガレット」で古賀新一が描いていた影響が大きい。
  • 1970年代になると「伝奇」が減り、「推理」はゼロになる。そして「事件」が増えている。
  • ホラーの種類も多彩になり(「その他」の増加)、恐怖の対象として「自己の心理」を含むものが増える傾向に。
  • 「怪奇」の分類について。
  • 怪奇を「化物・怪物」「人に擬態」「心霊」「人間」「自然災害」「その他」に分け、更に「人間」に関しては「ダークヒーロー的存在」「悪人」「異常者」に分類。
  • 1950年代は「人間」が中心。且つ「悪人」であり、罪の意識を持ち、その罪を反省するケースが多い。
  • 1960年代は「人に擬態」が多い。これは系統と同様に、楳図・古賀の影響が強いため。
  • 「人間」の内訳が大きく変化。「異常者」が占める割合が約半数になり、反省の様子や犯罪の自覚もないケースが目立つ。
  • 1970年代になると「擬態」が減り、再び「人間」が増える。恐怖の対象の変化。
  • 「人間」の内訳は、「異常者」が82%にまで増加。「悪人」は13%。
  • 人間の中にある狂気・欲望を描くようになる。
  • 主人公が経験する怪奇について。
  • 1950年代は事件に巻き込まれるかたち(?)
  • 1960年代は「身近な人間 or 主人公の肉体に異変が及ぶ」例が多くなる。美少女が醜く変貌する、等。米澤嘉博氏が「アイデンティティの喪失」と呼んだもの。
  • 1970年代は「変身」の恐怖から精神の崩壊に。
  • 少女の恋愛要素が作中に含まれるのも特徴。
  • 物語の結末について。
  • 物語の終わり方を、A「怪奇・事件が解決され日常が戻る」B「怪奇・事件は解決するが日常は戻らない」C「怪奇・事件は解決せず日常も戻らない」に分類。
  • 1950年代はAが95%、残りの5%がB。
  • 1960年代になると、Aの比率が最も多いものの、Bの結末の割合も増え、全体の1割に満たないながらCも出てくる。
  • 1970年代にはA36%、B42%、C22%にまでなり、大団円とはならない、「ホッ」としない終わり方が大半に。
  • 日常を取り戻せない物語の増加。当事者の死をもって事件解決となるケースが。
  • 心理描写の増加に伴い、それまでは恐怖の対象であった存在が主役に据えられるパターンも。
  • 「怪奇」が複雑化するにつれ、「こわい」の意味あいも変質?


この発表は非常に完成度の高いものだと感じました。対象とした雑誌6誌の「こわいまんが」25年分を全て読むという労力はもちろんのこと、調査範囲の設定、分類等を厳密に決めているのも鮮やかであったと思います。「ひばり書房のホラーマンガとかはどうなのだろう」とか「80年代のホラー雑誌とかは」「兎月書房の貸本は」みたいな点は当然気になる訳ですが、そこまで手を出すと収拾がつかなくなる可能性が非常に高いですからね。





