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ハロルド作石先生が文学史のミステリーに挑む:『7人のシェイクスピア』

先日、ハロルド作石さんの新作『7人のシェイクスピア』1巻が発売されました。


7人のシェイクスピア 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

7人のシェイクスピア 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)


これまでに『ゴリラーマン』『バカイチ』『ストッパー毒島』『BECK』と、ヤンキー(?)・空手・野球・音楽と題材は異なれど現代日本を舞台とする作品を描いていたハロルド先生が、*1次の作品に選んだのはエリザベス朝のイングランドでした。


実に意外な選択で驚きましたが、歴史物が好きな自分にとってはたいへん嬉しいことであります。早速、感想のような雑文を書き連ねてみようかと思います。
ある程度ネタバレありなので、未読の方はご注意ください。いちおう記事の収納もしておきます。







さて、作品タイトルからも判るように、物語の中核となるのはシェイクスピアです。
文学史に燦然と輝く、イギリスの劇作家ですね。今なお世界中で舞台公演が為されていますし、映画化作品も数知れずです。


シェイクスピアは生年1564年、没年1616年なので、約400年前の人物ということになりますが、何故400年もの期間人々を魅了し続けたのかと言うと、その作品群が実に多様な解釈を成り立たせ得るという点を挙げることができるかと思います。人物造型やプロットの複雑さ・巧さとかも含みますね。


そして作品の評価もまた多種多様です。人間の暗黒面を云々といった高尚なものは多数あることかと思いますし、その一方で、シェイクスピア劇を最高のメロドラマと評するものもあります。

(前略)年来諸君のもつとも貴重する大沙翁こそは、夫のメロドラマの極度に酵化したる末の一瓶の烝溜物に外ならぬといふ事をはつきり謂いたい。
 英吉利はこの一箇介然たる大モンスタア烝溜物を出してから後は、ボウマント・フレッチャ已来今日に至るまで、それに随踵する程度の佳き劇詩人すら輩出させてゐない。


日夏耿之介サバト恠異帖』ちくま学芸文庫、123〜124ページ。)


また人物造型についてですが、心理学の分野では内向的でいろいろ考えた挙句行動できないタイプの性格を「ハムレット型」と呼んでいたかと思いますし(うろ憶え)、*2やたらと高潔な人物を描くと思えば『ヴェニスの商人』のシャイロックのような、強欲の代名詞になるような人物も描いたりしている。その一方で、シャイロックを単なる強欲な人間ではない、ユダヤ人として差別・迫害を受けているのだいう解釈を誘う台詞もあったりする訳です。


そして作品と負けないくらいに様々な解釈を呼び起こしているのが、シェイクスピアその人です。自筆原稿や手紙・日記類が殆ど現存せず、とにかく資料に乏しいため、別人説とか複数人による合同ペンネーム説とかもあるのです。*3作中で言及される様々な専門知識が、とても個人によるものとは考えにくいとかいう話もどこかで聞いた記憶がありますね。
そしてそのような状況故に、自由奔放な想像・解釈を働かせる余地を生じさせていると言えましょう。*4


1998年に『恋におちたシェイクスピア』という映画がありましたが、あの作品は謎が多いからこそ成立したと言える作品だと思います。シェイクスピア恋愛模様と『ロミオとジュリエット』を巧妙に絡めた、見事な作品でした。



さて果てしなく前置きが長くなりましたが、『7人のシェイクスピア』も、シェイクスピア別人説をタネとして想像力を存分に発揮した作品になるであろうと推測される訳です。
という訳で、第一話を中心に概略を追ってみることとしましょう。


物話は1600年、シェイクスピアが『ハムレット』を発表した年から始まります。
その後『オセロー』『マクベス』『リア王』と、「四大悲劇」と呼ばれる作品を次々に著し、最も精力的に活動をしていた時期となります。
ピューリタンの聖職者・信者の人たちは演劇を堕落の温床として激しく非難するものの、当のシェイクスピアはどこ吹く風といった趣。



ハロルド作石『7人のシェイクスピア』1巻24ページ。)


こちらがウィリアム・シェイクスピア。よく見掛ける肖像画とは幾分異なり、伊達男風に描かれています。
先程触れた『恋におちたシェイクスピア』の影響があるかもしれませんね。
劇場を封鎖せんと乗り込んできて、シェイクスピアに対し憎悪を剥き出しにする警吏に対し、余裕の返答を行っています。
一座が宮内大臣パトロンとしており、またエリザベス女王自らシェイクスピアの劇を支持しているが故の余裕です。


そして治安判事と警吏は強引に劇場に踏み込むのですが、何とそこにはエリザベス女王自ら観劇に来ていてその劇に拍手を送っており、何もすることができず引き下がってしまう訳です。
そういえば、「女王がお忍びで観劇に来ている」というくだりも『恋におちた〜』でありましたね。実際に来ていたことがあるのかどうかは判りませんが。


さて、シェイクスピアの絶頂を描くと同時に、ロンドンの酒場での光景が併せて描かれます。
そこでは何やら商談が交わされており、顔に大きな痣を持つ男が、印刷所の親方に儲け話を持ちかけます。その男が言うには・・・、



(同書16ページ。)


