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時折マンガの話をします。

ピュンマの唇の描写からみる、石ノ森章太郎先生の努力

何日か前ですが、ニュースサイト巡りをしていたところ以下のような記事がありました。


マンガには固定化されたイメージが溢れており、それが偏見を助長する可能性もあるという内容です。
その講演で講師を務めたのは京都精華大学マンガ学部准教授・吉村和真氏。僕は未読ですが、『差別と向き合うマンガたち』という著書もありますね。


差別と向き合うマンガたち (ビジュアル文化シリーズ)

差別と向き合うマンガたち (ビジュアル文化シリーズ)


実際に講演を聴いた訳ではないので、これについての評価は控えざるを得ません。
また1つ目のリンク先記事にもあるとおり、マンガは「性質上、誇張や省略はさけられない」ものです。マンガが存在する限り、このような意見も存在し続けるのかもしれません。


ただひとつ、懸念することがあるのですよ。
リンク先では「偏見」の実例として、石ノ森章太郎先生の『サイボーグ009』を挙げています。この記事を読むことで、「『サイボーグ009』は偏見を助長する作品である」という認識をされる可能性があるのではないかと。
繰り返しになりますが実際に講演を聴いた訳ではありません。リンク先の記事を読んで初めて、そのような講演があったことを知りました。リンク先の記事を読んだだけという人は、講演を聴いた人より遥かに多い筈です。そしてその記事は非常に短い。限られた情報しか書かれていない。上に書いたような解釈をしてしまう可能性もゼロではない。



サイボーグ009』は大好きな作品のひとつなので、そのような認識がまかり通るのは些か納得がいかないのですね。
そんな訳で、石ノ森先生は何も野放図に固定化されたイメージをまき散らしていた訳ではないのだ、改善の努力をしているという弁明をしてみたいと思います。
ここで注目するのが、タイトルに掲げた「ピュンマの唇」になる訳です。


ピュンマはサイボーグ戦士の008番です。
水中を自由自在に動き回れる能力を持っています。そんなピュンマの初登場シーンがこちら。



(秋田文庫版『サイボーグ009』5巻44ページ。*1以下全て秋田文庫版。)


いわゆる、「固定的なイメージ」として槍玉に上げられる描写と言っていいでしょう。
奴隷として売り払われるところをブラック・ゴースト団に捕えられ、本拠地に連れ去られてサイボーグとして改造されてしまうのです。
歴史的にみて奴隷貿易は19世紀初頭、奴隷制度も19世紀半ばには軒並み廃止されていることを考えると、現代を舞台にしている作品の描写としてはかなり問題があることは事実です。腰ミノ一丁という格好も問題でしょう。いわゆる「未開」「野蛮」といったイメージと結びつけられやすい、となります。
実際、2001〜2002年に放映されたアニメ版では修正が加えられたようです。
そして身体の描写においても、ピュンマをはじめとする黒人の唇が非常に厚く描かれているという点に注目しておいてください。
実際にアフリカ系の方々の唇は厚い場合が多いと思いますが、それが極端に誇張されると問題になってくる訳ですね。


これらを批判するのは簡単なのかもしれませんが、ただその際には「この作品が描かれた当時(この場合1964年頃)、日本国内においてアフリカの情報はどのくらい存在したのか」も考慮に入れる必要があると思います。学校教育でアフリカについてどの程度教えていたのか、当時の新聞やニュースでどのくらいアフリカの情勢について伝えていたのか、アフリカの現状を伝える書籍・歴史書とかはどの程度出版されていたのか、等々。


アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)

新書アフリカ史 (講談社現代新書)

新書アフリカ史 (講談社現代新書)


因みに岩波新書で『アメリカ黒人の歴史』の旧版が出版されたのが、『サイボーグ009』連載開始と同じ1964年です。
60年代にもアフリカの歴史について書かれた本はあるようですが、アフリカ史が充実してきたのは90年代ではないかなという印象です。マンガ「のみ」を問題にするのは難しい気がします(これもあくまで個人的な印象ですが)。
実際に調べた訳ではないので断言はできませんが、上の写真のような描写には映画や絵物語の影響が大きいのではないかと考えています。


