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twitter でつぶやいた『マイマイ新子と千年の魔法』の感想まとめ

日付変わって昨日ですが、ようやく『マイマイ新子と千年の魔法』を観てきました。
ちょうど mixi ニュースに取り上げられたりもして、少しずつ名前も浸透してきているのでしょうか。
知り合いの方々も軒並み絶賛していて、非常に気になっていた作品です。また、絶賛にも関わらず巧く説明できない作品らしいという話も伝え聞いてもいました。

実際観て、確かに説明が難しいと感じました。
凄く良い作品なのです。しかしどう説明しても何か違う気がする。
とは言え説明しないことには始まらないので、とりあえず twitter でつぶやいたログをまとめてみました。
幾分のネタバレを含むので、先を読み進める際はご注意を。



 今からノロノロと『マイマイ新子と千年の魔法』を観て感じたことを書き連ねていく。作品の内容にはなるべく触れずに書くつもりだが、どうしてもある程度はネタバレ的になってしまうので、未見の方はご注意を。あと特に時系列を考えずに書く予定。(2010-01-17 02:16:02) link
 まず観ていて良いなと思ったのが、「空想」の描写。主役の新子はおじいさんから聞いた千年前の都とかを想像したり自分で生き物を考えたりするのが好きな(それでいて元気に外を走り回る)少女なのだが、新子が生きる現在と千年前の描写が地続きのように描かれる。(2010-01-17 02:20:17) link
 まず新子の目の前に、突如子供の落書きのような人物が立ち現れ、それから千年前の情景が明確な形を伴って描かれ始める。マンガ好きなら、『空色動画』を思い出して戴くと判りやすいかもしれない。その演出が実に良かった。(2010-01-17 02:24:18) link
 これは実際の(物語の中での、という意味で)千年前の情景と捉えることもできるし、新子の空想が膨らんだものと解釈することもできる。恐らく意図的にそういう演出にしたのだと思うが、これは観る人間が好きなように捉えて欲しい、ということだろうと思う。(2010-01-17 02:27:23) link
 とりあえず、現在と千年前を繋いでいるのが「想像力」だ、というのがポイント。タイトルにも含まれている「千年の魔法」とは想像力のことなのだ、と自分は解釈している。(2010-01-17 02:30:05) link
 実際のところ、千年前の場面が実際のものなのか、それとも空想なのかはあまり問題ではないのだと思う。恐らくまだ子供のころには、その区別はさほど明確ではないのかもしれない。『マンガ学』で、自分の視界に入っていない箇所には何も存在していないのでは、という空想をしていたという話がある。(2010-01-17 02:34:07) link
 「現在」と書いたが、実際には少し違う。昭和30年頃の山口県が舞台(30年代とパンフレットに記載されているが、作中に「戦後10年」という台詞があることから、かなり前半であろうと推測)。そこに描かれる風景・情景には、体験していないものが殆どであるにも関わらず郷愁のようなものがある。(2010-01-17 02:43:10) link
 ただこの作品において描かれているのは「昔は良かった」的なノスタルジーではない、と思う。「現在」パートにおいては、ある集団(twitter的に言えば「クラスタ」か?)に入り、馴染んでいく過程と、そこから離れていく過程が描かれる。そして後者のほうに力点が強く働いていると思う。(2010-01-17 02:48:36) link
 まず前者については、もうひとりの主役・貴伊子が鍵となる。東京から転校してきた貴伊子は最初クラスで浮いた存在だったが、新子と一緒に遊んでいるうちにクラスメートとも馴染んでいき、田舎暮らしにも慣れていく。(2010-01-17 02:54:47) link
 引っ越してきたばかりの貴伊子は奇麗な服装に身を包み、香水まで付けたりしていたが、次第に泥だらけになって遊ぶようになり、靴下を履かなくなる。この「靴下」は貴伊子の心理的な距離感を示す小道具としても扱われている。この演出がまたニクい。(2010-01-17 02:56:55) link
 後者(ある集団から離れていく過程)については、実際に観た人は判って貰えるのではないかと思う。それによって、光り輝いていたかのような世界に暗雲が立ち籠めてくる。堅く結ばれていた絆がバラバラになりそうになる。新子は空想を捨て去ろうとする。(2010-01-17 03:14:09) link
 しかしそこで奇跡が起きる。それまで新子に影響されつつも彼女と同じように空想することができなかった貴伊子が、千年前の光景を目の当たりにするのだ。想像力が引き継がれた瞬間。それがこの作品の最大の山場となる。貴伊子は千年前に生きていた姫君・諾子が孤独から解き放たれる姿を目撃する。(2010-01-17 03:19:18) link
 そして新子と貴伊子は、離れていってしまったと思っていたものが再び戻ってきたことを知る。戻ってこないと思っていたものが、そこに確かに存在している。それは単なる空想の産物なのかもしれないが、それは問題ではない。2人にとっては確かに戻ってきたのだ。新子もまた魔法を取り戻すのだ。(2010-01-17 03:24:00) link
 そしてラストは鮮やかな対になっている。「現在」においては、やはり「離れていく」のだ。悲壮感はなく、爽やかなものであるにしろ、やはり離れる。現実には、一度離れてしまったものとは二度と巡り逢わない可能性も存在する。恐らく、○○○や××××とは今後逢う機会は無いのではないか。(2010-01-17 03:29:38) link
 しかし千年前の都はその正反対だ。諾子とそこに仕える千古という少女が、仲良く肩を寄せている姿が描かれる。きっとこの二人は、これからずっと一緒に、仲良く遊んでいく筈だ。少なくとも新子と貴伊子はそのように想像している筈なのだ。(2010-01-17 03:32:37) link
 おじいさんが新子に伝えたように、そして新子が貴伊子に伝えたように、想像力はある集団の中で受け継がれていくものに違いないのだ。新子や貴伊子はまた別の誰かにそれを伝えていく筈なのだ。(2010-01-17 03:36:41) link
 この作品では「想像力の大切さ」が一貫して描かれている、と思う。この作品じたい、想像力を働かせない限り判然としない箇所がある。ひづる先生のことや、港町に住む人たちの話については多くは語られない。観る人間が想像力を働かせて考える必要がある。作中の台詞だけでは殺伐としてしまうのだ。(2010-01-17 03:40:17) link
 観た人の想像力次第で、更に素晴らしい物語に変わる作品なのだろう。(2010-01-17 03:41:56) link
 という訳で終了。機会があればまた観に行きたい。(2010-01-17 03:42:25) link


と、このような感じになりましたが、これでも説明したとは思えない作品です。
観に行ける方は、是非とも自分の眼で確かめて欲しいと思います。


あと、改めてパンフレットを読み返してみたら、自分がつぶやいたのと被る内容が既に書かれていました。
自分の頭で考えたことくらい既に誰かが考えている、ということですかな。