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時折マンガの話をします。

『映像研には手を出すな!』のフキダシ

例によって仕事でやることが多く、絶賛更新停滞中です。
とは言えそればかりでは息が詰まりますので、気分転換も兼ねて何か書いてみようかと。


既に2月になりましたが、先月話題になったマンガのひとつとして、『映像研に手を出すな!』を挙げることができるかと思います。



自分の考える「最強の世界」をアニメで作りたい監督気質・設定大好きな浅草みどり、お金大好きプロデューサー気質の金森さん、カリスマ読者モデルでアニメーター志望の水崎ツバメ、この3人が高校でアニメーション制作目的で「映像研」を設立することから始まる物語です。
瑞々しさのある女子高生活とアニメ制作、そして浅草さんの思い描く世界(設定)が作中の現実と混じり合い、SF・ファンタジー的想像力に溢れる日々が描き出されています。主要キャラクターの高揚感が伝わってくるような演出が実に心地よく、個人的にもお薦めできる作品です。キャラクター造型も秀逸で、とりわけ金森さんが素晴らしいですね。


で、この『映像研に手を出すな!』、単行本発売直後に(少なくとも自分のTLを眺めた上では) twitter とかでもかなり話題になっていたのですが、その要因のひとつとして、フキダシの独特な演出があります。実例を2つほど挙げてみます。



(大童澄瞳『映像研には手を出すな!』1巻18ページ。)


浅草さんと金森さんが、追っ手(使用人)から逃げていた水崎さんの手助けをし、その際にイチゴミルクを被ってしまった水崎さんをコインランドリーに案内している場面です。主役となる3人が接点を持った直後のシーンですね。複雑に入り組んだ裏道、橋の上に建てられた家屋、魔都・魔窟といった趣のある雑然とした魅力、恐らくこういう世界観こそが、作者の大童澄瞳さんにとっての「最強の世界」なのかな、と感じたりもします。
ちょっと脱線しましたが、ここで注目して欲しいのがフキダシでして、一目瞭然かと思いますがフキダシ内の台詞にパースが付いています。これはこの作品の大きな特徴のひとつで、随所にこのようなパースの付いた台詞・フキダシが存在します。
個人的な印象では、パースが付いたことによりフキダシそのものは平面的なものとして(読み手に)認知されて、それによって背景に奥行きを感じさせるような、そんな演出になっているなと感じました。



(同書78ページ。)

大雨の中を歩いている場面になりますが、浅草さんの「凄い風だなこれ!ヒャッホーウ!声が流れてくぞ!」という台詞を、風に流されている形状のフキダシで描くことで、声が流れる現象を再現している訳ですね。これも面白い演出です。



ただ、実は個人的に最も気になったフキダシの演出はこれらではないのですな。上に揚げた2つの例に比べると非常に地味ではあるのですが、非常に洗練された技術ではないかと感じたフキダシの使い方があります。実際に使われているのがこちらとなります。



(同書8ページ。)

1人でのアニメ制作に躊躇している浅草さんと、周囲を観察している金森さん。その2人が喋っている最中、金森さんが水崎さんを発見する場面です。


注目して戴きたいのは今挙げた画像の2コマ目、金森さんの台詞「おや。」のフキダシです。
フキダシの右上に、切れ込みみたいなのがあるのが判るかと思います。



普通のフキダシは、1コマ目の浅草さんの台詞のように、フキダシの一部が尖っていて、その先端が話者に向けられています。
それに対して切れ込みが入ったフキダシは、切れ込みが入っている箇所の正反対方向からの発言を意味します。上の画像を例に挙げると、右上に切れ込みがあるので、左下が尖っているフキダシと同じ意味合いということになりますね。つまりこの場合、設定画を描いている浅草さんの左後方から掛けられた声ということです。
それを踏まえて、直前のコマをご覧ください。



(同書7ページ。)


柵を背に設定画を描いている浅草さん視点から見て、左後方に金森さんの顔があることが判るかと思います(柵から乗り出しているので若干後方になっている)。



他の例も挙げてみましょう。



(同書71ページ。)

風車のアニメーション制作をしている場面の1コマ。浅草さんが金森さんに、風の表現について説明をしています。水崎さんも近くにいます。切れ込みのあるフキダシは2コマ目に使われていますね。「なるほど。」と「ほう。」の2つ。これは共に右方向、つまり浅草さん視点の左側方向からの発言であることを意味します。1コマ目の位置関係から、この台詞も金森さんの発したものだということが判ります。
仮に水崎さんの台詞だったとした場合、浅草さんとの位置関係では正面に近いので、「なるほど。」「ほう。」のフキダシの上部に切れ込みが入っていたと考えられます。


コマに描かれない人物の台詞(フキダシ)が誰の台詞なのかを判断する場合、主に文脈(台詞の内容)とか文体(口調)で判断する訳ですが、この「切れ込みが入ったフキダシ」は別ベクトルからの判断基準を提供してくれる訳です。
別に普通の(先端が尖った)フキダシでも良いではないかという意見はあるかもしれませんし、まぁ概ね当たってもいる訳ですが、コマ枠の都合上見栄えが良くなかったりとか、複数の(コマ枠に描かれない)キャラクターが存在した場合とかを考えると、フキダシを削ることで位置関係を示すこの手法は非常に洗練されているなぁと考えたりする次第。


...まぁ実を言うと、この法則がすべてのフキダシにおいて適用されているかというとそうでもなかったりはするのですが*1、概ね上記のような使われ方をしています。これは使い方次第では、複数人がいろいろ台詞を発するような場面での構図・演出でかなり選択肢が広がるかもしれないなぁとか、素人考えですが感じたりもします。


フキダシにも注目しつつ、夏発売予定の2巻に期待ですね。
といったところで、本日はこのあたりにて。

*1:95ページ7コマ目とか。