5日ほど前ですか、『コミックマーケット82カタログ』冊子版が発売となりました。
- 出版社/メーカー: コミケット
- 発売日: 2012/07/14
- メディア: 大型本
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- 出版社/メーカー: コミケット
- 発売日: 2012/07/21
- メディア: DVD-ROM
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冊子版、店によっては既に完売となっているところもあるようです。数年前までは、もう少し長い期間販売が続いていた印象がありますので、年々コミケへの注目度・認知度が高まりつつあるのかな、とも感じます。
既にサークルチェックに余念のない方も、少なからずいることかと思います。
しかしながらコミケカタログは、純粋にサークルの配置を掲載しているだけではありません。全体的な割合で言えば多くはないものの、読物的な箇所もなかなかに充実している。「まんがレポート」(MR、通称マンレポ)はその最たる例と言えましょうし、それ以外にも「コミケの4コマ」「コミケと同人誌と私」等の連載記事(?)がカタログに収録されています。
その中の1つ、「AIDE新聞」*1の記事が面白かった。記事タイトルにも書いた「東南アジア・マンガ紀行」になります。明治大学国際日本学部准教授の藤本由香里さんによる、シンガポールとインドネシアのマンガ状況のレポートです。*2以下、簡単な内容紹介ならびに感想みたいなものを。
まず最初に、シンガポール国立大学で開催された少女マンガの国際学会「Women's Manga Beyond Japan」に参加したこと、アジア各国の研究者が自国の女性マンガ事情について発表をした旨が記されています。
- 参考:「Women's Manga Beyond Japan」のプログラム(PDF、英語)
研究発表の概略の中では、「タイではキスシーンがお花で隠されて」*3いる、という内容が興味深いものでした。
こういった、表現上の制約とか、それを逆手に取ったような演出とかは面白いですね。そして何らかの制約が逆に表現の洗練を生む、そういった事例も度々存在するのがまた面白い。
日本のケースでは、えろまんがけんきゅう管理人・稀見理都さんの同人誌『エロマンガノゲンバ Vol.3』に男性向けアダルト携帯コミックについて触れている記事がありましたが、*4その中ではSEXシーンやキスシーンに唾液が絡むとNG(でもおいしい物を見た際の唾液はOK)とか、SMで縄や手錠で拘束するのはNGだけどかわいいピンク色水玉模様のリボンならOKとか、*5携帯コミックには独特な修正基準があることが触れられていました。
他に制約として有名なのは「ヘイズ・コード」ですか。アメリカにおいて1934〜1968年まで適用された、映画の検閲制度ですね。このヘイズ・コードだと、例えば「3秒以上のキスはダメ」とかあって、各映画会社もそれを守っていたりした訳ですが、アルフレッド・ヒッチコック監督が『汚名』を撮る際にどうしてもディープキスの場面が欲しく、3秒以内のキスを延々と繰り返したというエピソードもありましたね。
東南アジアでも、そういった表現の試行錯誤・洗練が生まれてくるのか、気になるところです。
そしてシンガポールの書店におけるマンガ事情も紹介しています。
複数の民族からなる国家故に公用語が4つ(英語・中国語・マレー語・タミル語)あり、日本マンガの翻訳にもそれが反映されている(中国語版には「繁体字版」「簡体字版」共に存在する)という点や、紀伊国屋シンガポール店には世界中あらゆる国の、代表的な人気マンガが揃っているといった点に触れています。
これは日本よりも先に進んでいる点ですな。日本だと、ここ何年かでようやく海外の作品(BDとか)の翻訳が増えてきたという状況で、それでも海外の作品は書店のごくごく一部にひっそりと置かれているような実態ですからね。そして日本の翻訳コミックは無闇に高いですし。
まぁ、これは日本のマンガが異様に安いのかもしれませんし、海外だとマンガはどのくらいの値段なのか、翻訳のレベルは、紙質はどうなのか、といった要素も絡まってきますので、まぁ難しいですね。
あとシンガポールでは「アーチーコミックス」の人気が高い、という話も面白かった。藤本准教授の言葉を借りれば、「アメコミの中では珍しく少女マンガ的な要素を備えた、ほんわりした学園ものシリーズ」で、「ほんわりした学園ものシリーズなので、アジアではスーパーヒーローものよりその方が受けるのかもしれない」*6とのことです。
アーチーコミックスは、この他には『SONIC THE HEDGEHOG』*7『MEGA MAN』*8のコミックス等も出版していますね。
この話を読んで思ったのが、日本におけるブルーバード映画の位置付けに似ているな、と。
ブルーバード映画(Bluebird Photoplays Inc.)というのは、1916〜1919年に存在したアメリカの映画配給会社(並びにそこが制作した作品群)です。うら若き女性の悲恋ものとか、人情劇的な作品が中心で、本国では殆ど顧みられることのない作品(故に3年程度で合併消滅しています)なのですが、日本でのみ爆発的にウケたのですな。作風が、大いに日本人好みであったということでありましょう。
これらの作品群が、後の日本映画に少なからぬ影響を与えたとの指摘・研究も為されています。
こういった嗜好もまた、お国柄というやつなのかもしれませんね。
まぁ短絡的に括ってしまうのは、これはこれで大いに問題があるかと思いますが。
些かシンガポールの話(並びに脱線)が長くなったので、インドネシアの話は簡潔に。
やはりインドネシアのレポの中では、「インドネシア漫画の父」と言われるコサシ氏の話が面白かったですね。
インドネシア漫画の歴史は、1953年にコサシ氏が描いた『スリアシ』から始まる、とのことで、初期の(コサシ氏の作品を始めとする)インドネシアのマンガには古いアメコミの影響も感じられる、との話。そして藤本准教授、コサシ氏と直接お会いする機会を得て、インドネシア漫画のルーツを直にお聴きすることができたとのこと。
お会いした際、既にコサシ氏は90歳を越える年齢。強引に喩えるとするならば、水木しげるセンセイと同じくらい長生きしている手塚治虫、といったところでしょうか。
そのコサシ氏が語るインドネシア漫画のルーツが、フィクションかと思うほどにドラマチック。
以下に引用しておきます。
「当時、バナナなどを買うと新聞紙で包んでくれたんだよ。けれどインドネシアでは新聞紙が足りず、アメリカが古新聞を送ってくれた。そこには、動きのある、見たこともない漫画が載っていた。言葉はわからないけれど、子供の頃からそれを夢中で模写したんだ。『ターザン』や『フラッシュ・ゴードン』なんかをね」
(『コミックマーケット82カタログ』1343ページ。)
そしてアメコミの影響を受けて描かれた『スリアシ』が、後のマンガ家に影響を与え・・・という流れ。藤本准教授も「浮世絵が欧米に伝わった時を思い出させるエピソード」*9と書いていますが、何らかの文化が、思わぬところで別の文化として引き継がれ、花開く様子は、何か感慨深いものがありますな。
マンガの歴史としても、実に貴重な証言であるかと思います。
この他にも、インドネシアの貸本事情を始めとして、興味深い内容が多数報告されています。
自分は仕事の都合上、外国に行ったりするのが不可能に近い状況なので、こういった海外事情を伝えてくれる記事は非常にありがたい。
日本国内にいるだけでは判りづらい、海外のマンガ事情(の一端)を教えてくれる、良い記事であると思います。サークルチェックの合間に、読んでみるのも悪くないのでは、と考える次第です。
といったところで、本日はこのあたりにて。