マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

Hさんへの追悼文

先日、知人のHさんが亡くなられたとの知らせを受けた。
Hさんとの間柄は、所謂「オタ友」というものだ。
詳細はまだ判らない。追って確認を取っていくことになると思う。



Hさんと初めてお会いしたのは、確か5〜6年ほど前のことだ。
当時の俺は、共通の趣味を持つ友人に餓えていた。


今はブログや twitter を通じての知り合いも少なからずいる。ありがたいことに、飲みのお誘いを受けることもある。しかし、そのような知り合いが皆無だった時期が、10年近く続いた時期がある。
そのような時期に、mixi に入った。紹介制だった頃だ。数少ないツテで入会した俺は、某コミュニティのオフ会に頻繁に参加するようになった。まだ、mixi に勢いがあった時期のことである。


少しずつ知り合いも増えてきた頃、集まってボードゲームをやろう、という内容のオフ会に参加した。Hさんと初めてお会いしたのは、そこであったと思う。
それ以降、オフ会で度々顔を合わせるようになり、お話をさせて戴く機会も増えていった。



Hさんは、非常に明晰な、且つ論理的な思考をすることができる人だった。
ボードゲームをやるオフ会では様々なゲームをする機会があった。俺は記憶力にはあまり自信がないのだが、『カタンの開拓者たち』『カルカソンヌ』『サンファン』『シャドウハンターズ』『スコットランドヤード』あたりはプレイしたと思う。名称を失念したゲームも数多い。
Hさんはどれをプレイしても強かった。そしてプレイ後の感想戦では「○○○のときに×××に駒を動かしたよね。あのときに△△△に置いていれば、相手の□□□に動くという選択肢を封じ込めることができるから、そこから違う展開を...」といった具合に、淀みなく流暢に説明をしてくれた。俺はその説明に頭が追いつかず、生返事を返してしまうことも1度や2度ではなかった。
俺はHさんの思考力に常に舌を巻き、羨望の念を抱いていた。それは嫉妬に近い感情でもあったかと思う。



ボードゲームをひとしきり堪能した後は、居酒屋で二次会に移ることも多い。
そこでは自然とオタク的な話に花が咲く。Hさんの知識量は膨大であった。
Hさんはガッチリとした体付きで、パッと見はやや強面だと思う。外見上からは些か想像しづらいのではあるが、少女マンガにも非常に造詣が深かった。様々な作品を詳細に記憶していて、且つその場面の感想を自らの言葉で語れる人であった。


大学を卒業してからようやく本格的にマンガを読み始めた、付け焼き刃の俺とはまるで異なる。研ぎ澄まされた感性を持ち、若い(或いは幼い)頃からリアルタイムでそれらに接し続けてきたことが、Hさんの話の節々から滲み出てきていた。



自ら明言するようなことは無かったが、Hさんの話の断片から、以前Hさんが出版関係(或いはそれに近い職種)に就いていたことは推察ができた。


「神保町のファミレスに入ったらさ、隣にいたのが○○先生でさ、ネーム描いていたよ」

「××先生は凄く筆が速くてさ、1度も締切を伸ばしてもらったことがないらしいんだよね」
「あの描き込みで、締切伸ばさずに描き上げているんですか!?」
「マジ凄いよね。それで××先生の結婚式に呼ばれたんだけど、その二次会のときに...」


それらの話を聞くのが愉しかった。
もっと色々な話を聞いてみたかったが、それが叶うことはない。
この話の流れで、「神保町の旨い店めぐりもやってみたいよね」という話もしたのだが、その約束も、果たすことができなかった。



先程、Hさんの感性の鋭さについて触れたが、それを改めて感じさせた出来事がある。2008年6月8日のことである。
秋葉原通り魔事件が起こった日のことだ。
その日、俺は仕事をしていたが、その事件はTVやネットを騒然とさせていた。事件発生直後は詳細が判らず、ネット上でも真偽のほどが判らない情報が飛び交っていたように思う。
知り合いにオタク的な人物が多くいる関係上、事件発生時に秋葉原にいた人が多いかもしれない(実際、何人かが秋葉原にいたようだ)。そう考え、mixi にログインした。
そこで見たのは、某コミュニティで、憶測を可能な限り排した情報を調べ、情報元のリンクをまとめ、事件の正確な情報を記録しようとしているHさんの書き込みだ。その書き込みと共に、「涙が止まりません...」という発言を残していた。


自分とは直接的な接点を持たない人に思いを巡らせ、涙を流すことができる人なのだ。
俺にとっては、この書き込みもまた衝撃を受けるに値するものであった。



Hさんは、何でも面白がれることができる人でもあったと思う。
上で書いたことからは矛盾を感じるかもしれないが、実際にお会いする際のHさんは常に楽しそうな笑顔を見せていた。思えば、俺が何人かに「これ、面白いんですよ」と『任侠沈没』を薦めたときに、真っ先に面白がってくれた1人がHさんだった。(連載当時から『任侠沈没』を猛プッシュしていた情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明の soorce さんやなめくじ長屋奇考録のげウさんとはその後幸いにも知己を得るが、当時は雲の上の存在に近く、現在のような状況は想像することすらできなかった。)



人脈の広さも、謎と言えるほど広い人だった。
コミケに参加した際、「俺、このスペースで売り子の手伝いやってるから」という連絡を戴き、挨拶に行ったところ、そのサークルさんは自分も知っているレベルの、有名な作家さんだった。
また、某人気小説のイラストを担当されている方とも顔見知りだったらしく、「△△△先生のところに挨拶行ってきた」とサラリと言っていた。
コミケも当然の如く晴海時代から参加し続けている人だったので、その時期からの繋がりも多くあったのだろう。俺が東北の片田舎で能天気な学生生活を送っているときにも、Hさんは創作に近い場所に身を置き、そこに集う人との交流を欠かさなかったに違いない。


