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時折マンガの話をします。

第三の鬼太郎

毎月3日はゲゲゲの日。
水木しげる漫画大全集」で謳われているキャッチコピー(みたいなもの)です。水木センセイが描いている作品は膨大な数になる訳ですが、*1その惹句からも、代表作のひとつとして『ゲゲゲの鬼太郎』を挙げることに異論を唱える方は少ないかと思います。


そして『ゲゲゲの鬼太郎』の前、貸本時代には『墓場鬼太郎』が存在しており、これは『ゲゲゲの鬼太郎』とは相当に異なる雰囲気に満ちた作品群となっています。何年か前にこの『墓場鬼太郎』がノイタミナでアニメ化されていますので、ご存知の方も多いかと思います。
そして『墓場鬼太郎』には、「ニセ鬼太郎」と呼ばれることもある別バージョン、いわゆる「竹内版墓場鬼太郎」があることも、水木作品が好きな方には良く知られている話です。


ご存知ない方がいるかもしれませんのでかいつまんで説明しますと、水木センセイは『墓場鬼太郎』を兎月書房という出版社で描いていたのですが、兎月書房の原稿料未払いが続き、そのことで仲違いした水木センセイは別の出版社(「ガロ」を発行する青林堂の前身となる三洋社)に移る訳です。
いっぽう兎月書房ですが、人気作であった『墓場鬼太郎』は手放したくなかったのか、竹内寛行という方に依頼して、水木センセイの許可なしで『墓場鬼太郎』の続きを出し続けたのですね。水木版『墓場鬼太郎』は3巻までですが、4巻〜19巻までが竹内版となります。当時は相当高い人気があったらしい(水木版を凌ぐ人気だったとか)。


ただ補足しておきますと、元々戦前に伊藤正美という方による紙芝居『ハカバキタロー(墓場太郎)』という作品が存在していまして、それがいわゆる鬼太郎の源流となります。戦後の1954年、紙芝居業界に身を置いていた水木センセイが奇太郎を題材にした作品を描くように勧められ、描いた紙芝居が水木版『墓場鬼太郎』のルーツとなるのですね。そして竹内版鬼太郎は、伊藤正美氏の承諾を受けたものであるとの由。


と、長々と竹内版の説明をしてきた訳ですが、実はもうひとつ別バージョンの、第三の『墓場鬼太郎』が存在するらしい。
これは自分もつい数ヶ月前までまったく知らなかったので、かなり驚きました。
それが収録されている同人誌(貸本復刻)がこちらになります。



『怪奇貸本収蔵館 第一号 南竜二編』(編集・発行:グッピー書林 plus IKKYU・辻中雄二郎・柊澤玄樹)。
この同人誌に収録されている「悪魔の落子」という作品が、第三の墓場鬼太郎が登場する作品になります。因みに執筆時期に関しては、竹内版よりも前とのこと。


作者は同人誌の書名からも判るように、南竜二という方です。この同人誌の解説によりますと、複数の別名義を使いながら、怪奇・戦記・SF・推理・時代劇・ポルノに至るまで、多岐のジャンルにわたり多くの作品を描くも、1冊も南竜二名義の単行本は存在しない(少なくとも存在は確認されていない)。
そして作風としては、ひたすら悲壮な展開を繰り返しつつバッドエンドを迎えるのが基本のようでして、ラストページはキノコ雲&人類滅亡率も高い模様。


それはそれとして、とりあえずは南竜二版「墓場鬼太郎」を、ストーリーにも若干触れつつご覧戴きましょう。



(『怪奇貸本収蔵館 第一号 南竜二編』15ページ。)


初登場の場面です。
実を言うと、鬼太郎は主役ではありません。むしろあまり登場しません。
左のコマに描かれている、目が3つある少年が主役です。
この少年・三太は原爆の影響で三つ目・両手の指が三本という異形として生まれた、という設定です。そしてその姿故に迫害を受ける。不憫に思った三太の母親は心中しようとしますが、三太の死にたくないという懇願から心中を思い留まり、一人列車に身投げします。そして母親の亡骸を発見した三太は、母親がいないなら死んだほうがマシだと首を括ろうとしたところに、鬼太郎が現れる訳です。


何か文章おかしくないか?唐突すぎないか?と思った方もいるかもしれませんが、展開のとおりに書くとこんな感じの文章になってしまうのです。そういうものなのだと思って戴ければ幸いです。
そしてこの鬼太郎ですが、上の画像からある程度判るかと思いますが、最初は三太と喧嘩になります。そしてしばらく喧嘩したあとに三太の事情を聞くと、「ふーんかわいそうだな お父っちゃんに相談したら何とかなるさ」*2と急に態度を翻し、三太の母親を生き返らせるために協力するのですね。



(同書17ページ。)


三太の母親を蘇らせるため、鬼太郎と三太が目玉の親父に頼み込んでいる場面。
そして母親復活のために何らかの手段を講じ、処置をしたところで鬼太郎と目玉の親父の出番は終了。三太に別れを告げて退場します。
そしてその後の、三太と母親の辿る運命は...それは現物を読んで確認して戴ければと思います。



そして実際読んでみた感想としては、「この即物的で唐突な展開、何も考えていないような雑な感じ、そうこれでこそ貸本!」といったものでした。(´ω`)
いや、そうでない貸本作品も多く存在するのは重々承知ですが、*3こういうのもまた、何とも言えぬ味わいがあると言いますか。


この作品における鬼太郎親子、ちょっと大袈裟に言うならばメフィストフェレス的存在、或いは『笑ウせえるすまん』の喪黒福造的な位置づけかと思う訳ですが、必ずしもこの作品に鬼太郎親子が必要だったかというとやや疑問符がありまして、何と言いますか、「死者を復活させる存在が必要→怪奇ものだし鬼太郎親子でいいかな、流行ってるし」くらいの大雑把さを感じるのですね。



(同書18ページ。)


母親の亡骸のある場所まで目玉の親父を連れて行こうとしている場面になりますが、「お父っちゃん」という水木版『墓場鬼太郎』では恐らく使われていない(筈)呼称に加え、自分の左目の中に親父を入れるのではなく耳に掴まるように言うあたりにも、何とも言えない雑さ・考えていない感じが滲み出ています。



何かこき下ろしているような文章になってしまっていますが、こういう貸本的展開、読んでいくとこう、スルメのようにじわじわと味わいが出てくるんですよね。たまにはこういう脱力感、良いよねと。


この同人誌、まんだらけタコシェで委託販売している筈なので、ご興味のある方はご一読を。
といったところで、本日はこのあたりにて。

*1:全集は108冊以上になる予定。

*2:『怪奇貸本収蔵館 第一号 南竜二編』16ページ。

*3:例を挙げれば、白土三平さんの『忍者武芸帳』も貸本ですし。