これまで長いことダイアリーのほうで書いていましたが、ダイアリーの新規登録の終了とかありますし、諸々の機能もこちらのほうに注力している感がありましたので、これを機に引っ越してみることにしました。
例によって仕事のほうが忙しいので更新頻度は低いですが、時折思いついたように何か更新するかと思いますので、今後はこちらのほうでよろしくお願いします。
先日、待ちに待った『ヒストリエ』の新刊が発売されました。
9巻が出たのが2015年の5月なので、1年10ヶ月ぶりになりますか。
この巻では、前半は9巻において戦端が開かれた、マケドニア軍とアテネ・テーベ連合軍によるギリシア地方覇権を決する戦争(カイロネイアの戦い)の顛末が、後半ではマケドニア王・フィリッポスや重臣アンティパトロスの目論見により政治・軍事の世界に否応なく巻き込まれていくエウメネスが描かれます。
既に何度か繰り返し読んでいる訳ですが、ほんとうに素晴らしいの一言に尽きますね。様々な思惑が複雑に絡み合いつつ、広がりを見せていくストーリー、引き込まれます。既に次の巻が待ち遠しいですね。
で、先程前半ではカイロネイアの戦いが描かれる旨を書きましたが、そこで描かれるのは、この戦いで初陣を飾ったアレクサンドロスの姿です。後の英雄・アレクサンドロス3世ですね。
そしてアレクサンドロスの描かれ方ですが、天才性を持つと同時に只ならぬ狂気を孕んだ存在として描写されます。父であるフィリッポスをして「ヤツは病気だ」*1と言わしめるほどの。
ほんの僅か先の未来が「見える」という神懸かり、それに基づく常識では思いも寄らない行動、まったくもって異質な価値観・言動。アテネの兵隊が「白っぽい小柄のバケモノ」*2と認識してしまう異様な存在として描かれるのですね。
で、その異様さ・狂気を、マンガの特性といいますか、構造を巧みに利用して表現している箇所がありまして、それが非常に面白いなと思ったので軽く触れてみます。
既読の方はもうお判りかもしれませんが、こちらになります。
敵陣の切れ目を突き抜いて単騎でアテネ軍の背後に回ったアレクサンドロスは、敵の隊列を掻き乱すこと「のみ」を目的として、背後をテーベ軍側へと駆け抜けながら敵兵の首を次々に「撫で斬り」していきます。そして手持ちの剣がすべて使い物にならなくなると見るや、馬から降りて先程切り捨てて首から下だけになった兵隊のもとへ悠然と歩いていき、淡々とその亡骸の装備を外し、剣を調達していくのですね。
呆気に取られ、或いは理解不能な恐怖で身動き一つできずにいるアテネ兵を前に、アレクサンドロスは自らの武人としての心得・持論を滔々と展開し始めるのです。それが上のコマになる訳です。
このコマ、ぱっと見では明らかに違和感があります。何かに憑かれたかのような、正気ではないような印象を受ける。
しかしながらこれは、マンガならではの表現であると共に、読む側が狂気を勝手に見出してしまっているとも言える訳ですね。
これは、2つのコマを別々に見ると判ります。
それぞれのコマを単体で見ると、特に違和感を感じるものではないことが判るかと思います。ほんらいこの2つのコマは別個の存在といいますか、僅かではありますが異なる時間のコマなのですね。
また、描かれてはいない箇所を推測するかたちにはなりますが、恐らくそれぞれのコマ、描かれていない目の向きは、描かれているそれとほぼ同じ向きになっている。顔の左側が描かれているコマの右目は左側に寄り気味の筈ですし、同様に右側が描かれているコマの左目は下向きになっている筈なのです。
しかしながら、この別個のコマが左右に並ぶことで、読む側がこの2つの顔を1つの顔として捉えてしまう訳です。結果として、左右の目が異なる方向を向いていて且つ口許が中途半端に歪んでいるかのような、非常に違和感の強い、狂気を孕んだかのような顔として認識してしまう。非常に巧い演出だなぁと感じました。
複数のコマを繋げることで異なる意味が生じる、っていうのは、映画でいうモンタージュ理論っぽいところがありますね。それでいて、連続している僅かな時間の、特定の箇所を切り取って同じ面に並べて描くというのはマンガならではかもしれないなと思いました。
と、まぁそんなことを考え連ねていた訳ですが、そういったことを特に気にせずとも『ヒストリエ』は最高の面白さなので、まだ読んでいない方は是非ご一読を。2ヶ月に1冊くらいのペースでも、次の新刊が出る頃には恐らく追いつく筈です。
といったところで、本日はこのあたりにて。
※タイトルにはやや誇張があります。
表現規制とかに関心が高い方は、東京都指定不健全図書・諮問図書について目を配る機会があるのではないかと思います。
月に1回(毎月10日前後)に東京都青少年健全育成審議会というのが開催されまして、その会において何作品か(通例1〜3作品ほど)「不健全な図書類」というのが指定されます。
その対象となる図書類は全年齢作品として販売されていた訳なのですが、その指定を受けると一般書店では回収がかかって見当たらなくなったりするのですね。
