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時折マンガの話をします。

マリオ・ツェペリはいつ生まれたのか

ジョジョの奇妙な冒険』、アニメ放映中です。


評価としては賛否両論の感もありますが、twitter で実況しつつ愉しんでいる今日この頃。これを機に原作未読の方にも是非読んで欲しいと思ったりもします。最新作の『ジョジョリオン』まで含めると107冊(2012年10月時点)という大長編ではありますが。間違いなくハマる筈です。


で、アニメ化記念といいますか何と言いますか、『ジョジョ』について何か書いてみようと思い立った次第。
実を言いますと、今から6年以上前、 ameba でブログやっていた頃に同様の記事を書いています。とは言ってもそのブログじたいが消えてしまっていて、自分でも元記事を残していなかったので、記憶に頼りつつ、全部一から書き直すことに。


第1部〜第2部にかけてのネタバレ描写が多くありますので、未読・未見の方はご注意のほどを。
それでは早速開始します。念のため以下の文章は収納しておきます。




ジョジョの奇妙な冒険』単行本4巻には、荒木飛呂彦先生による「おわびのためのあとがき」が存在します。*1
「おとなはウソつきではないのです、まちがいをするだけなのです......。」*2という有名な一文が生まれたこのあとがき、書かれた理由は「『ジョジョ』にシーザーというツェペリさんの孫が出てくるのですが、そのシーザーの存在について、大変重大なミスが、この第4巻に収録されている中に、あったため」*3とあります。
そしてその箇所を訂正した、と。


その箇所がどこなのかと言いますと、こちらになります。



荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』4巻161ページ。)


ウィル・A・ツェペリ(ツェペリさん)の最期の言葉、自らの過去を語りつつジョナサン・ジョースターに未来を託す場面です。自分はこの時期は連載をリアルタイムでは追っていなかったので伝聞情報になりますが、元々の台詞では「妻子はいない」という内容の台詞だったとのこと。
しかし第2部ではツェペリさんの孫・シーザーが登場する。「妻子はいない」という台詞と決定的な矛盾が生じてしまう。
それを訂正したのが、上の画像の台詞となる訳です。



しかしながら、それでもなお気になる点がある。
第2部の主役、ジョセフ・ジョースターならびにシーザー・A・ツェペリはほぼ同い年です。ジョセフが1920年、シーザーが1918年ですね。
では2人の祖父、つまりジョナサンとツェペリさんの年齢は?
ジョナサンの生没年は1868〜1889年。享年20。
ツェペリさんの生没年は、詳細は後で書きますが、1838〜1888年。享年50(推定)。


つまり、ジョナサンとツェペリさんには30という年齢差があります。にも関わらず、ジョセフとシーザーには殆ど年齢差がない訳です。
これを「設定ミスだ!」と騒ぎ立てることは容易い。しかしながらそれはあまりにも短絡的で芸がないというものです。そこで、どうすればこの年齢の開きを過不足なく説明出来るか、それを考えてみたいと思います。



それを考える際に鍵となるのは、シーザーの父(=ツェペリさんの息子)であるマリオ・ツェペリがいつ生まれたのか、という点になります。言い換えるならば、ツェペリさんが子供を設けたのはいつか、ということです。
それを探るために、まず作品内で明らかになっている点を抜き出してみましょう。

  • ツェペリさんの生年は1838年:単行本4巻128ページに、「1863年 チベット ツェペリ 25歳」との説明があります。ここから1838年生まれであることが判ります。
  • ツェペリさんが波紋の修行を始めたのは1860年:4巻129ページ、ツェペリさんの波紋の師匠・トンペティが「三年間 ここの荒行によくぞ耐えた......」と言っています。このことから、4巻87〜93ページで描かれるツェペリさんの回想(トンペティ師を訪ねチベットへ赴く場面)が1860年であることが判ります。
  • ツェペリさんの参加した遺跡発掘隊が壊滅したのは1858年:4巻88ページ、1860年時点での回想場面に「石仮面が船を全滅させ父を 魔人に変えて死なせてから2年!」というツェペリさんの台詞があります。この台詞から、単行本3巻49〜55ページに描かれた、ツェペリさんが石仮面を追う理由となった発掘隊の壊滅が1858年であることが判ります。この時点でツェペリさん20歳。3巻54ページの台詞「わたしの父は当時のわたしぐらいの年齢まで若くなっていた」とも符合します。


この点から導き出せるのは、1860〜1863年の間にマリオが生まれた可能性は限りなく低いということです。チベットで修行していますからね。更に言えば、3年間の荒行の後、ツェペリさんは「周天の法門」という高度の修行に入ります。*4「周天の法門」がどのような修行なのかはよく判らない訳ですが、高度の修行という以上、それまでと同等・或いはそれ以上の年月が必要とされることが予想されます。
当て推量の数字ではありますが、仮に5年くらいかかるものと仮定しておきましょう。その場合、ツェペリさんは1860〜1868年にかけて修行を続けており、その間にマリオが生まれたとは考えづらい、という推論が導き出せます。



つまりマリオが生まれたのは1860年以前、或いは1868年以降となる訳ですが、前者の可能性は除外して差し支えないと思われます。
仮に1860年に生まれたとした場合、シーザーが生まれた際に58歳。
マリオが命を落としたのが1934年なので、享年74となります。
単行本10巻49〜62ページ、シーザーの過去が語られる回想場面においてマリオの姿も描かれますが、それほどの高齢にはとても見えない訳ですな。



荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』10巻49ページ。蒸発前、シーザー10歳頃の時点でのマリオ。)



(同書53ページ。蒸発して6年後、1934年のマリオ。)



