今更ながら、『ヨイコノミライ』に関連してあれこれと。
読んだのは何ヶ月か前なのですがね。
- 作者: きづきあきら
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/09/29
- メディア: コミック
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高校の漫研を舞台とした、いわゆるオタクの生態の、かなり「負」の側面を真正面から描いている作品です。『げんしけん』とは正反対のアプローチでオタクに迫っていると言えますね。
読んでいて「痛い痛い痛い」と感じてしまう描写も(主観的・客観的共に)少なからず。
こういう感情を引き起こさせる作品が、名作と呼ばれるものなのだろうと思います。
因みにこの作中に、サイト・ブログ等でよく引用される台詞があります。
僕も引用してみます。
気楽なもんね。自称批評家さん。
批評っていうのは感想文でも、
作者への意見書でもないわよ。(中略)
誠意があるんなら、
セリフのむこうの作者探しや他の作品とのくらべっこばかりしてないで、
内容そのものに興味を持ったら?(中略)
私、本当の批評家は大好きよ。
作品への新しい読み方を提示して、
作品と作家と読者に、
新しい道を拓いてくれるから。(『ヨイコノミライ 完全版』4巻150〜151ページ)
う〜む、痛い。
自分でもマンガの感想を書くこと少なからずなので、余計に痛く感じるのかも。
(まぁ最近は、買ったマンガを列挙するだけの日も多いですが。)
やはり考えさせられる台詞ということでしょう、お気に入りのブログでも以前取り上げられていました。
その記事も考えさせられること大だったので、僕も非力を顧みず「感想」と「批評」について書いてみようかと。
まず思うのは、感想と批評は明らかに別モノながら明確な線引きがある訳ではないということ。
例えとして適切かどうかは判りませんが、RPGのフィールドで例えると『MOTHER』みたいな感じで『DQ』や『FF』ではないといったところ。秋葉原と神田と言ってもいいですかね。この2箇所の雰囲気は明らかに違うけどある地点を境にガラリと、というのではなく段々と変わっていくと思う訳です。
批評に近い感想もあるでしょうし、批評を銘打っておきながらケチをつけているだけのようなものもあるでしょうし。
問題をややこしくしているのは、感想・批評共に出発点は同じというところかと。
マンガなりアニメなり小説なり、何らかの作品に感じるところあって書く訳ですからね。
つまり「感じるところ」をどのように書くかによって「感想」か「批評」かが分かれてくる。
で、それらを分けるものは感情的な文章と論理的な文章の度合いではないかと。
更に書くと、「どのように」という説明が含まれている度合いかなと思います。
例えば、「○○の場面が良かった」なら感想。
「○○の場面は××の△△な感情が描かれていて良かった」なら(少なくともある程度は)批評かな、と。出発点(○○の場面)と結論(良かった)に至るまでにどのくらいの論理を展開しているかと言い換えてもよさそうです。
単に長く文章を書いていればいいという訳でもない気がします。
内容を逐一引用・説明しているだけなら批評ではないですからね。
自分の抱いた感情を、どれだけ自分の言葉で論理的・且つ的確に書いているかが重要ということだと思います。
更には、「論理的・感情的」の軸とは別に、「肯定的・否定的」の軸もあります。
この2つを合わせて考えると、また複雑になってきます。
あくまでこれは個人的な考えですが、
- 「論理的・肯定的」:批評
- 「論理的・否定的」:批判
- 「感情的・肯定的」:崇拝
- 「感情的・否定的」:非難・罵倒
と考えるとある程度しっくりくるように思います。
その4つの領域の中間に「感想」が広がっているようなイメージですか。
で、それらを十把一絡げで「批評」と捉えてしまうとややこしいのかな、と。
『ヨイコノミライ』の天原(冒頭の引用を言われたやつです)は基本的に非難・罵倒ばかりしている非常に痛いキャラクターとして描かれているのですが、天原はそれを「批評」と思い込んでいたように見受けられる訳でして。
と、長々と書いてしまいましたが、自分のブログを振り返ってみるとどうか。
どれも感想の域を出るものではないように思います。
ある程度は批評っぽいものを書きたいところですが、難しいですよ。(´ω`;)
今後も淡々と感想を書いていこうかと思います。当然、「どのように面白かったのか」を書くようには心掛けるつもりですがね。
(「面白い」「つまらない」の感想云々についてはまた長くなるので別の機会にでも。)