そしてこの指定を受ける作品、男性向けのみではなくここ何年かはBL作品も受けることが多くなってきています。
それでちょっと訳あって、指定を受けたBL作品を調べる機会があったので、以下にまとめてみます。指定を受け始めたのは2010年からになりますので、それ以降のデータになります。これ以前の指定作品があり、且つご存知の方がいらっしゃれば、ご教示戴ければ幸いです。
因みに作者名がないもので、ふつうの鉤括弧「 」は雑誌、二重鉤括弧『 』はアンソロジーになります。
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
以上、もしかすると幾つか漏れがあるかもしれませんが、調べた限りでは44作品になります。
そしてこう一覧を作成してみると、朧げに見えてくるものがあるといいますか。
まず、最初は特定の作品ではなく、雑誌やムック・アンソロジー類を指定していたことが判りますね。これに関しては、恐らくではありますがアタリをつけていたのではないかと考える訳です。複数の作品が収録されている雑誌やアンソロジーはそれに適しているといいますか、後々の作品ごとの指定に向けての試金石みたいな意味合いも含まれていたのではないか、と。
実際、2010年に『GUSHmaniaEX 特集 勃たない !?』が指定されている訳ですが、翌年に同じ出版社の作品が2つ指定を受けています。因みに作者の宮下キツネさんと青山あるとさん、共に『GUSHmaniaEX 特集 勃たない !?』にも参加しているのですね。
そして宮下キツネさんは(あくまで調べた限り、ではありますが)不健全図書の指定を受けた最初のBL作家さんになった訳でして、それ故なのか三度にわたり指定を受けています。3回指定を受けたのは唯一、宮下キツネさんのみ。
2回指定を受けた方というのは何名かいますね。藤井あやさん、東城麻美さん、座裏屋蘭丸さん。共通しているのは殆ど間をおかず続けざまに指定を受けているという点になります。一度注目?されると続けざまに...という傾向が窺える訳ですが、それぞれケースが異なるので個別にみていきます。
まずは藤井あやさんから。『男巫女』『桃色男子 檸檬編 〜檸檬と怜の章〜』の2作品で指定を受けている訳ですが、注目して戴きたいのは後者です。タイトルからある程度察することができますが、『桃色男子』は全4冊のシリーズで、「檸檬編」はその3冊目になります。1冊目は2007年、2冊目は2008年、4冊目は2012年3月に発売された訳ですが、これらは何れも指定を受けていないのですね。何故か3冊目だけ。
同様の傾向を窺える作品も別に存在しまして、佳門サエコさんの『先輩の水着』がそれにあたります。同様のコンセプトの『花嫁の水着』という作品が2016年1月に発行されていまして、こちらは特に指定は受けていません。
因みに『先輩の水着』に関しては修正を加えたうえで『水着彼氏。』と改題した作品が電子書籍版で読むことが可能です。
これらのことから考えられる可能性は、
といったところでしょうか。
続けては東城麻美さんですが、2007年にお亡くなりになっていまして、その後に初収録も含めたセレクションというかたちですね。いろいろと毀誉褒貶ある作家さんでもあった訳ですが、立て続けに指定を受けてしまったというのは何か複雑な気分になります。
そして座裏屋蘭丸さんですが、元々電子配信されていて非常に人気が高く、紙媒体で満を辞して出版したら指定を受けてしまった、というかたちです。又聞きにはなりますが、男性向けでも同様のケースは見受けられる模様です。
2作品が立て続けに指定を受けてしまい、これが影響しているのかは定かではありませんが、その次に出した作品『VOID』は完全受注生産且つ最初からR-18指定での出版、電子書籍版もあるとの話ですがそちらは修正が強く入っているとのことです(こちらも又聞きですが)。因みに『VOID』は非常に評価が高く、「このBLがヤバい!2017年度版」でも上位にランクインしています。
あと注目しておきたいのは、出版社の傾向でしょうか。
上の一覧を見て戴ければ一目瞭然ですが、圧倒的ジュネット(或いはマガジン・マガジン)率です。
全44作品のうち、15作品がジュネット。だいたい1/3ですね。2010年以降毎年指定を受けている唯一の出版社でもあります。
ジュネット、これは私見になりますが、BL系の出版社では最も突き抜けている印象でして、全身全霊で頭の悪いことをしている感があります(賛辞です、念の為)。6年ほど前にはなりますが、ジュネットの雑誌について軽く触れたことがあるのでよろしければそちらもご参照ください。
あとは、「ポロリ落とし」で画像検索をして戴ければある程度は納得してもらえるかな、と。元ネタとなる作品は、ジュネットから出ています。