それでいながら、俺のような人間にも気さくに接してくれた。
確か4年前の夏コミであったか、仕事で3日目に参加できなかった時のことだ。「俺は行けないので、誰か代わりに...」と mixi の日記に書いたところ、真っ先にその役割を買って出てくれたのがHさんだった。
自分は3日目には、評論系同人誌の島めぐりを行う。評論系同人誌は時に分厚くなるので、買い込むとかなりの重さになる。しかもその年の夏コミには、以前自分がブログ記事で書いた「最も分厚い同人誌」の2冊目が頒布されていた。
後日それら受け取った際にも、嫌な顔ひとつせず「分厚くてびっくりしたよ!」と笑いながら話してくれた。評論同人誌を肴に、ファミレスで話し込んだのも良い思い出として記憶に残っている。



しかしここ2〜3年は、やや疎遠気味になっていた。
仕事が忙しくなったのと、ブログと twitter軸足を移したため、mixi をあまり利用しなくなったのが大きい。それでも、コミケの際には顔を合わせることはあったし、何度か知り合いを集めて飲みをしたこともあった。
最後に顔を合わせたのは、昨年の冬コミだ。例によって評論島近辺を散策していたところ、Hさんと仲の良いA君が、一緒に売り子の手伝いをしていた。その後一緒に評論島巡りをして、再び自分たちのサークル(この時は自分も売り子の手伝いをしていた)に戻った。それが、元気なHさんの姿を見た最後である。





そして先月、9月末のこと。
相も変わらず仕事に追われ続けていた俺の携帯が鳴った。
自分の携帯が鳴ることは珍しい。「鳴らない、電話」というやつだ。
誰だろう、と発信元の名前を見てみた。Hさんだった。





「どうもー、お久し振りですHですー」
「どうも、お久し振りです」
「どう、元気してた?仕事は忙しい?」
「仕事は相変わらずですね。ちょっと先月手術で入院したんですけど、何とか元気でやってますよ」
「え?どうしたの?」
「ブログにも書いたんですけど、歯茎の奥のほうに膿の嚢みたいなのができてしまって、それの切除の手術があったんですよ」
「どれくらい入院してたの?」
「1週間くらいですねー」
「俺もしばらく仕事休んでてさ、ちょっと前に復帰したよ(※このあたりの詳細はうろ憶え。聴き間違いがあるかもしれない)」
「それで、えぇとさ、今度A君の家で宅飲みするんだけどさ、きくちさんその日空いてる?」
「あぁ、A君 mixi の日記で募集掛けてましたね。でもその日仕事なんですよ」
「Kとかも遅くなるけど来るって言ってるし、遅くても来れるようだったらどうかな、って思ったんだけどどう?」
「次の日が休みなら行きたいんですけど、その翌日も仕事なんですよね。あと、やっぱり月末って色々とやることが多くてちょっとキツいんですよね。本当に申し訳ないんですけど、今回は見送りということに」
「まぁそういう仕事だとしょうがないよね。来月とかはどうなの?A君が長めの休暇取るらしくてさ、もし予定合うようならその時にどう?」
「あ、いいですね。10日までだと、○日と×日がいちおう休みです。11日以降はもう少ししないと判らないですね」
「じゃあ、休みの日判ったら教えてよ。あと、こういう飲みをやりたいとかある?」
「いやぁ、自分は基本的にオタク話が出来ればOKですね」
「それって俺たちが集まれば必然的にそうなるじゃない。それプラスってことで。BBQやりながらとか、温泉浸かりながらとか」
「あ、温泉良いですね」
「近場にもけっこう良いところあるよ」
「仕事柄なかなか休み合わないですけど、合えば是非行きたいですね」
「じゃあ、休みの予定判ったら教えてよ。忙しいのに、夜中に悪かったね」
「いえいえ、このくらいの時間ならいつも起きてるので大丈夫ですよ。ではまたの機会によろしくお願いします」
「うん、じゃぁ次会うときはよろしく。お疲れさまです」
「お疲れ様です。では失礼します」





細部の記憶は抜け落ちているので、正確な文字起こしという訳ではないが、大筋でこのような会話をしたと思う。
そしてこれが、Hさんと交わした最後の会話だ。
この会話から2週間と経たずに、Hさんは彼岸へと旅立ってしまった。
俺はまた、約束を果たすことができなかった。


Hさんの携帯番号は、今も俺のアドレス帳に残っている。
しかしそこに掛けても、もうHさんが出ることはない。
もしかすると、既にこの番号じたいが通じないかもしれない。確認はしていない。
しかしいつかは、「現在使われていない番号」になるのだろう。
少しずつ、Hさんが生きていた痕跡は薄まるのかもしれない。



最後の会話となった電話で、飲み会に誘って戴いた。それは、Hさんが俺のことを、友人と看做してくれていたのだ、と思いたい。
それならば、俺も友人として、Hさんと過ごした記憶を、幾許かでも残しておこう。
そう考えて今回の文章を書いたが、Hさんについてどれだけ正確に記録に留めることができたのかは判らない。


向こう側というのが本当にあるのかどうか、俺には判らない。
しかし仮にあるとするならば、一足早く行ってしまったHさんに、色々と約束を反故にしてしまったことに対して、一言お詫びをしたい。その上で、また色々なお話を窺いたい。一緒にボードゲームをやって、再び理詰めの解説を聞いてみたい。
その際は、よろしくお願いします。


5〜6年という短い期間ではありましたが、楽しい思い出を幾つも戴きました。
ありがとうございます。