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時折マンガの話をします。

描きたいものをひたすらに描く:木持アート出版のユートピア

早いもので、もう2月も終わろうとしています。
そして今月(2月)に、マンガ関連で最も話題になった記事の一つとして、竹熊健太郎さんと赤松健さんの対談記事が挙げられると思います。

(以上5記事、ITmedia eBook USER


電子出版という大きな流れの話から、出版社や業界そのものの構造、それが抱える問題点、そしてマンガのこれからの話まで、実に多岐にわたっての激論。そして同じ危機感を抱きつつも、マンガというものに対しての立ち位置の違いから見事なまでに噛み合わない対談。読んでいて実に面白い内容でありました。


そしてその立ち位置の違いを最も明確に示したと思われるのが、以下のくだりです。

竹熊 ええ。僕の知る限り、赤松さんの業界予想が一番シビアで現実的です。でも、今のネットの急激な進化を見ていると、5年後に何が出てきているか分からないですよね。想像を絶するようなシステムやコンテンツが出るかもしれないし。だからそのときはそのときですね。ただ、僕としては自分が面白いと思ったことをやりたいですよね。

赤松 私は違います。他人が面白いと思うことをやりたいです。


徹底討論 竹熊健太郎×赤松健 Vol.5:漫画はどこへ向かうのか


それと共に、赤松さんは「楽しみ代」という概念を提示します。大雑把に書くと、自分が描いていて楽しい作品の場合は「楽しみ代」を払っているので、自分が楽しければ楽しいほど儲からないという考えですな。
それのどちらが正しいか、とかではなく、恐らくどちらにも理があるように感じます。まぁ個人的な、一読者の身勝手な意見であることを承知で書くなら、計算を重ねて造り上げた良作のみならず、自分の描きたいものを叩き付けたような作品も読んでみたいと思ったりはします。前者のような作品ばかりというのは些か面白みに欠けるように思ってしまう訳でして(繰り返しますが、あくまで身勝手な一読者の意見です)。
そんな訳で、今回はこれでもかとばかりに自分の描きたい題材を描き続ける孤高のサークル・木持アート出版の同人誌をご紹介してみようかと思います。



木持アート出版は、木持隆司氏の個人サークルです。コミティアで創作同人誌を発表されています。
自分も木持アート出版の存在を知ったのは比較的最近なので詳細までは掴みかねるのですが、2〜3年に1度くらいのペースで新作を刊行している模様です。2月13日に開催されたコミティア95で、恐らく久し振りとなる新作を発表しました。
木持氏の作品は、とにかく圧倒的なインパクトを読者に残します。こればかりは現物を観ないことには判らない。まずは書影をご覧戴きましょう。



木持隆司『スーパーレディ レナちゃん 第4部』(サークル:木持アート出版)


どうだこの衝撃!
思わず振り向いてしまう、しまわざるを得ない、何かを鷲掴みにされたような心持ちがする筈です。


この狂ったデッサン、絶妙と評すべき歪んだ遠近感。表紙左側の女の子がレナちゃんですが、一瞬腕の位置に戸惑います。背を向けた状態で上半身だけ振り返っているのですが、腰から胸のあたりまでを90°ほど曲げ、肩から上は180°曲がっているという無茶な格好と言えます。
乱暴な言い方をしてしまうと、小学生が描いたかのような絵柄でしょうか。少なくとも、自分の知る限りの如何なるマンガ家の影響も受けてはいないです。昨今のマンガが溢れている状況において、これは逆に凄いことではないか。
そしてこの絵柄は、既に完成されたものなのです。もう1作、木持アート出版初の同人誌と目されている『海のプリンセス エミちゃん』がこちらになります。自分が購入したのは再版したものなので正確な出版年は判りませんが、少なくとも1999年よりは前に描かれた、つまり今から12年以上前の作品になります。




木持隆司『海のプリンセス エミちゃん』(サークル:木持アート出版)


完成されている、と書いたのがお判り戴けたでしょうか。
殆ど変わっていない!同じく瞠目せざるを得ない絵柄と言えましょう。
『海のプリンセス エミちゃん』や次作『タイムパトロール ユカちゃん』に関しては、以下の記事において詳細に語られています。何れも実に熱い筆致で綴られているので是非ご覧戴きたく思います。


さてこれらの作品群、誤解しないで戴きたい点は、単に絵が下手というだけでは断じてないということです。上記リンク先でも既に語られていますが、これらの作品には、作者の木持隆司氏が愛してやまない諸々が惜しみなく詰め込まれています。むしろそれしか存在しない。トーリーの展開を断ち切ってでも余すことなく描こうとするのです。そしてそれに対しての木持氏個人の意見・感想までも入り込んでくる。それは時に作中のキャラクターによって語られたり、時にナレーションのかたちで滔々と書かれたりするのです。これは、どうやっても商業誌の媒体では不可能でありましょう。