それとは逆に、これまで指定を受けていない出版社の傾向もあります。一般コミックス(非BL・非成年向)を主軸に据えている出版社のBLレーベルは、指定を受けない傾向が強いですね。
例を幾つか挙げると、新書館(Dear+コミックス)・芳文社(花音コミックス)・幻冬舎(ルチルコミックス・LYNXコミックス)はかなり規模が大きいBLレーベルを持っていますが、これまで指定を受けていません。それより若干規模は小さい印象がありますが、集英社(EYES COMICS Blink)や白泉社(花丸コミックス)もそうですね。意外かもしれませんが、集英社(正確には集英社グループのホーム社)もBLレーベルを持っているんですよ。
ただこれもあくまで「傾向が強い」というだけで、竹書房はこれまでに3作品が指定を受けていますし、昨年11月には、初めてKADOKAWAが指定を受けているんですね。CL-DXというレーベルで、『純情ロマンチカ』や『世界一初恋』、『八犬伝 -東方八犬異聞-』に『SUPER LOVERS』等、アニメ化された作品も少なからず存在するレーベルです。どこの出版社が指定を受けるかは、今後も注目しておいたほうが良いかもしれません。
といったところで、あまりまとまっていない気もしますが、長くなったのでこのあたりにて。
例によって仕事でやることが多く、絶賛更新停滞中です。
とは言えそればかりでは息が詰まりますので、気分転換も兼ねて何か書いてみようかと。
既に2月になりましたが、先月話題になったマンガのひとつとして、『映像研に手を出すな!』を挙げることができるかと思います。
自分の考える「最強の世界」をアニメで作りたい監督気質・設定大好きな浅草みどり、お金大好きプロデューサー気質の金森さん、カリスマ読者モデルでアニメーター志望の水崎ツバメ、この3人が高校でアニメーション制作目的で「映像研」を設立することから始まる物語です。
瑞々しさのある女子高生活とアニメ制作、そして浅草さんの思い描く世界(設定)が作中の現実と混じり合い、SF・ファンタジー的想像力に溢れる日々が描き出されています。主要キャラクターの高揚感が伝わってくるような演出が実に心地よく、個人的にもお薦めできる作品です。キャラクター造型も秀逸で、とりわけ金森さんが素晴らしいですね。
で、この『映像研に手を出すな!』、単行本発売直後に(少なくとも自分のTLを眺めた上では) twitter とかでもかなり話題になっていたのですが、その要因のひとつとして、フキダシの独特な演出があります。実例を2つほど挙げてみます。
浅草さんと金森さんが、追っ手(使用人)から逃げていた水崎さんの手助けをし、その際にイチゴミルクを被ってしまった水崎さんをコインランドリーに案内している場面です。主役となる3人が接点を持った直後のシーンですね。複雑に入り組んだ裏道、橋の上に建てられた家屋、魔都・魔窟といった趣のある雑然とした魅力、恐らくこういう世界観こそが、作者の大童澄瞳さんにとっての「最強の世界」なのかな、と感じたりもします。
ちょっと脱線しましたが、ここで注目して欲しいのがフキダシでして、一目瞭然かと思いますがフキダシ内の台詞にパースが付いています。これはこの作品の大きな特徴のひとつで、随所にこのようなパースの付いた台詞・フキダシが存在します。
個人的な印象では、パースが付いたことによりフキダシそのものは平面的なものとして(読み手に)認知されて、それによって背景に奥行きを感じさせるような、そんな演出になっているなと感じました。
大雨の中を歩いている場面になりますが、浅草さんの「凄い風だなこれ!ヒャッホーウ!声が流れてくぞ!」という台詞を、風に流されている形状のフキダシで描くことで、声が流れる現象を再現している訳ですね。これも面白い演出です。
ただ、実は個人的に最も気になったフキダシの演出はこれらではないのですな。上に揚げた2つの例に比べると非常に地味ではあるのですが、非常に洗練された技術ではないかと感じたフキダシの使い方があります。実際に使われているのがこちらとなります。
1人でのアニメ制作に躊躇している浅草さんと、周囲を観察している金森さん。その2人が喋っている最中、金森さんが水崎さんを発見する場面です。
注目して戴きたいのは今挙げた画像の2コマ目、金森さんの台詞「おや。」のフキダシです。
フキダシの右上に、切れ込みみたいなのがあるのが判るかと思います。
普通のフキダシは、1コマ目の浅草さんの台詞のように、フキダシの一部が尖っていて、その先端が話者に向けられています。
それに対して切れ込みが入ったフキダシは、切れ込みが入っている箇所の正反対方向からの発言を意味します。上の画像を例に挙げると、右上に切れ込みがあるので、左下が尖っているフキダシと同じ意味合いということになりますね。つまりこの場合、設定画を描いている浅草さんの左後方から掛けられた声ということです。
それを踏まえて、直前のコマをご覧ください。