もしこれが本物であれば大儲けは間違いない話ですが、脚本が出回るのは劇団にとっては致命的なことであるため、当然のように親方は疑いを持ちます。そして親方と連れ立って来ていた男が、その内容を教えろと言ってきます。
そこで痣の男は、劇の筋書きを語り始めます。そして筋書きを語り終えた後に、説明を求めた男が、



(同書34ページ。)


と断言します。
自分は『ハムレット』を初日に観に行っており、まるで内容が異なると。
そして痣のある男をサギ師と断定し、叩きのめします。シェイクスピアは芸術家であり、お前のようなサギ師には彼の紡ぎ出す台詞を造り出すことなど不可能だと。


しかし、ここで一つの疑問が出てくるのです。
僕も『ハムレット』を読んだことがあるのですが、自分の記憶に間違いがなければ、痣の男が語った物語は『ハムレット』そのものなのです。
しかし親方と一緒にいた男は、それを「まがいもん」とまで言い切る。そして彼がシェイクスピアを「芸術家」と信奉する様を目の当たりにし、痣の男はこう言い放ちます。

シェイクスピアが芸術家だって?
バカな・・・・・・


俺が何年前から
奴のことを知ってると思ってるんだ・・・・・・


あいつこそ
下衆野郎のサギ師なんだ〜〜〜!!


(同書45〜46ページ。)


彼は如何にして『ハムレット』を手に入れたのか?
そして何故(恐らくは本物の)『ハムレット』がまがい物と看做されているのか?
痣の男とシェイクスピアは如何なる関係にあるのか?
幾つもの謎が、矢継早に提示されていきます。



そしてまた、シェイクスピアも何らかの秘密を抱えていることが示されます。
舞台は成功に終わり、家に戻ってから、夫人(?)と次のような会話を交わすのです。

女王陛下が
まっ先に立ち上がって拍手を。


まあすごい!
お気に召していただけたのね。


伝言を頂戴した。
"次の機会を楽しみにしている"と。


つまり陛下は
またリーをご所望なのですね。


(同書54〜56ページ。)


そこで場面が切り替わります。



(同書56〜57ページ。)


川縁に佇み、水面に映る月を眺めている黒髪の女性。
その瞳は、何らかの憂いを帯びているように感じられます。
この女性こそが「リー」です。
女王がリーを所望しているとは、どういう意味なのか?
更に1つの大きな謎が提示されたところで、第1話は幕を閉じます。



そして第2話は、時間を13年遡った1587年から始まります。*5
舞台となるのはリヴァプール。そこで訪問販売を行って商人として頭角を現してきているのが、



(同書65ページ。)


この男です。
ランス・カーターと名乗っています。そしてその顔は、後のウィリアム・シェイクスピア
演劇とはまったく無縁の立場にある(と思われる)彼が、如何にして劇作家としての名声を築き上げていくのか。


そしてリヴァプール近郊のマージー川のほとりには、チャイナタウンが作られています。中国から移民してきた人々が作った街ですが、人口の増加に伴い、イングランド人との間に摩擦が起こりつつある状況が描かれます。
リーはそこに住んでいます。
そしてリーは、超常的な能力を持っている。予知能力のような力があるのです。
リーはまだ中国にいた幼い頃、次々と人の死期を当てたことで恐れられます。またそれが原因で周囲からも避けられ、両親の仕事まで失う結果となります。リーを疎んじた両親は、リーの口を封じようと喉に焼きごてを押し付けるのです。
一命は取り留めたものの、リーはか細い声でしか話すことができなくなり、そして喉には消えることのない痕が残ります。



(同書70ページ。)


そしてリーの一家は疫病から逃れるため国を出て密貿易船に乗り込み、妹夫婦がいるリヴァプールまで命からがら逃れて来て、リーの予言に基づいた商売で何とか生活の目処を立てることができたという訳です。


第2話以降では、先述したチャイナタウンとイングランド人との軋轢や異常気象といった要因が重なり、それが発端となりチャイナタウンが壊滅するまでが描かれます。
チャイナタウンが猜疑と憎悪に満たされていく様子が、浅ましくも哀しい人の心が、容赦なく描写されます。そして破滅に向かって一挙になだれ込むような展開が圧巻です。是非とも実際に、その目で確かめて戴きたいです。


そして2巻では、ランス・カーターとリーの邂逅が描かれます。
この二人が出逢うことで、いったい何が起こるのか。どのような運命に巻き込まれていくのか。
そして如何にして「シェイクスピア」は生まれるのか。
1巻では次々と謎を提示するような展開でした。それが次第に明らかになっていくであろう、今後の展開に目を離せません。


2巻は9月発売予定とのこと。今から楽しみです。

*1:『サバンナのハイエナ』という作品がありますが、それについてはひとまず割愛で。どう評価するべきか計りかねているのです。

*2:その真逆の性格が「ドンキホーテ型」。

*3:詳細についてはWikipediaウィリアム・シェイクスピア」や「シェイクスピア別人説」の項をご参照ください。

*4:謎が多い故に多様な解釈が生まれる、という点については、『新世紀エヴァンゲリオン』を思い起こして頂ければ充分かと思います。

*5:この年は、シェイクスピアの行動が一切の謎に包まれている、「失われた年月」(1585〜1592年)と呼ばれる時期と重なっています。