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時折マンガの話をします。

福島鉄次『沙漠の魔王』のコマ割りについて

先月のことですが、秋田書店創立65周年記念特別企画として、『沙漠の魔王』が復刻されました。


「沙漠の魔王」完全復刻版

「沙漠の魔王」完全復刻版


沙漠の魔王』は1949(昭和24)年〜1956(昭和31)年にかけて雑誌「冒険王」に看板作品として連載された絵物語です。
宮崎駿監督にも影響を与えたことでも知られるも、大変入手困難になっていた作品です。この復刻が出るまでは、全9冊揃は途方もない金額が付くプレミア本だったとか何とか。
マンガや絵物語の歴史を辿るうえで非常に重要な作品、との評価も定まっていたようではありますが、当然のことながら貧乏人の自分には手が出せない作品だった訳でして、今回の復刻でようやくその全貌を窺い知ることができるようになったという次第(この復刻も決して安くはないですが・・・)。


そしてある程度読んでみて、物語のみならず、コマ割りの変遷・試行錯誤の過程が非常に面白いということも判りました。
コマ割りについては、この復刻版に併せて収録されている別冊の「読本」において小野耕世氏が解説されているのですが、今回の記事ではもう少し丹念にその変遷について追っていこうかと思います。


尚、今回の記事は「コマ割りを追う」という内容の関係上、かなり画像の使用が多くなっています(可能な限り引用のかたちにしたいとは思っています)。






(福島鉄次『沙漠の魔王』1巻3ページ。)


沙漠の魔王』の記念すべき最初のページとなります。*1
画像が小さくて判りづらいかもしれませんが、「絵物語」と聞いて抱くイメージとはかなり異なるのではないでしょうか?
少なくとも自分の場合だと、絵物語と聞くと大きな1枚絵がバン!と描かれてその横にストーリーが小説形式で添えられるものをイメージする。紙芝居の横に文章が記載されているような感じ、とでも言いましょうか。しかしながら上の画像は、絵物語というよりはマンガに近い。


詳細は後述しますが、実は『沙漠の魔王』が絵物語としての形式を完成させるのは、私見では4巻に入ってからです。その完成に至るまでに、実に様々な実験・試行錯誤を重ねているのが見て取れる。




(同書1巻74ページ。)


まず最初の変化が起きるのが、このページになります。
それまでのコマ割りは、水平線と垂直線で仕切られたコマ、つまり長方形或いは正方形のコマだけだったのですが、このページを機に斜めの線が用いられるようになります。よりダイナミックな構図を、絵の魅力をより引き出すための方法を模索しているように感じます。
そして上の画像では、僅かに左側のページ(つまり75ページ)を写したのですが、コマ割りが左右対称になっているのがお判りでしょうか?このような対称形・幾何学模様的なコマ割りは後にも複数回用いられます。




(同書1巻79ページ。)


戦いの末に倒れる火竜が描かれると共に、別視点(円状のコマ)からは登場キャラクターの1人・火焔童子が竜の腹を突き破り出てくる姿が描かれます。
視点の切り替えで円状のコマを用いるのは戦前の作品でも存在し、この作品が独創という訳ではないのですが、使用頻度に関しては他の追随を許さないという感が強い(自分もそれほど読んではいないので断言はできませんが)。



(旭太郎・大城のぼる『火星探険』小学館クリエイティブ版31ページ。視点の切り替えで円状のコマが用いられた例。因みに原本が出版されたのは昭和15年。)


火星探険―復刻版

火星探険―復刻版



(福島鉄次『沙漠の魔王』2巻8ページ。)


魔王の娘・プッセと猿人ガンガが、主役のボップ少年を危機に陥らせている怪人たちと戦いを繰り広げる場面。円状のコマ割りの発展形とでもいいますか、流線を重ね合わせたコマ割り。躍動感に溢れた構図と言えましょう。
この流線を用いたコマ割りは、『沙漠の魔王』2〜3巻における大きな特徴のひとつです。




(同書2巻24ページ。)