柵を背に設定画を描いている浅草さん視点から見て、左後方に金森さんの顔があることが判るかと思います(柵から乗り出しているので若干後方になっている)。
他の例も挙げてみましょう。
風車のアニメーション制作をしている場面の1コマ。浅草さんが金森さんに、風の表現について説明をしています。水崎さんも近くにいます。切れ込みのあるフキダシは2コマ目に使われていますね。「なるほど。」と「ほう。」の2つ。これは共に右方向、つまり浅草さん視点の左側方向からの発言であることを意味します。1コマ目の位置関係から、この台詞も金森さんの発したものだということが判ります。
仮に水崎さんの台詞だったとした場合、浅草さんとの位置関係では正面に近いので、「なるほど。」「ほう。」のフキダシの上部に切れ込みが入っていたと考えられます。
コマに描かれない人物の台詞(フキダシ)が誰の台詞なのかを判断する場合、主に文脈(台詞の内容)とか文体(口調)で判断する訳ですが、この「切れ込みが入ったフキダシ」は別ベクトルからの判断基準を提供してくれる訳です。
別に普通の(先端が尖った)フキダシでも良いではないかという意見はあるかもしれませんし、まぁ概ね当たってもいる訳ですが、コマ枠の都合上見栄えが良くなかったりとか、複数の(コマ枠に描かれない)キャラクターが存在した場合とかを考えると、フキダシを削ることで位置関係を示すこの手法は非常に洗練されているなぁと考えたりする次第。
...まぁ実を言うと、この法則がすべてのフキダシにおいて適用されているかというとそうでもなかったりはするのですが*1、概ね上記のような使われ方をしています。これは使い方次第では、複数人がいろいろ台詞を発するような場面での構図・演出でかなり選択肢が広がるかもしれないなぁとか、素人考えですが感じたりもします。
フキダシにも注目しつつ、夏発売予定の2巻に期待ですね。
といったところで、本日はこのあたりにて。
*1:95ページ7コマ目とか。
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、『ハイスコアガール』の新旧比較が過去最高のブックマーク&1日での最高アクセス数になったり、アクセス総数がようやく200万を超えたりもしたのですが、8月以降は主に仕事関連のほうでいろいろと立て込みまして、心身ともにけっこうしんどい状況が続いたために5ヶ月以上サイト放置のまま年を越してしまうことになりました。
今年も忙しいことは変わらないでしょうし、相変わらず更新頻度は低いかもしれませんが、昨年より上向きにしていきたいとは思うところです。
それ以外としては、部屋がいい加減危険域(本の量的に)なので、部屋の片付けと電子書籍への移行を本格的に進めて行かねばならんかなという感じです。むしろ更新よりもそちらの優先度が高いかも。
相変わらず更新頻度が低いままという状況ではありますが、今年も宜しくお願い致します。
昨年は8月以降はまったく更新ができなかった訳ですが、まぁそれなりにはマンガは読み続けていましたので、2016年に読んだ作品で印象に残ったものを幾つか挙げてみようかと思います。
昨年末に参加したオフ会で5作品ほど挙げてみたのですが、それに少し追加しつつちょっとコメントを加えてみる感じですね。その際の様子は、以下のリンク先をご参照ください。
では早速開始。
ノー・ガンズ・ライフ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
大戦を経て、身体の一部を機械化した「拡張者(エクステンド)」と呼ばれる人間とそうではない生身の人間が共存するようになった世界を舞台とした作品です。
そんな世界で、拡張者にまつわるトラブル処理を生業とする「処理屋」をやっている乾十三が主役なのですが、彼の造形があまりにも秀逸といいますか、頭部が拳銃なのですね。
そして彼は「拡張者を遠隔操作できる技術」を持つ少年を保護したことから様々な事件・陰謀に巻き込まれていくことになる訳ですが、この作品、とにかくアクションから台詞回しから非常にスタイリッシュで素晴らしいです。
『死人の声をきくがよい』で知られるうぐいす祥子さんの、初期作品になります。昨年、単行本未収録だった回も含む完全版として復刊しました。
『死人の声をきくがよい』の原型とでもいいますか、恐怖・怪異が日常を侵食していく感じや、難を切り抜けるも根本的な解決は置き去られたままで絶妙な後味の悪さを残す読後感、まだ恐怖はそこに在り続けているという感覚、これぞホラー!という作品です。
ガールズ&パンツァー リボンの武者 1 (コミックフラッパー)
これは昨年自分が『ガールズ&パンツァー』に大いにハマったことも要因としてありますね。戦車道がない高校に通う少女が、大洗学園の優勝に触発されて非公式の戦車戦「タンカスロン」を始めて周囲に波紋というか影響を及ぼしていく、という内容です。
