『うさぎドロップ』実写映画化記念:立原あゆみ『涙星』
先日、宇仁田ゆみさんの『うさぎドロップ』実写映画化が発表されましたね。
過去の幾つもの実写化の事例から、手放しで喜ぶのは時期尚早という気もしますが、これを機により多くの方に『うさぎドロップ』が知られるというのは良いことだと思います。
幼少期のりんの可愛らしさをどのくらい再現できるのか、三十路で独身というダイキチならではの苦労を如何に巧く描けるか、といったところが気になります。*1
で、実写映画化記念ということで、今日取り上げるのは立原あゆみ先生の『涙星』です。
書き間違いではありません。
立原あゆみ先生の『涙星』です。
何を血迷ったかと思われるかも判りませんが、これを取り上げるのには正当な理由があるのです。それは何かと言いますと、設定に相通ずるものがあるというものです。
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因みに『涙星』にはルビが振られていて、読み方は「アース」です。これに関しては、『本気!』を「マジ」、『弱虫』を「チンビラ」、『恋愛』を「いたずら」、『仁義S』を「じんぎたち」と読むのが当り前であることから、特に抵抗なく受け入れられるものと確信する次第です。
そして副題は「チンピラ子守歌」です。
さて、上の表紙画像で描かれている2人が、この作品の中核となるキャラクター、写楽と歌です。
写楽はその名が示すとおり、東洲斎写楽の役者絵の如き赤い隈取りが為されています。それぞれの回の扉絵も、役者絵を思わせる見栄を切った写楽の姿が描かれていますね。とりわけ第3話とかは、東洲斎写楽の数ある浮世絵の中でも有名な作品の一つ、『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』と同じ構図です。
そう考えると、歌は喜多川歌麿がモチーフだろうか、そして歌の母親?春海は鈴木春信だろうか、いや実は「春画」かもしれない、そう考えたほうがこの作品の「色」とも合致するかも、とかいろいろと考えが広がりますが、まぁこれはあくまでも妄想の範疇ですな。
少々話が脱線しましたが、この写楽と歌の関係が、『うさぎドロップ』のダイキチとりんに相通ずるものがあるという訳です。
『うさぎドロップ』では、ダイキチの祖父に隠し子(りん)がいたことが発覚し、葬儀の際にりんを引き取って育てることを決意し、三十路の独り身と幼いりんとの共同生活が始まります。
そして『涙星』では、写楽が目を覚ますと、書き置きと一緒に歌を置いたまま、夜を共にした女性が消えています。そして写楽と歌の共同生活が始まるという訳です。
相通ずるものがありますよね?(´ω`)
また、この歌が、りんと同じように大変しっかり者なのですね。
まだ舌が回らず、写楽のことを「ちゃらく」と呼んだり「お洗濯」のつもりが「おてんたく」と言ったりする訳ですが(これがまた微笑ましい!)、一人で近くの店にお使いに行って料理を作ったりするのです。そして写楽が家に帰るのを待ちながら食事をしたりする様子が描かれます。
因みに歌が作る料理が、それぞれの回のタイトルになっています。*2
そして写楽ですが、何を生業としているかと言いますと、そこは立原あゆみ先生です。
言うまでもなく、その筋の職業ですな。
具体的にはテキ屋です。お祭りの出店の配分とかを取り仕切る訳ですが、その仕組みとかも話の中で説明がされていて面白いです。どういうふうに取材しているのかも気になるところですね。
写楽の腕っぷしの強さは相当に知れ渡っていて、写楽の住む街の界隈(仲見世とか居酒屋・スナックとか香具師の人たちとか)では信頼を得ている模様です。また職業柄暴力沙汰も起こりかけたり、実際に起こったりもする訳ですが、暴利を貪るようなことはないのも街の人たちに好かれている理由です。
さて、そういう生業である以上、いろいろな事情で苦労している人たち(主に女性)が多数出てきます。
この心理描写と言いますか、機微の描き方がまた細やかでして、少女マンガからスタートしてレディコミまで描いているのは伊達ではないと唸らされます。
そういった人たちと写楽との交流(肉体的なものを含めて)やシマ(出店の配分・利益)を巡る同業とのやり取りが、歌の母親捜しと並行して描かれます。そしてその一方で、写楽と歌が互いに心を通わせてゆく様子も描かれていく訳ですな。*3
独り身のテキ屋と、実の親に捨てられた幼い女の子との共同生活。
時には哀しく、時には切なく描かれる、「涙星」(アース、言うならばこの世の中)での人間模様。
萌え要素はかなり少ないですが、いぶし銀の作品だと思いますよ。
という訳で、今回はこのあたりにて。