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2015年のマンガを振り返る:序章・水木しげるセンセイ追悼編

そうだね、今年も残すところ1ヶ月を切ってしまった。もうそろそろ『このマンガがすごい!2016』を手始めに各種ランキングも出てくるだろうし、個人サイトとかでも管理人の嗜好を押し出したランキングとかを発表する頃合いだ。斯くいう自分も、この時期には面白かった作品をまとめて取り上げたりしている。
例によって今回もそれはやっておこうと思っているんだが、今年に限っては、その前に触れておきたいことがある。


あぁお察しのとおり、水木しげるセンセイのことだ。
先月末、11月30日に、センセイはあちら側へと旅立たれた。その日は仕事だったんだが、休憩時間に twitter を見てみたらTLがざわついていてね、水木センセイの話題一色だった。訃報を受けての様々なコメント・ツイートの類は既にネット上で多数まとめられたりしているから、ここで改めて取りあげる必要はないだろう。


自分の場合はどうだったかって?
そりゃあ、やはりショックだったよ。ずっとそこに在り続けるようなイメージがあったからね。だけど同時に、TLで見掛けたように「取材に行かれたのだ」というような感覚もあるし、ラバウルで親交を深めたトペトロやエプペとも今頃再会しているのだろうとか当然のように考えている。屁をするくらいの当たり前の軽やかさで、あちら側へ行かれたような印象がある。
これまでに描いてこられた膨大な作品群による積み重ねが、死というものに付き纏う哀しみや悲愴感を、フハッと、或いはバオーンとかな、吹き飛ばしているように感じる。


そうだね、水木作品を初めて読んだのは...確か小学校1年のときだったから、かれこれ30年以上は水木作品は自分のそばにあったということになるのかな。人生の8割近くだね。...まぁ、ちょっと離れていた時期もあるから、8割は言い過ぎかもしれないな。
普段は自分語りみたいなのは避けているんだけど、というか語れるほどの自分を持っていないからなんだが、自分の水木体験を語ってみるというのも、たまには悪くないかもしれないね。自分より詳しい・且つ深い敬愛を抱いている方は幾らでもいらっしゃるだろうし、そういう方々にとってはさぞかし薄っぺらな話になるだろうけど、そこはご勘弁願いたい。


さっき言ったとおり、初めて水木作品を読んだのはたぶん小学1年のとき。小学校に入学して最初の友達が、家に誘ってくれてね、彼が『ゲゲゲの鬼太郎』の講談社版をかなり揃えていたんだ。新書版の、黒い背表紙のやつだね。手に取ったのは確か14巻だったかな...「赤舌」とか「大首」とか出てくる巻だ。
とにかく面白い。鬼太郎が悪い妖怪を、髪の毛針やチャンチャンコ、下駄とかを駆使して退治していく痛快さ。見たこともない数々の妖怪の造型。
あとは講談社版だと18巻だったかな、『鬼太郎のお化け旅行』が収録されていてね、これが凄く好きだった。当然今でもね。ただこれは後々気付くことになるんだけど、講談社版は収録されていない話が幾つかあったね。確か「ブードー」は収録されていない筈だし、他にももう1話くらいは未収録があったと思う。
それと17巻の筈だけど、この巻は『鬼太郎夜話』が収録されている。何というか、他の「鬼太郎」とはまるで異質な雰囲気、おどろおどろしさみたいなのを感じてね、最初は少し苦手だったんだ。怖かった、っていうことかもしれない。でも何か気になるんだよ。ちゃんと読むのは少し後になるんだが、それはまた追って話そう。
ちょうどTVアニメの第3シリーズも放映していた時期でね、そりゃあ夢中になったものさ。


丁度その頃は、やはり第3シリーズがヒットしていたのも影響しているのかな、色々な種類の「鬼太郎」シリーズが書店に並んでいた。さっき触れた講談社版の他にも、ボンボンでやっていた『最新版 ゲゲゲの鬼太郎』にマガジン版の『新編 ゲゲゲの鬼太郎』、あと『新ゲゲゲの鬼太郎』もあったかな。『最新版』はぬらりひょんが総大将で、帝国軍人みたいな格好をしているやつだね。『新編』はシーサーが出てくるやつだ。『新』は、これは1冊しか持っていなかったから確証はないんだが、1970年代後半の作品を集めたやつだと思う。自分が持っていたのは『雪姫ちゃんとゲゲゲの鬼太郎』が収録されていた。今だと角川文庫版に該当するやつじゃないかな。
あの頃は何故か、適当な巻数から買うってのを当たり前のようにやっていたんだよ。何でそんな買い方をしていたのか自分でも良く判らないんだが、「鬼太郎」は基本的に1話完結型、複数話に及んでも巻をまたぐことは殆どなかったから、そういう買い方でも問題なく楽しめたんだ。最近はそういうマンガは少なくなってきているね。