非常に実験的なコマ割りのひとつ。
ページの中心に円状のコマを据え、その外側に6つのコマが上下・左右対称に配置されています。
読み方は、まず右上から左上に移動、中心のコマを通過して右下へ、そこから左下のコマに移動というかたち。当時のマンガ・絵物語の通例としてノンブルが付いているので、読む順番で混乱することはないです。
因みにこのページの左(25ページ)も同じ構図となっていて、あたかも曼荼羅の如き印象を与える・・・というのは少し言い過ぎかもしれませんな。(´ω`)




(同書2巻27ページ。)


少し見づらいかもしれませんが、コマが波打っています。
このようなコマは、現在でも珍しいのではないでしょうか。




(同書2巻32ページ。)


「緑人」に捕えられ、プッセとガンガが危機に陥る場面です。綱で吊り下げられ、槍投げの標的とされてしまう。如何にしてこの危機を脱するのか・・・は本編を実際にご覧戴くとしまして、再びコマ割りに注目。
流線を用いたコマ割り表現を洗練させていくにつれ、やはり「読み」の難易度は上がります。読解の助けとして、ノンブルのみならず視線を誘導する矢印が間白を突き破るかたちで描かれているのが判るかと思います。




(同書2巻39ページ。)


この回(昭和24年12月号)において、大きな変化があります。
それまで文章が手描き文字であったのが、この回から活字を用いるようになる。


そしてこの変化に呼応するかのように、再び表現技法に変化が見られるようになる。
あくまで個人的な印象であり、恣意的な解釈が含まれている可能性も高い訳ですが、フキダシと説明文が溶け込んでいるかのような、台詞に頼らない(つまり、より絵の魅力を前面に押し出すような)演出へと向かうようになります。


具体的に言うと、コマ枠から独立したフキダシが減っていきます。
実例を挙げてみましょう。



(同書2巻46ページ。)


ボップの妹・メリーが空中ギャング團「いるか飛行團」の司令官を相手に大立ち回りをする場面になります。メリーの台詞が書かれたフキダシは、コマ枠から離れています。このようなフキダシが、次第に減っていくのです。



(同書3巻4ページ。)


メリーが自国へ還る場面。
ボップとメリーのフキダシが、コマの枠に密着しているのが判るかと思います。「枠から独立したフキダシ」は、自分が確認した限りでは3巻6ページを最後に姿を消します。絵を大きく描くために、絵を途中で断ち切ってしまうフキダシが障害になっていたのかもしれません。


そしてフキダシ自体の数が減っていきます。絵の横に配置される文章の中で、台詞じたいが描かれるケースも増えてくる。そして3巻65ページを最後に、遂にフキダシが描かれなくなります。



(同書4巻4〜5ページ。)


そして4巻に至り、『沙漠の魔王』の文体は、絵物語としての完成型になります。
濃密に描かれた大きな1枚絵(1ページにつき平均して2〜3枚くらい)と、その情景を説明する文章。このスタイルは約4年にわたり堅持されます。


しかし連載後期に、再びマンガ的なスタイルに戻ります。
数え間違っていなければ、昭和29年10月号です。



(同書10巻60ページ。)


この号から、長らく途絶えていたフキダシが復活します。
そして急激に文章が減り、フキダシ中心、つまり絵物語からマンガ的表現へと移っていく。そして昭和31年2月号で連載終了。
この変化はいったい何だったなのか、ちょっと調べる時間がなかったのですが、興味深いところです。絵物語の衰退と重なっているのかもしれません。



と、ずいぶん長くなってしまいましたが、『沙漠の魔王』のコマ割りを辿ってみました。まだ完全に読んだ訳ではないので、時間をかけて読み込んでみたいところです。
同時期には手塚治虫が既に活躍していた訳ですが、当時の手塚作品と比較してもコマ割りの斬新さは圧倒的という感が強い。是非実際に読んで、確かめて戴きたいところです。


という訳で、本日はこのあたりにて。

*1:正確にはその前身となる『ボップ少年の冒険 ダイヤ魔神』があり、それが好評であったため続編として『沙漠の魔王』連載が始まる訳ですが。因みに『ダイヤ魔神』も今回の完全復刻版で別冊として復刻されています。