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狂気を創り出すコマ割り:『ヒストリエ』10巻におけるアレクサンドロスの描写について

先日、待ちに待った『ヒストリエ』の新刊が発売されました。



9巻が出たのが2015年の5月なので、1年10ヶ月ぶりになりますか。
この巻では、前半は9巻において戦端が開かれた、マケドニア軍とアテネ・テーベ連合軍によるギリシア地方覇権を決する戦争(カイロネイアの戦い)の顛末が、後半ではマケドニア王・フィリッポスや重臣アンティパトロスの目論見により政治・軍事の世界に否応なく巻き込まれていくエウメネスが描かれます。


既に何度か繰り返し読んでいる訳ですが、ほんとうに素晴らしいの一言に尽きますね。様々な思惑が複雑に絡み合いつつ、広がりを見せていくストーリー、引き込まれます。既に次の巻が待ち遠しいですね。


で、先程前半ではカイロネイアの戦いが描かれる旨を書きましたが、そこで描かれるのは、この戦いで初陣を飾ったアレクサンドロスの姿です。後の英雄・アレクサンドロス3世ですね。
そしてアレクサンドロスの描かれ方ですが、天才性を持つと同時に只ならぬ狂気を孕んだ存在として描写されます。父であるフィリッポスをして「ヤツは病気だ」*1と言わしめるほどの。


ほんの僅か先の未来が「見える」という神懸かり、それに基づく常識では思いも寄らない行動、まったくもって異質な価値観・言動。アテネの兵隊が「白っぽい小柄のバケモノ」*2と認識してしまう異様な存在として描かれるのですね。


で、その異様さ・狂気を、マンガの特性といいますか、構造を巧みに利用して表現している箇所がありまして、それが非常に面白いなと思ったので軽く触れてみます。
既読の方はもうお判りかもしれませんが、こちらになります。



岩明均ヒストリエ』10巻96ページ。)


敵陣の切れ目を突き抜いて単騎でアテネ軍の背後に回ったアレクサンドロスは、敵の隊列を掻き乱すこと「のみ」を目的として、背後をテーベ軍側へと駆け抜けながら敵兵の首を次々に「撫で斬り」していきます。そして手持ちの剣がすべて使い物にならなくなると見るや、馬から降りて先程切り捨てて首から下だけになった兵隊のもとへ悠然と歩いていき、淡々とその亡骸の装備を外し、剣を調達していくのですね。
呆気に取られ、或いは理解不能な恐怖で身動き一つできずにいるアテネ兵を前に、アレクサンドロスは自らの武人としての心得・持論を滔々と展開し始めるのです。それが上のコマになる訳です。


このコマ、ぱっと見では明らかに違和感があります。何かに憑かれたかのような、正気ではないような印象を受ける。
しかしながらこれは、マンガならではの表現であると共に、読む側が狂気を勝手に見出してしまっているとも言える訳ですね。


これは、2つのコマを別々に見ると判ります。




それぞれのコマを単体で見ると、特に違和感を感じるものではないことが判るかと思います。ほんらいこの2つのコマは別個の存在といいますか、僅かではありますが異なる時間のコマなのですね。
また、描かれてはいない箇所を推測するかたちにはなりますが、恐らくそれぞれのコマ、描かれていない目の向きは、描かれているそれとほぼ同じ向きになっている。顔の左側が描かれているコマの右目は左側に寄り気味の筈ですし、同様に右側が描かれているコマの左目は下向きになっている筈なのです。


しかしながら、この別個のコマが左右に並ぶことで、読む側がこの2つの顔を1つの顔として捉えてしまう訳です。結果として、左右の目が異なる方向を向いていて且つ口許が中途半端に歪んでいるかのような、非常に違和感の強い、狂気を孕んだかのような顔として認識してしまう。非常に巧い演出だなぁと感じました。


複数のコマを繋げることで異なる意味が生じる、っていうのは、映画でいうモンタージュ理論っぽいところがありますね。それでいて、連続している僅かな時間の、特定の箇所を切り取って同じ面に並べて描くというのはマンガならではかもしれないなと思いました。


と、まぁそんなことを考え連ねていた訳ですが、そういったことを特に気にせずとも『ヒストリエ』は最高の面白さなので、まだ読んでいない方は是非ご一読を。2ヶ月に1冊くらいのペースでも、次の新刊が出る頃には恐らく追いつく筈です。


といったところで、本日はこのあたりにて。

*1:岩明均ヒストリエ』10巻135ページ。

*2:同書77ページ。