ちょっと脱線するけど、さっき触れた「最初の友達」、彼はアニメもいろいろ薦めてくれてね。『ドテラマン』とか『魔神英雄伝ワタル』を知ったのは彼のおかげなんだ。『ワタル』は地元では放映局がなくてね、殆ど映らないような隣の県の局の放送を頑張って観たりしてね。あと、『ワタル』は自分だけじゃなく、姉貴もハマったんだ。その影響だと思うんだが、次第に姉貴は「アニメディア」とか「ファンロード」とかを買ってくるようになる。模写とかを始めて、しばらくするとオリジナルのキャラクターを描いたり、スクリーントーンとか買ってくるようにもなる。姉貴がマンガ家になった出発点は、たぶん彼が薦めてくれた『ワタル』があるように思う。
彼とは中学までは仲が良くて、高校が別になってしまってしばらく疎遠になっていたけど、何年か前に久しぶりに再会してね。今は某大学で准教授になっているよ。水木センセイは勿論のこと、諸星大二郎さんの作品も好きなようでね、盆や正月にタイミングが合うと飲んだりするんだけど、次に会ったときは水木センセイの話が肴になるだろうな。


あぁ済まない、全然関係ない話をしてしまったね。
自分の家は、まぁ有り体に言えばそれほど裕福な家じゃあなくてね、まぁ親父が商売に失敗してしまったからなんだが。それもあって、お世辞にもマンガやゲームを買い漁るようなことはできなかった。月に1冊とかそういうレベルでね。だから水木作品もそうおいそれとは手に入れることができなかったんだが、たぶん誕生日かな、『悪魔くんの悪魔なんでも入門』を買ってもらったんだよ。小学館入門百科シリーズだね。これはほんとうに繰り返し読んだな。巻末のほうに収録されている怪談がまた良くてね。「鬼婆」のエピソードと挿絵は今でも印象深い。


それと今、親父が商売に失敗した、って言ったけど、その後どうしたかっていうと、遠洋漁業の船に乗ってたんだ。いちおう船長だったらしい。元々そういう仕事をやっていて、地元で商売始めたけど失敗して、また戻ったということだな。そっちのほうが向いていたんだと思う。時折国際電話をかけてきてね、今エクアドルにいるとかケープタウンにいるとか言うんだよ。それで年に1回くらい戻ってきて、1ヶ月前後いて再び船に戻る、っていう感じだったんだけど、戻ってくるときに何か買ってきてくれる訳だ。
小学3年か4年の頃かな、帰ってきた際に買ってくれたのが、朝日ソノラマ版の『ゲゲゲの鬼太郎』全8巻セットだったんだよ。あの無骨な背表紙とゴシック体のタイトルが特徴のソノラマ版だ。これはほんとうに嬉しかったね。これも何度もなんども、繰り返し読んだものだよ。「大海獣」に「妖怪大戦争」、「吸血鬼エリート」や「妖怪反物」...どれも忘れがたい名編だ。


...ファミコン?あぁ、『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』のことか。実はあれは持っていなくてね...。ファミコンは1本の価格がどうしても高くなるしね。攻略本だけ買って読んでいたよ。あの頃は、欲しいけど買えないゲームの攻略本だけ買って読む、みたいなことを時折やっていたね。
『妖怪大魔境』はアクションゲームで、特定の条件を満たすとボスがいる「妖怪城」ステージに行って戦うことになるんだ。原作だとかまいたち・二口女・たんたん坊が根城としているあの城だね。それでその妖怪城のボスは8体いるんだけど、最後に戦うことになるのが何故か漬物好きの妖怪「ほうこう」なんだよね。今考えると渋すぎるチョイスだよ。4種類の属性を持っている、というのが、強敵の設定として丁度良かったということなのかな。


