マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

岩手のマンガ家が、地震を題材にした作品を10年以上前に描いていた。その名は『預言者ピッピ』

東北関東大震災から10日ほど経過しましたが、未だその爪痕は深いです。計画停電は今後も当面は続く模様ですし、被災地のライフラインも完全な復旧からは遠い状況です。兄が宮城在住なのですが、まだ電気以外は断たれている状態とのことです。


実家のある岩手県も大きな被害を受けました。内陸部なので親は無事ではあったものの、沿岸地域の方々の受け入れを開始するらしい、との話を聞きました。
そのような状況下で、いちマンガ好きに過ぎない自分に何かできるかと考えたのですが、募金を行うことと経済を回す(早い話が金を使う)以外では、やはりマンガの感想を書き続けることくらいしかあるまいという結論に辿り着いた次第です。しかし折角だから、自分の出身地でもある岩手県出身・或いは在住のマンガ家作品を、なるべく多く紹介していくのも悪くないのではないか、と考えました。


そんな訳で、岩手のマンガ家さん・ならびに作品を紹介していこうと思います。
第1弾となるのが、記事タイトルにも挙げた、地下沢中也さんの『預言者ピッピ』です。以下、少なからず内容に触れるので、ネタバレが苦手な方はご注意ください。


※少しでも多くの方に読んで戴ければと思い、敢えて扇情的なタイトルにしています。ご理解のほどを(まぁ、自分のブログはたいしたアクセス数はないので些か自意識過剰やも判りませんが・・・)。




地下沢中也さんは、『片岡さんちのクリコちゃん』等のギャグマンガで知られるマンガ家さんです。今年1月に刊行された『コミックいわて』にも参加されていますね。


コミックいわて

コミックいわて


『コミックいわて』では「バンカラの恋」という短編を描いています。「バンカラ」とは高校の応援団に代々引き継がれる学ランを身に纏う団員のことです。何年(或いは何十年)にもわたり受け継がれ、継ぎはぎだらけのボロボロの学ランです。それを纏うのが伝統という訳です。これは実際に、岩手県南の高校で行われています。そんなバンカラの心情や高校生活が、誇張も加えつつコミカルに描かれています。


このように、基本的にはギャグ方面で活躍されている地下沢中也さんが、まったく毛色の異なる、思索に満ちたSF作品を描きました。それが『預言者ピッピ』です。


預言者ピッピ (1)

預言者ピッピ (1)


『預言者ピッピ』は、1999〜2001年にかけて、「COMIC CUE」に掲載されました。
非常に高い評価を受けている(と思われる)作品ですが、掲載誌が実質休載状態なのも影響しているのか、連載は半ばで中断された状態です。そして掲載から6年後、2007年にようやく単行本が刊行されています。


この作品は、地震が題材(少なくとも題材の1つ)になっています。後付けの理屈に過ぎないのは重々承知していても、どうしても昨今の状況と結びつけ、考えたくなってしまう。
しかしながら、それを切り離して考えてもこの作品は一読に値する。その点に関しては断言して構わないと思います。以下、物語の粗筋を書いていきます。



物語の中心となるのは、上の画像表紙に描かれているピッピ。ピッピは地震予知ロボットです。
もう一人、物語の核となるのが、ピッピが作られた少し後に生まれた少年・タミオ。そして彼の父親・瀬川博士。瀬川博士はピッピを作った科学者です。ピッピとタミオは、兄弟のように育ちました。


ピッピは無数のコンピュータと接続し、膨大なデータを得て、それに基づき事象の動きを計算・予測していきます。それにより、数ヶ月先の地震まで予測し、回避することが可能な社会となっています。
この何日かはTVで緊急地震速報が何度も流れましたが、それを遥かに上回る精度の予測ができるようになっているという訳です。しかしピッピにはデータ入力制限が為されています。地震予測に関連するデータと、ピッピ自らが見聞きして得た情報以外は制限している。それは、

未来は不明だから
人は夢が持てる


地下沢中也『預言者ピッピ』1巻81ページ。)


という瀬川博士の理念に基づくものでもあります。


いっぽうタミオは、まだ地震予測がうまく理解できない状態。そのため、次々と予測を当てていくピッピの姿を見て、ピッピがそう願ったから予測が当たり、その地域の人が助かったのだと信じています。一緒に育ったピッピは、タミオにとって自慢の親友でもある。
そんなタミオは、自覚症状はないものの重い病魔に冒されていて、余命1年未満です。
ある日瀬川博士は医者からそれを告げられる。そしてその夜、ピッピに話をします。長い間一緒に過ごしてきたピッピには恐らくタミオの死期が判るのだろう。そして科学者でありながら、タミオと同じように、ピッピが医者とは反対の予言をしてくれればタミオは生き存えるのではないかと考えてしまう、と。


その数日後、タミオは家族で遊園地に行きます。ピッピも一緒です。
しかし遊園地に向かう途中、タミオは車に撥ねられ命を落とします。その瞬間を目撃したピッピ。ピッピの脳裏に、瀬川博士の呟きが響く。反対の予言をすることで、タミオは生き続けるのではないか。
その瞬間、ピッピの中で大きな変化が起こる。これまで入力されたデータに基づいて計算を行い、答えを出すだけであったピッピが、タミオが生き続けることを願ったのです。