いわゆるスピンオフ作品になる訳ですが、この作品の興味深いところは、(他のスピンオフもそうかもしれないのですが)二次創作で描かれるような独自設定・解釈を作品に取り込んで作品に昇華させているように感じるところですね。逸見エリカとかとりわけそういうふうに見える(と個人的には感じる)。
絵柄・台詞回しともに非常にクセがある作品なので好き嫌いは分かれるかもしれませんが、ハマる人はハマると思います。
上記リンク先でタイトル間違っていました。少々こっ恥ずかしいです。
戦後間もない時期を舞台にした、家族を皆殺しにされた少女の復讐譚です。掲載媒体「やわらかスピリッツ」との齟齬が光ります。
確か単行本発売前後に「劇画の復権はここから始まる」という惹句を目にした記憶があります。個人的に劇画を劇画たらしめるものに「戦争(この場合太平洋戦争)を引き摺り続けている人物が中心となっていて、それが作品全体に陰影を与えている」というものがありまして(必須ということではないです。『ゴルゴ13』とか白土三平作品とか例外を挙げるのは容易です)、そういう意味では実に劇画だな、と思う次第。
闇市や焼け跡の混沌とした雰囲気、飛び散る血飛沫と内臓、人間離れした生命力と理性の崩壊をもたらすクスリ等、まさしくエログロナンセンス・カストリ雑誌的な描写に溢れています。
『GUNSLINGER GIRL』でも知られる、相田裕さんの新作。元々は同人誌で発表していた『バーサスアンダースロー』という作品のリメイク版になります。
高校での生徒会活動を描く作品なのですが、この生徒会に所属する複数名(もしかするとほぼ全員かも)が何らかのかたちで挫折を経験していて、「自分の夢を掴めなかった人が、どう自分と折り合いを付けて別の生き方を見出していくのか」が描かれています。自分も年をとったのか、こういう題材が非常に心に沁みてくる訳ですな。
ここからはリンク先からは漏れた枠です。
BD(バンドデシネ)作品です。作者のタルディはBDの巨匠のひとりに数えられる方とのことですが、作品の翻訳は殆どなく、代表作にも数えられるこの作品はようやく昨年翻訳が出ました。
第一次世界大戦の最前線が、複数の一兵卒の視点から描かれていく作品なのですが、この作品の特徴として挙げられるのは、マンガ的な演出を可能な限り排除したマンガというところ。コマ割りは(一部例外を除き)単調な3段コマのみ。『Dreams』よりも単調。戦争を題材としながらも、オノマトペ(擬音)や集中線といったものも描かれない。更には、フキダシすら非常に少ない。四角い枠で囲まれたモノローグが殆どを占めています。
内容としては実にショッキングでありながらも非常に静的な構成になっていまして、読み進める際には一つ一つのコマとじっくりと向き合っていくかたちになります。淡々と積み重ねるように描かれる、死と隣りあいの塹壕での日常。読むとかなり体力を削られるような感覚がありますが、普段読むようなマンガとは違った読書体験が得られると思います。
卯月妙子さんの新刊です。
タイトルが示すとおり、前作『人間仮免中』の続き、その後の日々が描かれています。
前作については、4年半ほど前に長めの感想を書いているので、よろしければそちらも併せて。これまでに書いたものの中でも、かなり時間を掛けたものでもあります。
詳細は割愛しますが(余裕があれば別の機会に)、業火に呑まれ続けながら生きてきたような卯月妙子さんが、その彷徨の果てに遂に辿り着いた地平とでも言いますか。そこに辿り着けたことが、只々嬉しい。そんな作品です。
他にもいろいろありますが、このあたりで一区切り。
今年も面白いマンガを出会えるといいな、と考えつつ、本日はこのあたりにて。
先日、『ハイスコアガール』の6巻が発売されました。
ハイスコアガール(6) (ビッグガンガンコミックススーパー)
SNKプレイモアとの諸々のトラブルならびに和解を経ての、実に2年7ヶ月ぶりの新刊となります。万感の思いといった趣がありました。
それに合わせて、絶版状態になっていた既刊1〜5巻に関しても、『ハイスコアガール CONTINUE』と改題されて同時発売。各巻に新規描き下ろしエピソードが収録されている他、加筆修正も加えられているとのこと。
そして気になってしまうのが、どのような加筆修正が加えられているのかという点です。そんな訳で、些か下世話なのかもしれませんが調べてみることにしました。
既刊箇所ではありますが内容にも少なからず触れますので、以下の文章は収納しておきます。読み進める際にはご注意ください。
続きを読む今月始め、「エレン・ベーカー先生」がずいぶんと話題になりました。
東京書籍が出している中学英語の教科書『NEW HORIZON』の、平成28年度版に登場するキャラクターです。「教科書」から連想されるやや堅苦しい印象とは正反対の、何とも可愛らしい絵柄が twitter で話題となりみるみる内に広く拡散、pixiv とかでも二次創作イラストが次々と描かれ...という経緯をご存知の方も多いかと思います。自分の twitter や tumblr でも、ずいぶんとエレン先生を見掛けたものです。
