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時折マンガの話をします。

黒須喜代治の奇妙な世界

何日か前にまんだらけに行ったのですが、ふと目に付いた本を衝動買いしてしまいました。こちらになります。



  • 画像左:黒須喜代治『死絵奇談』
  • 画像右:黒須喜代治『死絵奇談 死人切符×髑髏船』


貸本怪奇マンガの復刻版同人誌になります。ビビッとくる何かがありますよね。
作者の黒須喜代治という方については、浅学故にそれまで知らなかった訳ですが、『死絵奇談』表紙下部に印刷されている惹句がまた興味深いものでした。

白川まり奈〈怪奇漫画家〉と古川益三が復刻の密談をしてから14年! ついに解禁!!


古川益三氏はまんだらけの社長ですね。


白川まり奈さんは、上にも書いてあるとおり怪奇マンガを多数描かれた方で、妖怪史研究家という肩書きも持っておられます。何でも収集している妖怪関係の資料・コレクションは相当なものだそうで、それ専門の著作も出しています。
残念ながら数年前に亡くなられてしまい、現在では単行本も殆どが入手困難となっています。比較的入手しやすいのは、復刻版の『侵略円盤キノコンガ』でしょうか。


侵略円盤キノコンガ (QJマンガ選書 (10))

侵略円盤キノコンガ (QJマンガ選書 (10))


『死絵奇談』は初版発行が2012年です。*1『侵略円盤キノコンガ』発行が1998年なので、丁度14年前になります。恐らくはその復刻の頃にそういうお話をしたのであろうと推測する次第。
余談ながら、『侵略円盤キノコンガ』表題作は侵略SFという題材と作者自身の土俗的・民俗学的な指向が絶妙に混じり合った傑作ですし、併録されている『どんづる円盤』は、『テラフォーマーズ』とかが人気の今こそ読み返されて欲しい作品だな、と思ったりします。






些か脱線しましたので話を戻しますと、『死絵奇談』とシリーズ続編の『死人切符』は、幽霊画を専門に売る「死絵堂」の一族として生まれた死次郎(もう少しまともな名前を付けて差し上げろとか思ってはいかンのです、こういう投げやり感がまた貸本らしくて良いと思う次第)が、自らの呪われた血統について調べるべく父の墓所のある寺へ赴くことから物語は始まります。


そして貸本怪奇マンガならではの、前世の宿業とか因果といったものにじっとりと絡み付かれるような展開が続きます。
死次郎の息子が蛭のような顔で生まれ、足には水かきが付いている。生まれて間もないにも関わらず鼠や蜘蛛を捕食してしまったりします。その双子の息子に蛭太郎と蛭次郎と名付ける死次郎もどうなのか、もう少しまともな名前を付けて差し上げろと(以下略)



(黒須喜代治『死絵奇談』グッピー書林plus、55ページ。)


こちらが蛭太郎と蛭次郎。水木しげるセンセイの『墓場鬼太郎』(貸本版の『鬼太郎』)での鬼太郎幼少期とも幾分似ているような気がします。因みに『死絵奇談』を出した出版社は、『墓場鬼太郎』の最初の数冊を出した兎月書房です。*2
似ている、と言えば『死絵奇談』の最後のほうに死次郎の兄・幽太郎が登場します。幽太郎は業病のため余命幾許もないという状態なのですが、その姿が、鬼太郎の親父(鬼太郎誕生以前の、目玉だけではない姿)そのままだったりしますね。



(前掲書140ページ。)


右上の人物が幽太郎。現在だとやれトレースだパクリだと騒がれかねないレベルではありますが、これが描かれた時期っていうのは案外当り前のように行われていた訳でして、その時代の著作権とかの認識を無視して現在の認識からあげつらうのは些か筋違いかな、と思ったりはします。



またしても話が脱線してきましたので再び軌道修正。
先程「貸本怪奇マンガならではの、前世の宿業とか因果といったものにじっとりと絡み付かれるような展開」というふうに書きましたが、この作品・シリーズの特色は、そういった世界が描かれている筈でありながら、何かそうでない、奇妙な読後感が存在するという点です。
貸本怪奇作品特有の湿っぽい、陰惨な内容である筈なのに、その感覚が薄い。別のものが紛れ込んでいる。非常に独特な世界観が立ち現れているのですね。
強引に喩えてみるならば、ご飯に納豆、鯵のひらきという朝食でありながら何故か食器はナイフとフォークで、コーンポタージュが添えられているような感覚です。


それは何故なのかと言いますと、作品の随所に描き込まれている西洋絵画のモティーフに原因を求めることができるかと思います。
幾つか例を挙げてみようかと思います。



(前掲書44〜45ページ。)


死次郎が見た夢の中での地獄のイメージ。
これはまだ日本的な印象も強いのですが、獄卒がミノタウロスっぽい生き物だったりして、ちょっと不思議な感覚です。死次郎の独白が、見開きコマの内部ではなくハシラの箇所に描かれているのもけっこう珍しいかも。これに関しては後述しますが、ストーリーよりも画・イメージを重視している(と思われる)のも影響しているのではないかと。