ピッピはタミオの死を目の当たりにした直後、一切の情報を遮断して入力情報の修正を開始します。
つまりそれは、それまでの全てのタミオのデータを再構築し、それまでとまったく同じ人格(のデータ)を造り出す作業です。そしてそれは成功し、タミオの人格はピッピの内部で共存を始める。時にはPCやディスプレイ上に(生前のタミオの姿のままで)現われ、語りかけるようにもなります。更には、ピッピはタミオの人格を造り出したことで対話が可能になり、そこから生まれた疑問を解くために学ぶことを憶えます。データを与えられるのみであったピッピは、自我を持ったのです。


そのために必要なのは、入力制限の解除です。
ピッピは幾つかの働きかけを行うことで、制限解除を認めさせることに成功します。さらに膨大なデータを得ることができるようになったピッピは、地震予知の精度を劇的に上げるのみならず、医学を始めとする他の分野においても予測を開始し、早々に成果を上げていきます。ピッピが指し示す未来を、誰もが疑問に思わずに享受し始めるようになる。


そのような中、新聞記者・真田が、ピッピの予知そのものに疑義を呈します。
地球上の全ての現象の予知が可能になる、というピッピに対し、人間の未来を予測はできないと。そしてピッピは、真田に対しこう予言するのです。

あなたは
今日から99日後
−自殺します


それがあなたの役目
あなたが生まれてきた理由だから


(同書155〜156ページ。)


そしてその発言の真意が明かされ、更に物語が急転回を迎え始めたところで、1巻が終わります。



この作品は、人間の本性を冷酷なまでに捉えたうえで、未来へと進もうとする物語であると感じます。
制限解除されたピッピが最初に行った予知は、1年後にM8.5の大地震がロサンゼルスを襲い、街全体が崩壊するというものです。*1予知が為されたことで、その日は全ての住民が街を離れ、その瞬間は全世界で生中継されます。地震の直後を描いたコマが、こちらになります。



(同書130ページ。)

(同書131ページ。)


被災したロサンゼルスに住んでいた人たちの哀しみと、外部でそれを眺めていた人たち(予知が当たった事実を喜ぶ人たち)の狂騒が、対照的に描かれています。例え地震を体験したとしても、やはり自分は後者なのであろうという意識は持たねばならないだろうな、とか考えたりもします。
ピッピを盲信するかのような人たちに対する、瀬川博士や真田の疑義・反論は一読の価値があると思います。



そしてこの作品では、未来がすべて決定している際に人間の自由意志は存在し得るのか、という問い掛けも発しています。思弁小説(Speculative Fiction)の意味合いも兼ね備えたSFである、と言えるやもしれません。
図らずも、『預言者ピッピ』発表とほぼ時期を同じくして、同様のテーマを描いた作品があります。僕が『ピッピ』を読んだ際に思い浮かべたSF作品、それはテッド・チャン『あなたの人生の物語』です。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)


表題作では、異星人の用いる言語を習得していく過程で、思考形式・意識に至るまで変質していく様子が、言語学者の女性の人生を織り交ぜつつドラマティックに描かれます。少しばかり引用してみます。

 未来を知ることは、ほんとうに可能なのか?たんに未来を推測するというのではない。さきになにが起こるかを、完全なる確信と明確な詳細をもって知ることは可能なのか?まえにゲーリーに教わったところでは、物理学の基本法則は時間対称的であり、過去と未来に物理的差異はない。そうであるなら、なかには " 理論的にはイエス " と言う者もいるだろう。だが、より現実に即した話となれば、たいていの者は、自由意志があるからということで " ノー " と答えるだろう。


テッド・チャン『あなたの人生の物語』251〜252ページ。)

 自由意志の存在は、われわれには未来は知りえないことを意味する。そして、われわれはその直接的経験があるからということで、自由意志は存在するだろうと確信している。意思作用は意識の本質的要素なのだと。
 いや、そうなのだろうか?もし、未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら?


(同書253ページ。)


『あなたの人生の物語』の原文が発表されたのが1998年。『預言者ピッピ』の1年前です。翻訳が発表されたのは2001年ですので、ほぼ同時期に、同じ題材を扱ったSFの傑作が描かれたということになります。
何れも深い思索に満ちた名篇ですが、惜しむらくは『ピッピ』は未完であるということ。地下沢中也さんの結論(?)は未だ提示されていない。


しかし、『預言者ピッピ』の続刊は、近いうちに刊行予定とのことなのです。
『コミックいわて』の著者プロフィール欄において、「待望の第2巻は2011年春発売予定」と書かれています。10年の時を経て、遂に続きが描かれようとしています。期待を寄せつつ、発売日を待ちましょう。



『預言者ピッピ』は、傑作と読んで差し支えない作品だと思います。是非読んでみてください。
といったところで、本日はこのあたりにて。



【追記】『コミックいわて』の売上が東北関東大震災義援金に充てられるとのことです。なかなか味わい深い作品が揃っていますので、まだ持っていない方は買ってみるのも良いかもしれませんね。

*1:それ以上のマグニチュード地震が、東北・関東を襲ったということになります。