またそこからの派生といいますか、権利者へ二次創作に関しての問い合わせをして、それに対しての異論反論が...という騒動があったことをご存知の方も少なからずいらっしゃるかと。詳細はこのあたりをご参照戴ければと思います。
騒動を受けて、東京書籍からもコメントが出ました。
エレン先生のイラストを担当した電柱棒さんも、時期を同じくして twitter を開始していますね。
現時点では騒動も収束してきたといいますか、ずいぶんと話題も落ち着いてきたなという印象があります。瞬間的に大きな盛り上がりを見せ、数日経って落ち着きを見せていく傾向は、一昨年・昨年と話題になった「ゼミママ」とか「ヘスティアの紐」とかに近いなと思います。
さて、一連の騒動をざっと触れてみた訳ですが、それらを眺めて感じたのが、「二次創作しか存在しない、原典不在に近い状況だな」ということです。ファンアート・二次創作・それらについての持論・言説的なものは無数にあるものの、オリジナルがあまり見当たらないように感じた訳ですね。
そこで、
(『NEW HORIZON English Course 1』22ページ。)
実際に買ってみました。( ^ω^ )
因みにこちらは、Unit 1 、いちばん最初の課になります。エレン先生が自己紹介をしているイラストですが、やはり「教科書」で漠然とイメージする図像とは一線を画する印象がありますね。
こちらが購入した『NEW HORIZON English Course』の 1〜3 になります。
実際に目にして思ったのが、「予想より大きい」ということでした。自分の記憶では『NEW HORIZON』ってA5版(年齢がバレる可能性あり)だったのですが、それより一回り大きいですね。
そして実際にページをめくってみると、いろいろと気が付くこともあります。
端的に言ってしまうと、電柱棒さんのイラストは思ったほど多くありません。
実際に目にするまでは、教科書全体に電柱棒さんが描くイラストが溢れているのかなと思っていた訳ですが、そうでもない。違うタイプのイラストも多数収録されているのですね。
幾つか挙げてみましょう。
教室内で使われる英語を解説しているイラストになります。
こちらのイラストは、前述の「漠然とイメージする」イラストに近いですね。
別イラストです。
ちょっと絵本っぽさを感じるタッチになっています。
(『NEW HORIZON English Course 2』86ページ。)
こちらは落語の「饅頭こわい」を英語に翻案した文章に添えられたイラストになります。イラストもアメリカンな絵柄になっていますね。
(『NEW HORIZON English Course 1』129ページ。)
個人的にかなり気に入っているのがこちらです。
宮沢賢治の代表作のひとつ『注文の多い料理店』の英訳に添えられたイラストなのですが、ちょっとロバート・クラムっぽさを感じさせるアクの強い筆致が良い味わいを醸し出しています。
このように多種多様なイラストが混在している訳でして、エレン先生を始めとする電柱棒さんが描くイラストは思ったほど多くはない。
と、言うだけでは説得力がやや薄いかなと感じたので、数えてみました。( ^ω^ )
全体のページ数と電柱棒さんのイラストが使われているページ数、ならびにエレン先生が登場するページ数は以下のとおりになります。パーセンテージも併記しておきます。
如何でしょうか?
数え間違いがあるかもしれませんし、パーセンテージに関しては四捨五入をしていたりする関係で若干ズレがあるかと思いますが、これに近い数字だと思います。個人的には、予想以上に低い数字と感じました。
とりわけ、『NEW HORIZON English Course 2』にはエレン先生はまったく出てこないんですね。これは、この巻では生徒たちのホームステイが中心に描かれることが原因なのですが、ちょっと予想外でした。
1〜3全体を通してみても、総ページ数451に対し電柱棒さんのイラストが掲載されているのは62ページ(約14%)、エレン先生登場ページは18(約4%)と、決して多くはない印象を受けました。
やはり、実際に確かめてみないと判らないことはあるな、と強く感じた次第です。
ところで、学校教科書は普通の書店や Amazon では取り扱っていないので、ちょっと入手が難しいです。買い方は概ね、以下のとおりになります。
だいたいこんな感じになります。自分の場合は取り寄せでした。
傾向としては、地元に昔からある「町の本屋さん」的なところで取り扱っているケースが多いのでしょうか、書店一覧に「有限会社」を度々見掛けますね。
3冊買って1000円もしないので、関心のある方は買ってみるのもありではないかと思います。
それではずいぶん長くなったので、本日はこのあたりにて。
『チャージマン研!』のことをご存知でしょうか?