(前掲書70ページ。)


この場面は死絵堂一族の宿業・因果について語られている場面なのですが、一族が永い時間を死者の番人として生きてきたことを示される際、この画が挿入されます。これの元絵は学校の教科書に載るくらい有名なので観たことがある方も多いかと思いますが、サルバドール・ダリの代表作のひとつ『記憶の固執(柔らかい時計)』ですね。



(黒須喜代治『死絵奇談 死人切符×髑髏船』グッピー書林plus、23ページ。)


骨董屋「死絵堂」を始めた死次郎の許へ「黄色い客」が訪れ、それを機に周囲で奇妙な出来事が起こり始めます。上に挙げたコマは、近所に住んでいると言っていた「黄色い客」を追い払おうと、家の近くを捜し回っている場面の1つです。
何気ない1コマのようでありながら、よく視ると何とも奇妙な光景です。女の子が鞠つきか何かをして遊んでいるその上には、電線に引っ掛かった傘が2本。何故、開きっ放しの傘が、それも2本電線に引っ掛かっているのか?それは作中で説明されることはなく、ごく当り前の光景の如く流れ去っていきます。何か、つげ義春さんの作品を読んでいるかのような感覚がありました。




(上:前掲書39ページ。下:前掲書50〜51ページ。)


死次郎が「死人切符」を使い訪れた地獄の光景です。先程サルバドール・ダリについて軽く触れましたが、シュールリアリズムの作風を地獄の光景として用いているのが判るのではないかと思います。
紙芝居から連なる貸本マンガにおいて西洋絵画、しかもシュールリアリズムの影響が見られるケースは、少なくとも自分の知る限りでは(と言ってもそれほど詳しい訳ではありませんが)この作品くらいです。水木センセイは古今東西構わず様々なジャンルの作品から着想を得ているので、もしかすると何か描いているかもしれませんが。
因果応報陰惨無惨、情念溢れる貸本怪奇マンガの世界において、明らかに異質な要素です。



この異質さについては、『死絵奇談 死人切符×髑髏船』に付属している解説ペーパーでも指摘がされていますが、黒須喜代治氏が画家であった点が大きいと思われます。昭和初期から洋画家・岡田三郎助の私塾「本郷絵画研究所」に学び、挿絵画家としても活動していた模様です。昭和30年代半ばからはサラリーマンとして働きつつ、その合間に貸本マンガを描いていたようです。西洋画を学んだ素養が、作中にも現れてきているということですね。


そして恐らくは、着想・イメージを優先させる作品作りをしていると思われます。ストーリーの整合性とかにはあまり重きを置いていないように見受けられる。物語はかなり継ぎはぎで描かれている印象もあるのですね
。例として挙げると、『死絵奇談』100〜113ページで描かれる「黒い画集」という挿話があるのですが、この挿話、あまりにも唐突に挿入されていて且つストーリー上まったくと言っていいくらい不要な話なのですね。どういう話かと言いますと、

  • 死次郎の家族が皆寝静まっている夜中に、クラウン(ピエロ)の扮装をした小人が死次郎の家に忍び込む
  • その小人が「黒い画集」を見付ける。タイトルは「死絵堂筆 妖怪画作品集」。
  • 小人が突然読者に「妖怪画でも見ましょう」と語り掛け、以後9ページにわたり妖怪画ならびに解説
  • 先代死絵堂の紹介と、死次郎と息子の紹介をした後、小人は何処かへと去る


という内容です。作中の画集の内容が9ページにわたり描かれる、というのは劇中劇みたいな構成になっていて、ちょっと面白いです。ただストーリー全体から見ると、少なくとも必要なさそうです。
恐らくは、作者さんが妖怪画のイメージか、或いは小人のキャラクターか、もしくは劇中劇的な構成を描きたくて、それに合わせてストーリー(らしきもの)を拵えたのではないかと推測する次第。



と、まぁ長々と書いてきましたが、兎にも角にも奇妙な味わいを持つ作品です。
『死人切符』の最終ページには「次号の死人0番地にご期待あれ...」というハシラの煽り文句と、予告カットが掲載されています。果たしてこの次作『死人0番地』が刊行されたのかどうかは判らないのですが、もし刊行されていたのならばそちらも是非復刻して欲しいな、と思います。


この2冊にご興味のある方は、このあたりで購入可能です。


といったところで、本日はこのあたりにて。

*1:『死人切符×髑髏船』は2014年5月発行、それに併せて『死絵奇談』も2刷発行となっています。自分が購入したのは2刷のほう。

*2:原稿料未払いが続いたため途中で『墓場鬼太郎』は別の出版社へ。しかし『墓場鬼太郎』は人気があって手放したくなかった兎月書房は別の作者(竹内寛行氏)に無許可のまま続きを描かせる...(いわゆる「竹内版鬼太郎」)という流れがあったりしますがそれはまた別の話。