もう10日くらい前になりますが、Something Orange さんのところでこんな記事がありました。
ひどく大雑把に書くと、マンガでは本来外国語を話している筈の状況においても自動的に日本語に翻訳される、という内容のものです。
日本のマンガは日本の読者を想定して創られる以上、それは必然と言えますね。極端な例えをすると、『トーマの心臓』を全てドイツ語で書かれたりすると困ってしまう訳です。
物語の舞台が限定されていて、登場人物がすべて同じ言語を用いている場合はこれは特に問題になりません。
先程引き合いに出した『トーマの心臓』で言えば、キャラクターはすべてドイツ語を喋っているのです。それが自動的に日本語に翻訳されている、と。
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問題が出てくるのは、異なる言語を用いる人たちが登場する場合や、異なる言語圏が舞台となる場合等です。そしてその表現には、様々なバリエーションが存在します。今回はその表現手段を幾つか辿っていこうかと思います。
【1:無視する】
いきなりで何ですが、実際のところこれはかなりの割合を占めているかと思います。
伝えたいこと・描きたいことが別にあるということですね。リンク先の例で言えば、『Q.E.D』で描きたいのはトリックや犯行動機であって、異言語間コミュニケーション云々ではないということです。
ここで引き合いに出すのは、少女マンガの大御所・水野英子さんの代表作のひとつ『ハニー・ハニーのすてきな冒険』。
この作品はヒロインのハニー・ハニーがちょっとしたことがきっかけで世界中を冒険することになるドタバタロマンス・アクションコメディといった趣きの作品ですが、やはり言語については問題にされません。
(水野英子『ハニー・ハニーのすてきな冒険』双葉文庫版2巻52ページ。)
いままでどこの国にいってもことばはつうじてたんだから
日本だけわからないはずは ないでしょう!
この問題を逆手に取った、こんな台詞があったりもします。
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【2:理解できないものとして描く】
早い話が、「ペーラペラペラペーラ」みたいなやつです。フキダシの中に適当にグシャグシャ書いた線と「!」を書く、みたいなものもどこかで見掛けたことがあるような。
前者は初期の『こち亀』とかで時折見た記憶がありますが、現物は実家にあるので確認できず。
【3:カタカナ表記】
これもメジャーな手段のひとつ。
カタカナ中心というのは非常に読みづらい。転じて、たどたどしい日本語を喋っているのだろうと思わせてくれる表現です。日本語の文字はひらがな、カタカナ、漢字が入り交じって書かれるのが一般的という点を巧く利用した手段と言えますね。
(高森朝雄・ちばてつや『あしたのジョー』講談社漫画文庫版7巻203ページ。)
こんな感じです。接続詞を抜いてみたり本来音が伸びない箇所を伸ばしたりもしています。
それにしても、カーロスはわざわざ日本語を学習してきたのだろうかと考えたりすると、奥ゆかしさを感じます。
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因みに2と3の合わせ技と言いますか、「カタカナで書いた文章をひっくり返して意味のない台詞にする」(つまり逆から読むと意味が読み取れる)というのも何かで読んだことがありますね。
【4:すり替える】
言うならばこれは1の亜種と言えます。
引き合いに出すのは真鍋譲治さんの『アウトランダーズ』。地球を襲撃してきた帝国の王女・カームと日本人のカメラマン・若槻哲也との恋愛模様を軸に、生物兵器やら魔法やらが入り乱れての宇宙規模の闘いが繰り広げられる作品です。
(真鍋譲治『アウトランダーズ』白泉社文庫版1巻300ページ。)
上のコマで喋っているのがカームと哲也。
下の2コマでは次のような台詞があります。
ねーテツヤ
前から不思議に思ってたんだけど あんた異星人のことばわかるの?