印象に残っている妖怪か...そうだなぁ、当然どれも魅力的なんだけど、「何でも食べてしまう妖怪」かな。具体的に挙げると3体、ヤカンズルと野づちと妖怪ヅタだね。ヤカンズルは「悪魔ブエル」の回に、野づちは「ひでり神」の回に、妖怪ヅタは『新編 ゲゲゲの鬼太郎』に登場する、家に一本足が生えている妖怪が出てくる話に出てくる。野づちはその他にも出てくるかな。この妖怪たち、近くにあるものを何でもかんでも食ってしまうし、基本的に何考えているのか判らない。野づち以外は、台詞すらないからね。怖いんだよ。個人的にはヤカンズルがいちばん怖かったな。



他に読んでいた水木作品か...ほぼ同じ時期には『悪魔くん』もあったりするんだが、何故かその頃はあまり読まなかったんだよね。『悪魔なんでも入門』は読んでいるのにね。
そうそう、自伝は読んだ。学校の図書室に、ポプラ社から出ている「のびのび人生論」シリーズというのが並んでいてね。有名人が書いた自伝をシリーズとして刊行しているんだ。マンガ家も何人か名前を連ねていてね、それを読むのが個人的にブームになった時期があるんだよ。石森章太郎さんの『レオナルド・ダ・ビンチになりたかった』や赤塚不二夫さんの『ボクは落ちこぼれ』は読んだね。そんな中でも群を抜いて面白かったのが、水木センセイの『ほんまにオレはアホやろか』だった。これは今、新潮文庫になっているね。


ほんまにオレはアホやろか (新潮文庫)

ほんまにオレはアホやろか (新潮文庫)


戦争体験は勿論のこと、全員受かると言われるような学校に1人だけ落ちてしまったりとか、借金取りから逃げて時間つぶしをするエピソード、もっと細かい「バナナは腐って黒くなったほうが甘くてうまい」みたいな話に至るまで、どれも箆棒に面白くてね、ページをめくる手が止まらないんだ。あと、この本を読んで初めて、水木センセイが戦争で左腕を失くしているということを知った。数々の作品を、片腕で描いているということが衝撃だったね。



...と、主に小学校の頃の話を長々としてきたけれど、中学校〜大学あたりまでは、実はそこまで熱心に追い続けているとは言えない。『カランコロン漂泊記』とかは読んだりしているんだけどね。この時期は、どちらかというとゲームとか、あとは映画に熱中していた時期だ。
ただ、この時期に観た映画や、読み漁った映画関連の本から得た知識とかが、後々の自分のマンガの読み方にも少なからず影響を与えるのだから世の中判らないものだ。


映画への興味が少し落ち着いてきた時期、本格的にマンガの収集を再開し始めた。大学を卒業するかしないかの時期だったかな。その頃はマンガの蔵書数は500にも満たなかったが、今は推定で6000〜7000冊くらいだ。思えば遠くに来たものだと思うね。
映画にハマっていた時期もそうだったが、自分はどちらかというとクラシック志向みたいなのがあってね、昔の作品もちゃんと観たい・読みたいというのがある。当時、集めるのはどちらかというと文庫版・復刻版の名作に比重を傾けていた。必然的に、水木センセイの本を再び良く買うようになる。
自分の中で、再びブームが再燃した訳だ。


何を買ったのかって?...まずはちくま文庫から出ている水木センセイの著作は基本だ。あとは角川文庫版も集めたし、扶桑社文庫から出ている『その後のゲゲゲの鬼太郎』も買ったな。あとは、復刻版だと、太田出版から出た復刻シリーズ「QJマンガ選書」ってあるだろう?あれの最初を飾ったのが『定本・悪魔くん』、所謂「東考社悪魔くん」だ。余談だが、あのシリーズのきっかけになったと思われるのは徳南晴一郎『怪談 人間時計』なんだけど、あれはシリーズの0巻という位置付けになっている。
あのシリーズ、自分が収集を始めた頃はギリギリ書店に普通に置いてあった時期でね。何とか全部揃えることができたよ。装丁の関係で汚れやすいのが難点だけど、今も大事にしている作品群だ。


怪談人間時計 (QJマンガ選書)

怪談人間時計 (QJマンガ選書)


それにしても、角川系列ってどうして背表紙をコロコロ変えるんだろうね。角川文庫版、買っているうちに背表紙がマイナーチェンジしたりして、買い直す羽目に陥ったことが何度かあるよ。ライトノベルを良く読む方なら、角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫の装丁変更に歯嚙みしたことがあるんじゃないかな。電撃文庫も、一時期四角いバーコードが背表紙に付いたことがあったしね。


