『チェイサー』の戦略:或いはなぜ海徳光市は実在を主張されなくなったか
コージィ城倉さんの『チェイサー』、面白いですね。
- 作者: コージィ城倉
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/09/30
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この作品の舞台となるのは昭和30年代の前半です。
主役の名前は海徳光市。複数の戦記物の連載を抱えるマンガ家です。そして彼は、その当時圧倒的な人気を誇っていたマンガ家・手塚治虫に対して異様とも言えるほどの執着を抱え、ライバル視しています。海徳光市は人づてに手に入れた情報を元に手塚治虫の行動を真似て、追跡し続ける。タイトルどおり、手塚治虫の背中を追い続ける訳ですね。
そしてその行動によって、手塚治虫の狂気にも似た仕事量・天才性・異常性が浮き彫りになってくる、という構成になっています。
また、作中で海徳光市は手塚作品の批判とかをよくしたりするのですが、それらの指摘が、現代の観点からするとかなり的確だったりする訳でして、手塚評論として読んでもなかなか面白かったりします。*1
そんな『チェイサー』ですが、単行本2巻を読んでいた際に、ふと違和感みたいなものを感じました。
これは何かと読み返して、気付いたことがひとつ。
「この人物は実在した!」という煽り文句が、2巻には存在しないのですね。
『チェイサー』連載開始当初は、何度も繰り返し作中に「この人物は実在した」という一文が添えられ、海徳光市は実在した人物であるという体裁で話が進んでいました。
実際のコマを抜き出してみます。
(コージィ城倉『チェイサー』1巻5ページ。)
見つけた限りでは以上7ヶ所。第1話・第2話・第4話の冒頭と最後、ならびに第6話の冒頭になります。1巻は6話まで収録されていますので、まぁけっこうな頻度と言えるかと思います。単純計算で1話につき1回以上ですね。*2
しかし2巻になると1回もないのですね、「この人物は実在した」の一文。
これは恐らく、かなり意図的なものではないかなと推測する次第です。
自分はそれなりには昔のマンガも読んでいるつもりですが、海徳光市という名は寡聞にして聞いたことがない。そんな中で、新連載の冒頭で「この人物は実在した!」と大上段でぶたれた際は「おっ?」と思った訳です。まぁ100%実在ではないにしろ、誰かモデルになった人物はいたのか、或いは複数のモデルを基に作り上げたキャラクターなのかな、くらいには考えたのですな。
昔のマンガのことをあまり知らない人であれば、ある程度は信じるかもしれない。それでいて誰もが知っているであろう、手塚治虫を主題に据え、彼に異常なまでの執着を持つキャラクター主役に当てている。つかみとして非常に巧いと思う。
しかし『チェイサー』、ちょうど2巻に入るあたりから、じわじわとフィクション性が増してくるのですね。海徳光市は結婚して、子供も授かる。更には「メガネを外すと実は美少女」という演出を考案したのが実は海徳光市であった、というエピソードまで描かれる訳です。
そうなると、「この人物は実在した」を貫き続けるのは些か無理が生じてくるように感じる訳です。そして1巻収録分を描いた頃には、ある程度連載も軌道に乗ったのではないかな、と。つまり「この人物は実在した」に頼り、頻発させる必要もなくなったのではないかと推測する次第。
と、まぁこんなことを考えながら2巻まで読んだ訳ですが、この時期に絶頂を迎えた手塚治虫は、その後人気の低迷に虫プロの倒産と苦難の時代を迎えます。海徳光市に目を転じても、得意とする戦記物はジャンルとしては衰退に向かい、同じく苦難の道が予想される。更には手塚治虫は冬の時代から、それこそ火の鳥の如く復活を果たす訳です。それらも踏まえ、『チェイサー』で手塚治虫ならびに海徳光市がどう描かれていくのか、期待しているところです。
といったところで、本日はこのあたりにて。