1974年(1973年説もあり)に放映されたアニメ作品です。いわゆる10分アニメでして、全65話放送。
未来の日本の小学生・泉研が「チャージマン研」に変身し、地球を守るために魔王率いるジュラル星人と戦いを繰り広げる...というストーリーです。
ただこの作品、超過密スケジュール且つ超低予算で作られたらしく、その結果として非常に「独特な」演出が随所に見受けられます。あと10分アニメ故でしょうか、展開が凝縮され過ぎていると言いますか、早い話が超展開になりやすく、結果的に唯一無二の世界観が立ち現れてしまっている作品です。
長らく忘れ去られた作品であったのですが、2000年代になってその作品世界に再注目を浴びることになり、YouTube やニコニコ動画とかを中心に(恐らく局所的に、且つ熱狂的な)話題を呼び、グッズ類がいろいろ作られたりDVDが発売されたりもしています。最近だと、 LINEスタンプも出ましたね。(^ω^;)
どんな作品かは、現物を観て戴くのが最も判りやすいかと思います。
上3つはとりわけ狂気を感じる衝撃的且つ有名な回(ニコニコ動画コメント付)ですが、YouTube のキッズステーション公式チャンネルでも配信中なのでこちらも併せて。
そんな『チャージマン研!』ですが、先日書店を散策していたところ、このようなものを発見しました。
まぁ当然、見つけた瞬間に手に取っていますよね。
A5版(4コマ系と同じサイズ)で100ページ少々で1700円という値段でも迷わずレジに向かっていきますよね。
『チャージマン研!』コミカライズ版。
何でもアニメ本放送時、つまり1974年頃ですが、秋田書店の「冒険王」と徳間書店の「テレビランド」に掲載されていたとのこと。恥ずかしながら自分はまったく存在じたいを知らず、「そういえば復刊ドットコムで名前が挙がっていたような気も...」という朧げな記憶しかありませんでした。
実際長く復刊(?)希望の上位に食い込み続けていて、紆余曲折を経て遂に先日復刊を果たした模様です。
この『チャージマン研! コミックス&トレジャーズ』には、「冒険王」「テレビランド」掲載のチャー研がすべて収録されている他、『チャージマン研!』の解説・復刊に至るまでの経緯・放映年の検証・調査の際に発掘された貴重なグッズ・資料類も収録されています。更にはとりわけ有名な、上で取り上げた3話(コメント付のほう)の絵コンテ抜粋も掲載。資料的な価値も高い1冊となっています。
ほんの少しだけコミカライズ版の画像を。
(みやぞえ郁雄 ほか『チャージマン研! コミックス&トレジャーズ』11ページ。)
「冒険王」版第1話の扉ページの一部になります。描かれているのは研と妹・キャロン。
何故「研」の妹の名前が「キャロン」なのかとか考えてはいけません。感じるべきです。
因みにアニメだと研の髪はやや茶色く、キャロンに至っては完全に金髪なのですが、「冒険王」版では何故かどちらも純和風の黒髪。キャロンという名前に対して圧倒的な違和感が生じていますが考えてはいけない、そういうものだと思います。
研がジュラル星人と戦うときに「そうはいかぬ」とか「そんなものスカイロッドにきかぬ」とか、*1小学生にしてはやけに古風な、渋い言葉遣いをしたりするのもご愛嬌。
ストーリーは意外と、というと語弊があるかもしれませんが、やや駆け足感はあるものの思った以上にちゃんとしている印象があります。第3話が個人的にお気に入りですね。
作者のみやぞえ郁雄さんはこれ以前にもコミカライズを多数手掛けておられるようですので、馴れたものだったのかもしれませんね。
因みにこの絵柄、妙に劇画っぽいなと思ったりした訳ですが、やはりというか何といいますか、その後麻雀劇画も描いたりしておられるようです。とりわけ『風の雀吾』は怪作として名高いようですな。因みに未だ現役で、現在は学習まんがを中心にご活躍されています。
こちらは「テレビランド」版。
同じ雑誌に掲載されたものでありながら、途中で作者交代がされています。第1〜2回は嵐清孝氏、第3回以降はもりを竜氏。こちらでは研の髪に色が塗られていないです。
このご両名に関しては殆ど情報がないようですが、絵柄的には、嵐氏はみやぞえ郁雄さんほどではないですが、若干の劇画っぽさを線に感じたりします。輪郭の濃淡とかですね。
もりを氏は、手塚治虫的な線に思えます。身体を描く際の流線が滑らかなんですよね。
因みに「テレビランド」版は、1回につき基本2ページで事件発生〜解決までを描くので、演出的にはかなりアニメの『チャージマン研!』に近いです。やっつけ仕事感を存分に堪能できるのはこちらです。
そして絵コンテですが、個人的にいちばん驚いたのがここでして、恐らく最も有名な第35話「頭の中にダイナマイト」の絵コンテを担当しているのが、坂口尚さんなんですよ。