済まない、また話がずれてしまったね。
それで、また水木作品を読むようになる訳だが、そうすると、いろいろと気付くことがあるんだ。


ちくま文庫版を集めて読んでいて、何か違和感があったんだよ。まず収録順がまちまちで、年代順にはなっていない。まぁこれは何らかの編集方針なのかと思うんだけど、収録されていない話があるんだよ。
具体的に言えば「鬼太郎の誕生」。朝日ソノラマ版だと、確か5巻に収録されていた。それが、どこを引っ繰り返しても見当たらないんだ。ちくま文庫版の『鬼太郎夜話』の表紙は、墓場から出てきた赤ん坊の鬼太郎であるにも関わらず、だよ。更に言えば、その『鬼太郎夜話』じたいにも、誕生のシーンは描かれていない。これはいったい何だろう、って思うよね。


鬼太郎夜話 (ちくま文庫 (み4-16))

鬼太郎夜話 (ちくま文庫 (み4-16))


そして、確か世界文化社から出た『水木しげる貸本傑作大全』だったかな、これは確か定価9000円とかで、けっこう無理して買ったんだけど、これに収録された「鬼太郎」は、これまでに読んだどれとも異なったりする訳だ。



それで、先に挙げた『定本・悪魔くん』の解説を読んだり、それ以外にもいろいろと調べてみて、水木センセイの有名な作品、『鬼太郎』や『悪魔くん』、あと『河童の三平』もだね、実に様々なバージョンが存在することが判ってくる。貸本時代に描いたものや「マガジン」連載版、「ガロ」版、エトセトラエトセトラ。
更には竹内版、所謂「ニセ鬼太郎」の存在とかもかな。
貸本時代の作品には、数十万円レベルの値段が付いているものもある、とか。
それなりに読んだつもりであっても、いや読めば読むほど、水木作品の全貌が良く判らなくなっていくんだよ。いったいどれだけ描いているんだ、ほんとうに妖怪なんじゃあないか、ってね。


あとはそうだ、ある程度歳を重ねて読んで面白く感じるようになったり、昔読んだ時には見えなかったものが見えてくるようになる、というのもあるね。
さっき、最初に読んだ水木作品として講談社版の14巻の話をしただろう。あの巻には「死神」の話が収録されているんだ。ある日ねずみ男の元に死神がやってきて、「自分はねずみ男の兄だ」と説明して、ねずみ男はそれを信じるんだ。そして死神は言葉巧みに鬼太郎親子に取り入っていくんだが、実は死神は魔女と結託して、鬼太郎親子を亡き者にしようと目論んでいるんだよ。そしてねずみ男はそれをしらないまま、死神に協力してしまう。そして死神と魔女が倒されてしまった後、ねずみ男は妖怪たちから石を投げつけられたりして追放されるんだよ。最後にねずみ男が独り佇む姿と「おらあ孤独だ」の台詞。
このねずみ男の哀しみ。子供の頃にはまったく気が付かなかったんだよ。あの頃は、純粋に鬼太郎に仇なす嫌な奴、みたいに思っていたかもしれない。こういう、多様な読みを可能にさせるのが、長く愛される要因のひとつなのかもしれないな。


そうそう、ねずみ男を軸にして読むというのなら、「妖怪大戦争」も面白いぞ。日本妖怪と西洋妖怪の対決が描かれる訳だが、ねずみ男はそれに連れて行けと鬼太郎に頼むも、「半妖は役立たずだ」って却下されるんだ。それでも諦めきれないねずみ男は、鬼太郎一行の筏に、たらいにのって追いかけていって、何とか加えてもらえるんだよ。しかし西洋妖怪との対決で日本妖怪は次々と、あまりにもあっさり散っていく。そしてねずみ男は捕らえられ、敵側に洗脳されてしまうんだ。激しい戦いの末、日本側で生き残ったのは鬼太郎と洗脳が解けたねずみ男だけ。最後のねずみ男の台詞は後悔が滲んでいる。
何か力になりたいと願いながら、自分ではどうにもならない大きな力に翻弄されて、何の力にもなれないまま仲間は力尽き、自分は生き残ってしまった物語として読めるんだな。