少しばかりこの『スーパーレディ レナちゃん 第4部』の概略を説明しつつ、具体例を幾つか挙げてみましょう。
舞台となるのは、恐らく昭和30年代前半〜中頃。ヒロインのレナちゃん、兄の元太郎と親友の光一との友情、元太郎に想いを寄せるレナの幼馴染み・桃子と康子による戀の争い等々。それと並行して描かれるのが、光一に想いを寄せ彼の働くヨーロッパ村で自らも働きたいと考えている、長野県に住んでいるレナちゃんのいとこ・雪乃。


何と言いますかね、些か気恥ずかしくなるような、それこそ1950〜60年代の青春映画みたいな内容なのですな。『キューポラのある街』みたいな印象でしょうか?
そして読んでいて「タイトルといまいち内容が合致しないが、どういうことだ?」とか思い始め、200ページくらい読んだところで唐突にレナちゃんが「知り合い」と呼ぶララお姉ちゃんという人物が登場し、物語が怒濤の急転回を示そうかというところで第4部完!となります。正確には200ページまでが青春もの、201〜204ページで読者を呆然とさせるような展開があり、206ページで「第5部につづく」となるのです。


そしてそのストーリーの合間合間に、木持隆司氏の「これが描きたいのだ!」と言わんばかりの情熱が迸る、氏の愛してやまない諸々が描かれていくのですね。むしろそれらに挟まってストーリーが存在しているとも言えましょう。


幾つか例を挙げますと、まず木持氏は童謡・唱歌が好きでたまらないらしいというのが伝わってきます。雨が降るなかを、少年と彼の世話をしている女性が一緒に「雨、雨ふれふれ」と歌い始める場面があるのですが、次のページで「あめふり」の歌詞を五番まで全て紹介したうえに、次のような解説を付けています。

この童謡唱歌、あめふりは
大正14年11月号の
「コドモノクニ」とゆう
童謡絵本の中で
発表されました
岡本帰一画伯による絵は
たいそう、美しく
肩に、カバンを、かけた
二人の少年が


こうもり傘を
貸しかりする姿を
蛇の目、傘を、さした
お母さんが
見つめている、情景が
印象的に
描かれております
すばらしい名画だと
思います


(『スーパーレディ レナちゃん』39ページ。)


そしてその「名画」に基づいた絵を、見開き2ページ全て使用して描いています。
この場面はストーリーの展開には些かも寄与しない訳ですが、描かずにはいられない、描きたくてたまらなかったのだろうというのはひしひしと伝わってくるのですね。
他にも、どうやら上杉鷹山を敬愛しているらしく、レナちゃんの祖父・総一郎と幼馴染み・作次郎の二人に滔々と鷹山の素晴らしさを語らせたりもしています。


そして何よりも、ナイスバディな美女への滾る思いが作品の至るところに滲み出ています。



(同書166〜167ページ。)


レナちゃんの兄・元太郎に想いを寄せる康子が、恋敵とも言える桃子に対して自らの肢体を見せつける場面ですが、何と言いますか、このポーズがたまらん!とか考えつつペンを走らせる木持氏の姿が見えるようではありませんか。
とにもかくにも、めくるページ全てに、燃え滾るようなエネルギーが迸っているのが判るかと思います。



そしてその「自分が描きたいものだけを徹底して描く」というスタンスは、作品の中だけに留まっていはいないように思えるのです。この同人誌、装丁もまた実に特徴的なのです。これも現物をちゃんと観て戴くのが判りやすいでしょう。



コピー本に近い造りでありながら、200ページを越える大作であるが故の、実に特殊な装丁。
最初のページの上に透明な、薄いプラスチック状のシートを乗せ、そして厚手の紙で最終ページから本の背、表のシートに僅かに被さるあたりまで覆い、綴じる。厚紙が背表紙〜裏表紙になります。恐らくこれは相当に手間が掛かる作業です。にも関わらずそれを1つ1つ行うのは、他の誰かの手を介入させたくないからではないか、とさえ感じてしまいます。まぁ考え過ぎかもしれませんがね。(´ω`)



この、他の誰の影響も(恐らく)受けず、誰の手も借りることなく、ひたすらに自分が描きたいものを描き続ける。あくまで個人的な印象ですが、ヘンリー・ダーガーアウトサイダーアートに近いものすら感じます。ダーガーが誰にも知られることなく描き続けたのに対して、木持氏は「自分の作品を読んで欲しい」と思いコミティアに出している、という大きな違いはありますが。


木持アート出版の作品を手に入れるには、コミティアに参加するほかないようです。
ご興味のある方は、是非コミティアに参加してみてくださいな。
余談ながら、これを買いに行った際、木持隆司氏は実に楽しそうでした。「楽しみ代」を相当に払っている、と言えるのかもしれませんね。


という訳で、本日はこのあたりにて。