マンガの歴史に燦然と輝く名作『石の花』や『VERSION』、『あっかんべェ一休』等を描かれた坂口尚さんですね。
最初は虫プロダクションのアニメーターとして活動されていて、フリーになってからはマンガ家と並行して活動をして、次第に軸足をマンガのほうに移していった訳ですが、並行して活動していた時期に担当されていた模様。
24時間TVの『バンダーブック』の件といい、この『チャージマン研!』の絵コンテ担当といい、アニメーターとしての坂口尚さんはほんとうに修羅場を潜り抜けているのだなぁ、と感じ入った次第です。むしろ、圧倒的に時間が足りずとも完成させられる力量だからこそ、抜擢されたのかもしれないですね。
長くなってきたのでこのくらいで一区切り。
実に貴重な1冊だと思うので、『チャージマン研!』にご興味のある方は読んで損はないと思います。
といったところで、本日はこのあたりにて。
先日、良いコミックさんによる年1回の恒例記事、「この装丁がすごい!」2015年版が公開されました。
今年もたいへんな力作で、読んでいて圧倒されました。
取り上げられる作品の量もさることながら、ジャンルの幅広さも驚異的でして、新規開拓をしようとする際にも実に参考になる企画でもあると思います。「装丁」という視点を軸とした解説も秀逸で、かなりの長文であるにも関わらず惹き込まれてしまいます。
という訳で、と言いますか何と言いますか、ちょっと自分も何か書いてみたくなったので、尻馬に乗るようなかたちで装丁が面白いなと感じた作品を紹介してみようかと思います。
その作品が記事タイトルでも触れた、伊図透さんの『銃座のウルナ』です。
『銃座のウルナ』は「コミックビーム」で連載されているSF作品です。
舞台となるのは、風雪吹き荒ぶ島・リズル。その島に狙撃兵としてウルナ(♀)が赴任するところから、物語は始まります。
ウルナが生まれ育った国・レズモアは、隣国エコールと交戦状態にあります。ある理由から、ウルナはレズモア・エコール間の最前線への赴任を強く望みますが、送られた場所はそことは大きく隔絶したリズル島。そこにはヅードという蛮族が生息しており、その蛮族との紛争も発生している。
もうひとつの最前線とも言えるその島で、ヅードとの戦いを通じてウルナが見たものとは...という筋立てとなっています。
作者の伊図透さんは、これまでに『ミツバチのキス』や『エイス』といった作品を描いていますが、個人的な印象では、独特のイマジネーションに溢れる「異形」の描写が見事だな、と思っています。
『銃座のウルナ』におけるヅードの造型とか、ちょっと只事ではないですよ。今後の展開も含め非常に気になる作品なので、ご興味のある方はご一読を。
そしてこの本の装丁が、実に独特なんですね。
上の画像を見て、気づかれた方はいるでしょうか。Amazon の画像で、帯付のものってけっこう珍しくないでしょうか?
『銃座のウルナ』の画像が帯付なのはちゃんと理由がありまして、一言で答えてしまえば「これは帯ではない」んですね。
何を訳の判らぬことを、と思われるかもしれませんが、実際にご覧戴くのが判りやすいかと。
こちらが現物。
これだとちょっと判りづらいので、近くに寄った写真を見てみましょう。
隙間があるのがお判りでしょうか?
最初にシュリンクを破いて手に取ったとき、あれ?天地両方に帯が付いているのか?とか思ったのですが、ちょっとカバーを手に取ってみると、それも違うということが理解できるのですね。
カバー折り返し部分。
繋がっているのです。帯に見えたものは、1枚のカバーの天地部分を折っている部分なのですね。喩えるなら、「書店で掛けてもらうブックカバーの裏表を逆にした状態のもの」が単行本カバーになっているとでも言いますか。
そしてこのカバー、広げてみると...
イラストの全体像が現れる、という仕掛け。
裏側はこんな感じ。
「銃座の」と「ウルナ」が反対側になっているのが判るかと思います。これを折り返して巻き付けることで、Amazon の画像・或いは最初に上げた写真のようになる訳です。
単行本のカバーは裏表で紙質が違うと言いますか、基本的に表紙側のみ加工されていますので、実際に本を手に取ったときの手触りが、天地部分(タイトルが記載されている箇所)と真ん中のイラスト部分では違う。この感触の違いも面白いなと感じたりします。
最近は家の中を本が圧迫しつつあり、電子書籍への移行もちょっと本格的に考えないといかんなと思っていまして、少しずつ進めている最中です。
やはり場所を取らないのは電子書籍の大きな利点なのですが、こういうのがあるから、紙の本は完全には捨てられないなとも思ったりしています。
といったところで、本日はこのあたりにて。