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時折マンガの話をします。

世界初のマンガ理論書:ロドルフ・テプフェール『復刻版 観相学試論』

マンガの歴史っていうのは、史観によってかなり異なったりします。
とはいえ、近年の研究から考えると、ロドルフ・テプフェール*1を近代ストーリーマンガの祖と捉えるのが大きな趨勢を占めている模様。


M.ヴィユ・ボワ

M.ヴィユ・ボワ


こちらが、テプフェールの代表作『ムッシュー・ヴィユ・ボワ』。
かなり大きな判型で、同人誌っぽい装丁ではありますが、一般書籍として amazon で購入可能です。
そしてそのテプフェールが、キャラクターの顔の描き方について書いた理論書が『観相学試論』。言うならば、世界初のマンガ理論書です。こちらも、今年の4月末に翻訳が出版されました。こちらも『ムッシュー・ヴィユ・ボワ』同様、造本は同人誌的であるものの(実際、自分はコミティアにて購入)、こちらもISBNがちゃんと付いている一般書籍です。


復刻版 観相学試論

復刻版 観相学試論


実際に読むと、かなり短いながらもなかなか理解しづらい箇所もあります。
これは、この書物が執筆された1845年の学問的・思想的背景が要因と言えるかと。題名にも用いられている「観相学」や、テプフェールが著書の中で批判している「骨相学」等が該当しますね。そしてこの論考には、「魂」についての言及も少なからず存在します。
現在においては観相学・骨相学共に疑似科学のカテゴリーに入るものでしょうし、理論的考察でありながら魂の存在を前提としていたりする。現在の観点から見るとやはり取っ付きづらい印象はあるかと思います。


しかしながら、非常に先見的な指摘や、少なからず説得力を持つ箇所もある。読む価値はある、そう考えます。
という訳で、そういった箇所を幾つか引用しつつ、ご紹介してみたいと思います。



まずは第一章から。

 また、版画文学に固有の長所としては、ある意味で直感によってできているため、他の表現形式と比べてきわめて明瞭であるという点も挙げられる。たとえば、民衆と子供の道徳教化のために書かれたあらゆる立派な書物をもってしても、ホガースが『良い見習いと悪い見習い』というタイトルのもとに、怠惰な悪者と勤勉な正直者が自分だけを頼りにそれぞれの運命をまっとうするさまを物語る二十枚ほどの絵と同じ事を同じ力強さで表現するのは難しい。


(ロドルフ・テプフェール『復刻版 観相学試論』4ページ。)


因みにテプフェールは、自らの用いる表現形式を「版画文学」と名付けています。
文中に出てくる「ホガース」とはイギリスの画家、ウィリアム・ホガースのこと。当時の世相を諷刺した連作絵画が有名で、テプフェールの更に源流と言えるのかも。
そして上の引用箇所、似たような言葉に憶えはないでしょうか。



週刊少年マガジン編集部/編『少年マガジンの黄金時代 〜特集・記事と大伴昌司の世界〜』244〜245ページ。)


「1枚の絵は1万字にまさる」。


伝説的編集者・大伴昌司氏によるキャッチコピーです。
1970年、「少年マガジン」昭和45年1号に掲載された特集記事「劇画入門」で用いられた台詞ですね。
これが書かれた120年以上前に、既に同様の趣旨の発言をしている、絵の持つ力・絵が相手に与える印象の強さという点に着目しているというのは、先見的と言って差し支えないのではと考える次第です。



そして『観相学試論』の核となる概念が、人物を描写する際の「永続的な符号」「非永続的な符号」というもの。
これが何を意味するかについても、少々引用しておきます。

 

永続的な符号とは、その名のとおり永続的な魂の習性を表す符号で、私たちが一般に性格という名で理解しているものである。それから思考や活動、能力など、私たちが一般に知性という名で理解しているものも含まれる。
 非永続的記号とは、笑い、怒り、悲しみ、侮蔑、驚きなど、魂のあらゆる一時的で偶然の動きと興奮を表す記号であり、一般に感情という名で理解しているものである。


(ロドルフ・テプフェール『復刻版 観相学試論』13ページ。)


そして、非永続的な符号は(描かれた人物の)感情を判断する手掛かりになるが、永続的な符号は性格・知性を判断する手掛かりにはなり得ないと主張している。この指摘が実に興味深く感じました。


単純に言ってしまうと「顔を見ただけでは性格は判らない」と主張しているようなもので、テプフェール自身が依拠している観相学を否定しているかのようにも聞こえますね。
実際のところはどうかと言いますと、「極度に小さく尖った唇は悪意、さらには冷淡さの符号とされ、逆に分厚い唇は温厚さ、さらには意思の弱さの符号」だと言われることに対しては「たいてい真実」としながらも「こうした判断基準が絶対的な価値を持つものではない」という立場を取っています。*2
そして実際に先の説に該当するような唇を持つ人物を幾つも描写しつつ、その説が絶対ではないことを自ら実証していく訳です。自分で描くことで持論を展開することができる、というのは強みですね。



(前掲書19ページ。)


人物の描写をしています。上の列では目の形だけを変化させ、下の列では眉の形だけを変化させて描いています。
1箇所変わっただけでも、描かれた人物・キャラクターの印象に違いが生じているのは、ご覧になれば判るかと思います。そしてパーツを変更することによるキャラクターの分析は、現在(或いは比較的最近)においても有効な手段でもあります。



(『別冊宝島EX マンガの読み方』118ページ。)


『マンガの読み方』は現在の(日本の)マンガ研究の出発点・或いは転換点と言って差し支えないであろう名著です。
上の画像では、吾妻ひでおさんの作品に登場する虚無的なキャラクター「ナハハのおじさん」のパーツを入れ替えてみることで、ナハハのおじさんの空虚を示しているのは何なのかを分析しています。
因みにその分析を含む、吾妻ひでおさん関連の文章を書いているのは夏目房之介さんです。夏目房之介さんは確か、他の著作でも、様々な作品で描かれた「涙」を入れ替えて分析していた筈。実際にマンガも描かれる方ですし、意外とテプフェールとの共通点があるようにも感じますね。



と、170年近く前に書かれた書物でありながらも、決して黴の生えた内容という訳ではない。
繰り返しになりますが、読んで損はない内容だと思います。
といったところで、些か中途半端ながらこのあたりにて。

*1:スコット・マクラウド『マンガ学』だと「ルドルフ・テファー」と表記されたりもしています。表記のブレは翻訳の際につきまとう大きな問題のひとつですね。

*2:ロドルフ・テプフェール『復刻版 観相学試論』13ページ参照。