あとはそうだね、「鬼太郎」にもいろいろなバージョンがあるということはさっき触れたけど、1970年代後半かな、「週刊実話」に掲載されたやつとか、同時期の短編とかが、また独特の雰囲気があって面白いんだよ。大人向けを志向した作品群っていうのかな、一言でいうと俗っぽい。鬼太郎がタバコふかしながらパチンコやったりしているし、野球したり女相撲みたいな話もあったと思う。一度読んでみると良いよ。
風刺的な作品もあったりしてね、これは先に挙げた『新ゲゲゲの鬼太郎』の、自分が持っていた巻に収録されていたんだけど、「終末株式会社」っていう短編がある。たぶん発表されたのは、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』が一大ムーブメントを巻き起こしていた時期だ。その風潮を、実に棘のあるユーモアをもって風刺した作品なんだ。これは自分のお気に入り作品の1つだよ。


さっき映画にハマっていた時期があるって言ったよね。いろいろ映画を観ていると、それをマンガに使っていたりするのが判って面白いんだよ。まぁこれは水木センセイだけじゃなく、石ノ森章太郎さんや藤子不二雄先生とかもよくやっているし、何も映画だけじゃないんだけどね。
石ノ森章太郎さんで言えば、『サイボーグ009』の「地下帝国ヨミ編」のラストシーンは元ネタがあるっていうのは有名な話だし、『原始少年リュウ』では映画『白鯨』のクライマックスを元にしている場面がある。藤子先生だと、『のび太の宇宙開拓史』でののび太ギラーミンの対決は『ヴェラクルス』っていう映画の決闘シーンのオマージュだ。『ヴェラクルス』については『まんが道』の中でも言及されているよね。


で、水木センセイだけど...『鬼太郎ベトナム戦記』っていう作品があるんだ。タイトルどおり、鬼太郎一行が戦争真っ只中のベトナムに行って、そこで背後に蠢めく妖怪たちを退治する話なんだけど、その作品のラストシーンは「ベトナム人の少女が、傷つきながらも赤い旗を掲げて前進していく」姿が描かれる。これね、たぶんだけど、旧ソ連を代表する映画監督の一人、フセヴォロド・プドフキンの代表作『母』のラストシーンがモデルになっている。ただこの作品、1926年の映画でね。ビデオすらなかった時代にどうやって知ったのか、未だに判らない。名画座とかでやったことがあるのかな。もしかすると、確か水木センセイのお父上が相当な映画好きだった筈だから、資料になるようなものを貰っていたのかもしれないね。
あとは、水木作品の戦記ものの傑作として知られる「白い旗」だね。この作品のラストは、ポーランド映画を代表する1作、『灰とダイヤモンド』を元にしている。


それ以外にも、元ネタとかの話は膨大に存在する。良く寝ることを座右に掲げていた水木センセイが、如何にしてこれら膨大な知識・情報を手に入れたのか。当然妖怪の資料収集とかもあるし、更には仕事量が尋常ではない。これは今でも不思議だね。



...と、まぁこんな感じで水木作品を集めたりする訳だけど、さっきも言ったように、知れば知るほど判らないことが増えていくような感じがするんだ。とにかくいろいろな媒体・出版社で、膨大な量の作品を手掛けているから、全貌が掴めない。全集が出て欲しい、そんな思いを持つようになるのはごく自然だと思う。
で、2013年になって遂に、全集の刊行が始まる訳だ。迷うことなく全巻予約をしたよ。
驚愕だったね。当然と言えば当然だけど、まだまだ知らない作品が、次から次へと出てくるんだ。資料・解説も充実していて、決定版に近い内容だと思う。毎月3日が発売日でね、最近の楽しみなんだ。


そう、これを書いている今日が、ちょうど3日だ。水木センセイが旅立たれて、最初の刊行ということになるかな。今日刊行されたのは『貸本版 墓場鬼太郎4』と『現代妖怪譚 全他』だ。『墓場鬼太郎』に収録されている「アホな男」に、「どうも冷静に考えてみますと こっちの世界の方がシャバよりもたのしいようですなア」という台詞があってね、思わず笑いが零れてしまったよ。



今後何十年経っても、作品の価値が減ずることはないし、読み継がれていくのだろうね。
今では自分も、多少はマンガが関連する仕事に席を連ねている。そうなった要因はいろいろあるだろうけど、小学校のときに『ゲゲゲの鬼太郎』を読んでいなかったら、別の道になっていたのではないかと思う。まぁ、今の仕事も相当大変だったりはする訳だけど、それはそれとして、水木作品を読むことができるというのは、幸福ではないかと思う訳だ。
だから、一足先に向こうに行かれたセンセイには、一言こう伝えるのが良いのかなと思うんだよ。



ありがとうございます。
これからもずっと、センセイの作品を読んでいきます。