【森明日美『世界(共同体)の危機に立ち向かうアニメヒーローの時代変遷』】

  • 研究目的について。
  • 時代ごとにおけるヒーローの特徴を「データで」掴むこと。
  • 社会情勢との繋がりを掴むこと。
  • 作品年代ごとにおける、ヒーローの年齢について。
  • 初期の特撮は大人が中心。1960年代アニメは小〜中学生が中心。媒体による制約か?
  • 1970年代は、特撮・アニメ共に高校生〜大人の割合が高まる。高校生でも18歳であったり。学校の描写はない。
  • 1980年代は、中学〜高校生(ティーンエイジャー)が中心。学校関連の描写がある。
  • 「学校」が作品の舞台として積極的に関わるようになる。
  • 1990年代は中学生の割合が高い。
  • 「中学生」となると、どうしても『新世紀エヴァンゲリオン』の影響と考えがちだが、影響は少ないのでは?
  • エヴァ』前からも、中学生がヒーローとして戦う作品は多く存在する。女性率が高い。
  • 2000年代は再び高校生の割合が高くなっている。
  • 中高生は精神的な成長がみられる年代。(=ヒーローとして使いやすい?)
  • ヒーローの人数について。
  • 1960年代は1〜2人のヒーローが中心。ヒーローものの先行作品として存在した『スーパーマン』の影響?
  • 1970年代に、3〜5人組のヒーローが普及。
  • 1980〜1990年代は、組織の一員として戦う傾向が強くなる。
  • 2000年代に入り、2人・或いは4人以上での構成が中心に。「2人」に関しては、「セカイ系」の影響か?
  • ヒーローの家庭環境について。
  • 1960年代は「父親不在」が特徴的。父との別れが戦いのきっかけとなるケースも。
  • 1970年代は、孤児であるヒーローが増加。
  • 1980年代に入ると、更に孤児率が上がる。非日常性の強調の意味合いか?或いはヒーローの存在意義として「孤独である」ということが求められた結果か?
  • 1990年代においては、両親が健在である割合が20%ほど。
  • 2000年代では「母親不在」のケースが多く、60年代と対照的に。
  • 1960年代の父親は「自分を律する存在」で、2000年代の母親は「自分を容認する存在」。
  • 「その年代において、強く求められているもの」を取り戻すための戦い。
  • ヒーローの武器について。
  • 1960年代は人が中心。
  • 1970年代はスーパーロボット。人から機械への移行は、玩具の影響か?
  • 1980年代はリアルロボットもの、兵器。
  • 1990年代の変化として、「超能力=魔法」や「戦う魔女っ子」の登場。ゲームの流行が原因か?
  • 2000年代は「手持ち武器×超能力」の組み合わせが増加。
  • RPGの影響・戦いの個性化・フィギュアの影響等が原因?
  • ヒーローの内側について。
  • 1960〜1970年代は「ヒーロー特有の葛藤」。「人×何か」(改造されたり)の苦しみ、敵キャラクターの深化に伴う「正義とは何か」という問題。
  • 1990年代あたりになると、「普遍的な葛藤」に。「自分とは何か」等。私的なトラウマも描かれるように。
  • 何故、ヒーローは戦うのか
  • 1960〜1970年代は「地球を守るため」。疑問を持たず、我が身を省みない傾向が顕著。
  • 1970年代(後半?)に、目的の揺らぎが(例:『ザンボット3』)。
  • 1980年代以降は、守る対象の具現化(特定の人物とか?)。目的に私情が入るように。
  • 質疑応答。
  • 2000年代に「手持ち武器×超能力」の組み合わせが増加したとあるが、90年代からかなりの数があるのではないか?
  • 武器の表現に、CGの影響とかはなかったのだろうか?
  • 調査対象とした作品数が、年代ごとにばらつきがあるのは?何らかの基準に基づいて選んだ作品なのだろうか?


質疑応答ではなかなか厳しい質問も多く受けていましたが、まぁ対象作品が80を超えていますので、全部観るのは甚だ困難ですよね。(´ω`;)



そして最後の発表となった『ジャンプバトル漫画の変遷と意思を持つ武器の誕生〜漫画にみるゲームの影響』なのですが、諸事情あって殆どノートを取れていません。('A`)
かいつまんで書くと、前半が「ジャンプ」で連載されたバトルマンガの分析・ならびに変遷の確認。肉弾戦が中心だったジャンプのバトルマンガが、1980年代後半から肉弾戦の比率が落ち、「系統能力」(『ジョジョ』のスタンド能力や『HUNTER×HUNTER』の念能力のような、大きな括りの能力のうちの個別の能力を示すための造語)が増えてくる。そして「系統能力」の台頭にはゲームの影響があるのでは、という指摘をされていました。初の「系統能力」である『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力が登場が1989年で、その前年に「職業制」を採用した『ドラゴンクエストIII』が発売している、とか。
後半は「意思を持つ武器」の時代ごとによる特徴の分析となります。何らかの手段で呼び寄せて戦わせる「従者としての武器」から、完全共闘型への移行といった流れ。


興味深い内容でしたが、職業制に関しては『ドラゴンクエストIII』以前に既に『ウィザードリィ』が存在しますし、他にも幾つか気になる点があったので質疑応答の時間に指摘をさせて戴きました。重箱の隅を突くような指摘ばかりしてしまい、大変申し訳ないところです。痛いおっさんです。(´ω`;)
前半と後半で主題が変わってしまい何を研究しようとしたのか判りづらくなっている(大意)という指摘も。



発表全体を通じて、実に詳細に原典にあたっているのが素晴らしく、その労力は感嘆に値するものだと思いました。
あとはどう切り取るか、というところなのでしょうね。それが最も巧くいっていたのが『少女漫画雑誌におけるこわい漫画〜1950年から75年まで』であったのだろうと。自分も随分昔、大学在籍中にゼミの教授から「論文を書く際に大事なのは切り口だ」と言われたことを思い出しました。「内容を如何に収斂させていくか」ということも言われたかな?


発表会終了後は、打ち上げの飲み会が。
一般見学の人も含めて、とのことだったので自分も潜り込ませて戴きました。何故か二次会にまで入り込み、マンガ関連の様々な雑談を。大変有意義な時間を過ごさせて戴きました。


という訳で、大層長くなってしまいましたがこのあたりにて。


【追記】因みに卒論集は(サークルが受かれば)夏コミにて頒布予定とのこと。もしかするとコミティア100で頒布する可能性も・・・とも。