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時折マンガの話をします。

『深夜食堂』の、読者を作品世界に引き込む技巧

再び『深夜食堂』について書いてみます。

深夜食堂 1 (ビッグコミックススペシャル)

深夜食堂 1 (ビッグコミックススペシャル)

この作品の感想は4つほど前の記事に書いていますが、今回はちょっと視点を変えてこの作品で用いられている技巧についてです。
比較的珍しい技巧を、実に自然なかたちで使っているのですよ。


どういう技巧かというと、「作中のキャラクターが読者に語りかけてくる」というもの。
この作品の場合だと、狂言回し的な位置付けのマスターが読者に向けて話し掛けてきます。

有名どころでは、日野日出志さんの『地獄の子守唄』とかアート・スピーゲルマンの『マウス』とかを挙げることができるかと思います。白土三平さんの『カムイ伝』とかに頻出するナレーションとかも該当するでしょうか。
最近だと、『ひぐらしのなく頃に』の「罪滅し編」にも(幾分遠回しながら)見ることができます。

ただこの手法、使いどころが難しいように感じます。
現実と虚構を侵犯するということでメタフィクション的な使われ方もする訳ですが、使いどころを誤ると作品世界を壊してしまう可能性もある。
世界観が完成されていればいるほど使いづらいのかもしれませんね。(作り手側が自覚的に使う場合もあるでしょうが。『ひぐらし』とかはたぶんそう。)


で、『深夜食堂』です。
この作品での「読者への語り掛け」は実に自然です。
軽く流し読みとかだと、気付かない可能性すらあると思います。
実際僕も、最初に読んだ際は殆ど意識しなかった訳で。

フォントを変えているのですよ。

深夜食堂』では、主に2種類のフォントが用いられています。
1つは「石井太ゴシック+中見出しアンチック」。マンガのフキダシ等で主に用いられているのはこのフォント。
もうひとつが・・・名称が判りません。(ノД`) 「織田特太明朝」を細くしたような形状です。マスターの独白箇所(心の中での台詞)にはこのフォントが使用されています。*1

で、ここがポイント。
マスターが何か台詞を言っている箇所で、フキダシ内部の文字が後者のフォントになっているところが幾つか存在するのですね。
そのフォントは、マスターの独白で使われる。つまりその台詞は、作中の他のキャラクターは知ることがない台詞です。読者のみが窺い知ることができる台詞な訳です。
で、その同じフォントで何かしら喋っている。そしてそのコマでは、マスター以外の人物が描かれることはありません。
つまりそこが「マスターが読者に語り掛けている」ところになります。

マスターのみがコマに描かれて何か喋っているという箇所はたくさんあります。その中には作中の別のキャラクターに何か喋っている(その場合は「石井太〜」のフォントが使われます)場合も多いです。
そんな中でさりげなくマスターは僕ら(読者)に向かって語り掛けてきます。
まったく話の流れを断ち切らない、実に自然なかたちでこの技巧が使われているのですね。


深夜食堂』は食べ物が題材になりますので、思わず相槌を打ちたくなったり異論を唱えてしまいたくなったりする箇所が少なからずあります。
赤ウィンナー炒めを見て「おぉ懐かしいなぁ!」と思ったり、ごはんにかつぶしと醤油をかけた「猫まんま」に「猫まんまって、ごはんに味噌汁をぶっかけたやつじゃないの?」と思ってしまったり(地方によって違うのでしょうか)、「アジフライにはソースだろ!」と心の中で叫んだり。

読者はいろいろと感想を心の中に抱いて、作中のマスターも話し掛けてきて。
コミュニケーションっぽいものが立ち現れる。
言い換えれば、読者も「深夜食堂」の客のひとりになっているという訳ですよ。


フォントひとつ取ってみても、多様な表現が可能だということが判ります。
個人的にはフォント、或いは文字そのものがマンガの雰囲気を作り上げる際に大きな影響を持っていると考えています。このあたりはもっと深く調べてみたいところですね。


参考記事:マンガの書体の問題漫棚通信ブログ版さん。上の双葉写植さんのサイトもこちらで知りました)

*1:有限会社双葉写植さんのサイトを参照させて戴きました。