このような理由から、少なくともマリオが生まれたのは1868年以降と考えて差し支えありますまい。


少し本筋から逸れますが、次にマリオ・ツェペリについて判っていることを抜き出してみます。
とは言っても上記回想場面(10巻49〜62ページ)で書かれていることが全てではありますが。

  • イタリア人である
  • ナポリで家具職人をしていた
  • ツェペリさんの意思を受け継ぎ波紋の修行に生涯を捧げていた
  • シーザーが10歳のとき(=1928年)に蒸発
  • 「柱の男」(カーズたち)を最初に発見し、倒す方法を探し世界中を旅していた
  • 失踪した6年後(=1934年)、シーザーを庇い「柱の男」の餌食になった


このくらいでしょうか。


まず気になるのが、ツェペリさんは恐らくイギリス人であるという点。国籍までは詳らかにされないものの、「ウィル」という名前は英国のものではないか。傍証に過ぎませんが、若き日のツェペリさんは遺跡発掘でインドやエジプトに訪れています。*5インドはイギリスの植民地でもありました。
このことから、ツェペリさんはイタリア人女性と結婚したことが推測されます。作中にまったく登場しない以上、二次創作に近いものにはなる訳ですが、1858〜1860年、或いは修行を終えて以降(便宜的に1868年以降とします)、石仮面の行方を求め世界中を旅していた時期に、イタリアに立ち寄った際に結婚をしたと考えるのが妥当でありましょう。
結婚の時期とマリオが生まれた時期が一致する必要は必ずしもありません。


続けて、マリオがツェペリさんの意思を継ぎ波紋の修行をしていた、という点。
誰からツェペリさんの真実を聞いたのか?という疑問が出ます。「波紋の修行に生涯をかけ」という説明から、*6かなり早い段階でツェペリさんについては知っていたと考えられます。
やはりこの場合、ツェペリさんの妻が、息子のマリオにそれを伝えたと考えるのが妥当かと思う次第。


ツェペリさんは最期に「わしは...若い頃結婚していた しかし石仮面のため家族をすてた」と言っていた訳ですが、*7このように考えれば、ツェペリさんの妻は全てを知った上で彼を石仮面捜索の旅へ送り出したということになりますな。そして父親の真実の姿を、息子(マリオ)に伝えたということにもなります。代々受け継がれていく高潔な精神、まさしく『ジョジョ』ではないか!・・・ほぼ完全な妄想・二次創作の世界になりつつありますな。(´ω`;)



さて話を戻しますと、マリオ・ツェペリが生まれたのは1868年以降となります。
ではいつなのか?これもまた確定できる証拠がないため、推論とならざるを得ません。
上で引用した、ツェペリさん最期の言葉が、数少ない推論の材料となります。


「わしは...若い頃結婚していた しかし石仮面のため家族をすてた」。


つまり、「家族を」というからには「妻」のみではなく「妻と子」と考えるべきでしょう。
「若い頃」に「妻と子」をすてた、と言っている訳です。
命を落とした際に、ツェペリさんは50歳。その時点で「若い頃」と言えるのはいつか。
漠然と考えるなら20代の頃かと思う訳ですが、ツェペリさんは22〜30歳頃にかけてはチベットで修行中と推測されます。その時期にはまだ「家族」ではない。
それ以降、つまり30歳以降で「若い頃」となるのですが、あくまで主観的な判断ではあるものの、50歳の時点で「若い頃」と言えるのは35歳くらいが限界ではないか。
そう考えると、1873年あたりがマリオが生まれる限界の年となります。


仮に1873年生まれだとすると、シーザーが生まれた際は45歳。
カーズたちの餌食となり命を落としたのが61歳のとき、となります。


これなら、ある程度画像との整合性もあるのではないか、と考える次第です。
まだ些か晩婚という気もしますがね。
まとめると、このような結論になります。

  • マリオ・ツェペリの生年は1868〜1873年の間。
  • シーザーが生まれた際の年齢は45〜50歳の間。
  • 死亡した歳の年齢は61〜66歳の間。


自分ではこれくらいが絞り込める限界でしたが、まだ見落としがあるやもしれません。
大きな勘違いをしている可能性もあります。ご意見あればお伝え頂けると幸いです。
といったところで、本日はこのあたりにて。



【10月24日追記】


ツェペリさんが高度の修行「周天の法門」を終えた時期について、便宜的に1868年頃と設定していましたが、ある程度その説を補強できそうな記述がありました。
5巻15ページ、トンペティ師の弟子の1人・ダイアーの台詞です。

ツェペリさんとは共に苦行をのりこえた
20年来の親友だったのだッ!


第1部の時代設定が1888年ですので、そこから20年遡ると1868年となります。
修行を終えた時期は、やはり1868年が有力かな、と考える次第です。


そしてこれは自分の単純なミスなのですが、よく考えてみれば、修行を終えたその年にマリオが生まれる可能性は非常に低いですね。
チベット→イタリアへの移動時間ならびに、ツェペリさんの妻が子を宿し、出産するまでの期間を考えると、早くても翌年になると考えるのが妥当です。
それを踏まえて、マリオ・ツェペリの生年については以下のように修正します。

  • マリオ・ツェペリの生年は1869〜1873年の間。
  • シーザーが生まれた際の年齢は45〜49歳の間。
  • 死亡した歳の年齢は61〜65歳の間。


以上、追記でした。

*1:荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』4巻202〜203ページ。

*2:同書203ページ。

*3:同書202ページ。

*4:単行本4巻129ページ、トンペティ師の台詞参照。

*5:単行本3巻49ページ参照。

*6:単行本10巻61ページ。

*7:単行本4巻161ページ。