ちょっと堅苦しい話が続いたので、『009』の話に戻しましょう。
その後もしばらくの間は、問題がありそうな描写はあったりします。



(文庫版9巻134ページ。)


ブラック・ゴースト団の襲撃により瀕死の重傷を負った008をギルモア博士が治療するのですが、その際に更なる能力強化を図るためとして、全身をウロコで覆ってしまうのですね。
当然008は反撥しますし、仲間たちも博士を批判します。読者からの評判も芳しくなかったのでしょうか、この「地下帝国ヨミ編」以降はウロコの姿は出てきません。


・・・と、連載開始〜地下帝国ヨミ編終了あたりまではこんな感じなのですが、それ以降少しずつ、ピュンマの描かれ方が変わってくるのです。注意しないと判り辛いのですが、確実に社会情勢とかにも沿ったかたちになっているのです。



(文庫版13巻76ページ。)


「地下帝国ヨミ編」終了から12年後、1979年に描かれた「黄金の三角地帯編」の1コマです。
ピュンマはブラック・ゴースト団との戦いが一段落したあと、祖国の独立運動で活躍し、その活動も結実したあとは密猟取締官の仕事に従事している、という設定です。
かつて奴隷として売り払われようとしていた描写を考えると、隔世の感がありますね。


ただここで問題とするのは、その点ではありません。
唇の描き方が決定的に変わっているのです。


上の写真をもう一度ご覧ください。
どの部分が唇か判りますか?
ピュンマの顔の下半分、ベタが塗られていない白い部分だとお考えでしょうか?それは間違いです。


白い部分に描かれた2本の線、これが(唇を含めた)口全体の描写です。
残りの白い部分は皮膚です。鼻を境としてくっきりと白黒分かれていますが、どちらも皮膚なのです。


何を訳の判らないことを、と思うかもしれません。
なのでより明白な例を出してみましょう。



(文庫版17巻133ページ。)


こちら。
「黄金の三角地帯編」の更に2年後に描かれた「ザ・ディープ・スペース編」の1編、「惑星008」の扉ページです。
顔の下半分はトーンが貼られていますが、更に内側に唇が描かれています。やはり顔の上半分と下半分は色が異なっていますが、どちらもピュンマの皮膚なのです。


では何故このような、判り辛い変化をさせたのか。
ピュンマの図像的なイメージが定着しているからと考えるのが妥当でしょう。
サイボーグ009』は1964年に連載が始まり、1968年にはアニメ化もされています。その時期に定着したイメージを、そう簡単に変えてしまうことは難しいです。ある時を境に突然キャラクターの容姿が変わっていたら違和感を感じますよね?
しかし一方で、アフリカや黒人の方々への認識を石ノ森先生も改めていたのではないでしょうか。


「地下帝国ヨミ編」連載時やアニメ放映時は、アメリカでは公民権運動が盛んだった時期でもあります。
また石ノ森章太郎先生は非常に映画を観ているのは『まんが道』とかでも窺い知ることができますが、1967年にはアルジェリア独立運動をドキュメンタリータッチで描いた映画『アルジェの戦い』が日本で公開されています。ピュンマが祖国独立運動の闘士として活躍した、という設定は案外このあたりが影響しているのかもしれませんね。*2
東京オリンピックを機にTVも広く普及していますし、視覚的にも正確な情報が入りやすくなってきたのではないかと。


で、ここからは完全な推測(或いは妄想)ですが、石ノ森先生もより正確な、実情に近いかたちに描きたかったのではないかと思う訳ですよ。しかし定着してしまった図像的イメージは簡単には変えられない。
そんな相反する状況での、最大限の努力が「ひとつの顔に2種類の肌の色」だったのではないか。
分厚い唇に見えるかもしれないけど、これは皮膚なんだよ、と。



以上、弁明終了です。
このくらいのことは当然踏まえたうえで、講演が為されたことを期待したいです。


【参照サイト】

*1:秋田文庫版は収録順がバラバラで、最初の連載は5〜8巻、最高傑作の呼び名も高い「地下帝国ヨミ編」は9・10巻に収録されています。

*2:根拠はないので鵜呑みにはしないでくださいな。