読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マンガLOG収蔵庫・別館

本館のバックアップとして使用しています。

横書きは、視線移動とそこまで密接ではないのでは仮説

マンガ 考えごと

タイトルにはやや誇張が含まれています。


先月、マンガの縦書き・横書き、右開き・左開きに関して twitter 上でずいぶんと激論が交わされましたが、さすがに落ち着きましたね。
まぁしかし、こういった問題をあれこれ考えてみるのも悪くないだろうと思います。そんな訳で、今回は「横書き」というものについてひとつ書いてみようかと。


一般的、かどうかは判りませんが、ごく大雑把な認識として

  • 現在日本の殆どのマンガは、右上から左下に向かって読んでいく
  • 縦書きという形式も、その読み方に馴染むかたち
  • いっぽう横書きは左から右へと読むため、右開きのマンガの視線移動の妨げになりやすい


といったものがあるのではないかと思います。
ただ、これはあくまでも場合と程度によるものであって、基本的には横書きでもさほど問題にはならないのではないか、と推測する次第。
これを考えるうえで丁度良い作品が、先月発売されています。
大暮維人さんと舞城王太郎さんのタッグによる、『バイオーグ・トリニティ』です。



両手に穴が空き、何かを(生物・無生物問わず)その穴に吸い込むことでそれと融合することができてしまう病気「バイオ・バグ」がはびこる近未来の世界。そんな世界で繰り広げられる恋愛と青春、といった趣の作品です。
そしてこの作品、何故か判らないのですが、フキダシの台詞がすべて横書きです。フキダシを用いないモノローグ等では、一部縦書きが使われています。
つまり右から左に読み進める作品でありながら、基本は横書き。


では読みづらいかと言えば、確かに最初は「おや?なんで横書きなのだ?」という気分にはなるものの、実は殆ど読み辛さは感じないというのが個人的な実感です。



大暮維人舞城王太郎『バイオーグ・トリニティ』1巻6ページ。)


作品の冒頭、主役の藤井が、片想いの相手・榎本芙三歩に想いを寄せるあまり奇矯な行動をしている場面になります。ご覧のとおり、台詞、ナレーション共に横書き。
このページ、案外すんなりと右上→左下へと読めるのではないか。


横書きを左から右方向へと読む、と捉えるならば、このような感じで読み進める筈です。



こう読むと、マンガ部分の読みと齟齬が生じ、読みづらく感じる筈。しかし実際には、さほど違和感なく右上から左下方向へと読み、且つ文章も理解できている。
これは、一行の台詞・文章をひとまとめに(単語・イディオムのように)認識して読み取り、理解しているからであろうと思う訳です。そして右方向へは向かわず、真下或いは左下方向へと読んでいるのではないかと。



真下方向へと読み進める例として、別作品を取り上げてみます。
由貴香織里さんの名作『天使禁猟区』です。



由貴香織里天使禁猟区』文庫版8巻374ページ。)


ここ、非常に重要な箇所なのであまり内容に触れられないのですが、「とあるキャラクターが高所から落下する場面」になります。
その際のモノローグが、横書きで書かれています。ちょっと画像が小さくて読みづらいかもしれませんので、引用しておきましょう。

ああ


ここだったんだ


私の探していた
ただ 羽根だけが舞い散る



白い 白い 真っ白の世界は...


実際には中央揃いとなります。
このモノローグを上から下へと読み進めていく動きと、落下するキャラクターの動きが重なる訳ですね。画面からは途切れて描かれるものの、そのキャラクターがスローモーションで落下していく様子が脳内で再生されるかのような、見事な演出となっている。
そしてこの効果は、モノローグを真下に向かって読まないと出てこないのですな。
つまり、



このように読んでいる訳です。
それぞれの行をひとまとめに認識しつつ、真下へ向かって読み進める。
左から右という方向に読むと、効果が死んでしまいます。


同様に『バイオーグ・トリニティ』でも、



実際にはこんな感じで読み進めているのではないかと。
それ故に、さほど違和感を感じることなく読むことができるのだと考える次第です。


そしてこれは、1行の文字数がさほど多くないことが必要条件となります。
文字数が多くなると、どうしても横方向への動きが強くなります。



(『アフタヌーン四季賞CHRONICLE 1987-2000 春Selection』126ページ。)


先日の記事で取り上げた王欣太さんのこの作品のナレーションのように、長い文章になると真下に読むことは難しい。どうしても左から右へと読むことになりますね。
逆に言えば、台詞の選択やフキダシの形状・配置次第では、右開き・横書きでも違和感なく読むことは可能ということです。


と、そんなことを考えてみたりしました。
といったところで、本日はこのあたりにて。