あたしなんかそいつの言ってることなんて
チンプンカンプンさっぱりなんだけど
哲也が異星人の言葉を理解できるのはカームの術のおかげですが、下の質問をしているライザ(ドイツ人)と哲也が当り前のように会話している点については華麗にスルーされています。
地球人と異星人という対立項により、地球人同士の言語の違いが脇に追いやられているという訳です。
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【5:設定で納得してもらう】
ここまでは比較的一般的な例を挙げてみましたが、次に取り上げるのはやや特殊なケースです。
「言葉」というものにこだわりを持つマンガ家さんの作品で見受けられる気がします。・・・と言っても、自分がパッと思い付けるのはとりあえず2つばかりですが。
まずは水樹和佳子さんの『伝説 −未来系−』から。
A.D.2505年の地球を舞台としています。2030年に第三次世界大戦が勃発し、そこから長い時間を掛けて復興を果たした世界です。その世界でも当然のことながら様々な人種は存在するものの、言語の問題は解決されています。
(水樹和佳子『樹魔・伝説』ハヤカワ文庫298ページ。)
研究都市での学校の授業で、都市創立者ツァラ・ラダが成し遂げた数々の功績を挙げている場面です。
その中に、「エスペラントの推進と流布」というのがあります。
この世界では、全人類がエスペラント語を喋っているんですね。
エスペラント語については、wikipedia の「エスペラント」の項を読んで戴ければと。
実際にエスペラントが広く流布されることがあり得るかと訊かれると些か疑問ではありますが、このような設定を作中に組み込ませているところにこだわりを感じます。
もうひとつは、坂口尚さんの名作『VERSION』。
自我を持つバイオチップ「我素」と、我素を持ち出して行方をくらませた開発者・日暮博士を巡り、博士の捜索を依頼された探偵・八方塞と博士の娘・映子、そして我素を手中に収めようとする謎の教団との争奪戦が繰り広げられます。
実際に読んで戴くと判りますが、僕の陳腐な説明では伝えきれない深さを持った作品ですよ。
で、その『VERSION』の中にこのような箇所が。
(坂口尚『VERSION』講談社漫画文庫版上巻155ページ。)
真ん中あたりに註釈があるのが判るでしょうか。
文字が小さくて読みづらいかと思うので、引用してみます。
※ これより、英語を話す登場人物のセリフを、映子が八方に通訳するはずの部分を省略します
わざわざ断りを入れているのですよ。これは非常に珍しい。
何も書かずに済ませても殆ど誰も気にしないのではないかと思う箇所です。ただ、坂口尚さんは言葉そのものに強い関心を持っているように考えられます。『VERSION』からもそれは強く感じられますし、前作『石の花』は5つ(だったかな?)の言語が用いられていたユーゴスラヴィアが舞台となっていますね。
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【6:日本語と異なる言語を併せて表記する】
ここからは比較的新しい表現方法です。
作品の登場キャラクターが実際に外国語を喋っていて、日本語訳も一緒に表記されているケースです。
思い付くところでは『名探偵コナン』で新一が英語を喋っていた筈ですし、『地雷震』で飯田響也も英語を話していましたね。
何も日本人に限ったことではありません。最近お気に入りの作品『チェーザレ』から一コマ。
主役となるチェーザレ・ボルジアはスペイン人なので、母国語となるのはスペイン語。
そして8歳の時に教皇庁書記長に任じられ、その任命式で教皇にラテン語で挨拶をしているのが上の場面です。
この表現方法の特徴は、キャラクターの知性の高さを窺い知ることができるというところです。これは日本人は外国語習得が苦手(?)な傾向が強いところも影響しているのかもしれませんね。
そしてこの表現から見えてくるものもあります。
まずは、マンガに(より現実に即した)リアリティが要求されるようになってきているという点。*1絵のクオリティが高くなってきて、カタカナ表記とかを行うとちぐはぐな印象を受けてしまったりする訳です。仮に上で引き合いに出した『チェーザレ』のコマ、カタカナ表記だと興醒めですよね。
そしてこの表現が、比較的最近可能になったであろうという点です。
同時表記を行うには横書きが必須なのです。そして横書きがマンガで普及したのはそれほど昔のことではないと考えます。写植のデジタル化とかが大きく影響しているのではないかと。
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【7:日本語で、外国語を話していることを表現する】
これまでに取り上げた幾つかの手段の集大成とも言えましょう。
横書き、フォント、台詞回し等を効果的に使うことで、日本語で書かれていながら実際に使っているのは外国語であることが判るような表現手段です。
例として取り上げるのは、山田芳裕さんの未完の大作『度胸星』です。
主人公の三河度胸は、火星に行くという夢を持っています。
そしてそれを実現するため、火星で通信が途絶した宇宙飛行士を救うための救出ミッションに志願します。その際の英語能力面接試験会場での1コマです。
まず判るのは、フキダシの中の台詞が横書きになっている点ですね。
そして度胸の台詞は妙な日本語になっています。つまりこれは、かなりカタコトの英語で話しているということです。
(『度胸星』KCDX版4巻187ページ。)
あと『度胸星』では、日本語は縦書き・英語は横書きですべて統一されているのが特徴です。
右側のコマの台詞、判りづらいかと思いますが右のフキダシは縦書きですね。日本語で会話しているということです。そして左のフキダシは横書きになっています。ここで英語に切り替えたということです。
そして次のコマ、会話を振られたハリコフは「日本語はわからない。」と受け答えている。
さりげないかたちですが、かなり高度な技巧が凝らされているというのが判るかと思います。
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・・・と、長々と書き連ねましたが、このような観点からマンガを読んでみるのもまた愉しいのではないかと思います。
マンガ表現の発達や洗練といったものを垣間みることもできるのではないかと。
そんな訳で、今日はこのあたりにて。
*1:あくまで場合によりますが。