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時折マンガの話をします。

『全身編集者』

すごい本だな、というのが率直な感想です。 

 

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白取千夏雄『全身編集者』。

嘗て「ガロ」の副編集長を務められた、白取千夏雄さん(2017逝去)の自伝です。

 

自分にとっての「ガロ」は、水木しげるセンセイが『鬼太郎夜話』のリメイク版や各種時代物を執筆したり、白土三平さんが『カムイ伝』を描いたり、あとはもちろん、つげ義春さんが数々の名作を発表された雑誌、というものです。1960〜70年代のイメージですね。

それとは別に、あくまで個人的なイメージとしては、1990年前後のサブカル的な雰囲気を牽引していた、という印象があります。それに該当する作家のお名前を挙げるならば、根本敬ねこぢる山田花子(敬称略)といった方々でしょうか。

 

白取千夏雄さんが「ガロ」に携わっていた時期は、後者にあたります。1984〜1997年。

根本敬さんの担当編集を長く務められたのも、ねこぢるさんを(恐らく)最初に見出したのも、そして『全身編集者』の表紙イラストを描いた古屋兎丸さんの初代担当となったのも白取千夏雄さんです。

そして、1997年に起こった「ガロ」の分裂騒動、主だった「ガロ」の編集者が青林堂を一斉退社し、青林工藝舎を設立した一連の動きを、内側から見続けた方でもあります。

 

 

そんな方の自伝が、凡百の内容である筈がない。「白取千夏雄さんの自伝を出す」という話を初めて聞いた際、そんな確信を抱いた記憶があります。

『全身編集者』の編集人であり、この本を出版した独立出版レーベル「おおかみ書房」代表でもある劇画狼(@gekigavvolf)さんとは、幸いにもかなり以前から懇意にさせて戴いており、トークイベントで上京された際に、チラリとお伺いすることができたのです。恐らく、2015年11月か2016年2月。

 

白取千夏雄さんは壮絶な闘病の末に、2017年に彼岸へと旅立たれた訳ですが、それから2年の時間をかけ、遂に完成したのが『全身編集者』という本になります。

些か前置きが長くなりましたが、この本の感想みたいなものを、書いてみようかと思います。

 

 

 

まず、『全身編集者』の目次を書き出してみます。

 

第1章 「ガロ」との出会い

第2章 「ガロ」編集長

第3章 「ガロ」編集部へ

第4章 「ガロ」編集道

第5章 「ガロ」とバブル

第6章 「ガロ」長井会長・山中社長体制へ

第7章 「デジタルガロ」の真実

第8章 「ガロ」休刊の裏で

第9章 「ガロ」社員一斉退職後の苦難

第10章 白血病と余命宣告

第11章 やまだ紫との別れ

第12章 命が消える前に

第13章 「ガロ」編集魂

最終章 全身編集者

あとがき 山中潤

 

単純に分けると、青林堂所属時代が綴られる前半と・それ以降の後半という分類が可能かと思いますが、個人的な感覚からすると、幾つかの視点が織り込まれつつ自らの人生が綴られていると感じます。

 

 ①白取千夏雄さん個人の視点(1〜2・6〜10章)

 ②編集者としての、白取千夏雄さんの視点(3〜5・12〜13章)

 ③やまだ紫さんの夫としての、白取千夏雄さんの視点(11〜12章)

 

あくまで大まかな印象・傾向ですが。

 

北海道の函館で生まれ、マンガに熱中しつつ模写を始め、画力も上達しマンガ家を目材て上京。「ガロ」編集長・長井勝一氏が講師を務める専門学校に入学するも、自らのマンガ家としての才能に限界を感じ、そんな折長井氏から「ガロ」のアルバイトの誘いを受け、そのまま社員にというのがだいたい2章まで。

 

3章からは「ガロ」に携わるようになってからの日々が綴られる訳ですが、編集の仕事と並行して営業業務も行っていたことや、台割・色指定といった諸々の仕事が詳細に語られる。現在はPCでの作業も増えて様変わりしている箇所も多いのかと思いますが、この時代の仕事の仕方についての記録になっていると思いますし、何よりも、その当時の空気感が伝わってくるのですよね。

それと併せて、主に3〜5章では、白取千夏雄さんの編集論・編集道とでもいうものが随所で語られる。強引に要約してしまうと、「作家への尊敬・敬意」「自らの感性を磨きつつ、作家の感性を理詰めで他者に伝える」といったものでしょうか。

 

 

その編集道が繰り返し語られたあとの6〜9章で、「ガロ」分裂騒動に至るまでの経緯が語られる訳です。

 

インターネットの時代がくる・その時代における最先端の表現の場を「ガロ」が用意すべきだ、という意見が顧みられない(≒感性を磨いていない)。

やまだ紫さん特集号への協力もない(≒作家への尊敬・敬意に欠ける)。

 

様々な要因から、白取千夏雄さんと、手塚能理子さん(一斉退職組の代表で、現・青林工藝舎代表)を始めとする一斉退社組との間に齟齬・軋轢みたいなものが生じていったのであろう。

白取さんの編集道と相入れなくなり、その他にもいろいろな要素が積もり重なったことで、「クーデター」までなだれ込んだのだろう。

そう感じさせる構成になっています。予め、「編集道」を繰り返し書くことで、それが浮き彫りになってくると言いますか。詳細は、実際に読んで戴きたいところですね。

 

 

10・11章は、白取千夏雄さんのブログからの抜粋がメインとなります。

 

shiratorichikao.blog.fc2.com

 

10章は白血病を宣告されてからの1年(2005〜2006年)と、宣告から1000日ほど経過した2008年の記事からの抜粋。自らの身体や心境について、詳細かつ鋭利な記載が続き、編集者としての視線みたいなものも伺える。

そして11章、「ガロ」で活躍したマンガ家であると共に、長く連れ添った白取さんの妻である、やまだ紫さんの最期の日々を綴った記録。これは10章とは正反対の、やまだ紫さんの夫としての主観が前面に押し出された、スピリチュアルな感覚すら漂う記録です。

やまだ紫さんへの愛情が剥き出しになった、慟哭にも似た文章になっている。

 

 

そして、初めて『性悪猫】を読んだ際の感情を率直に伝え、やまだ紫さんへの愛情を綴り、やまだ紫さんの作品の素晴らしさを理詰めで語る。にも関わらず「商売の論理」で入手困難になり、消えつつある現状に異を唱え、代表作の復刊にこぎつける。

白取さん個人の視点、夫としての視点、編集者としての視点が交錯する12章「命が消える前に」は、この『全身編集者』の白眉と言って差し支えないと思います。

 

そしてそれは、劇画狼さんが出版レーベル「おおかみ書房」を立ち上げ、白取さんから「編集魂」を叩き込まれながら、どこも出版せず消えようとしていた作品を世に送り出す姿と重なる。

13章「『ガロ』編集魂」は、白取千夏雄さんのマインドが、しっかりと継承されているのだというのが示される。最後に、

 

また「ガロ」については日と場所を改めて、ゆっくり話すことになるだろう、きっと。

 

白取千夏雄『全身編集者』165ページ。)

 

という一文で、13章は締めくくられます。

 

 

そのうえで、最終章「全身編集者」と、山中潤氏によるあとがきです。

そこを読んだとき、自分が真っ先に思い起こしたのが、『全身編集者』というタイトルの元になったであろう、ドキュメンタリー映画の傑作『全身小説家』です。

 

全身小説家 [DVD]

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この作品は、作家・井上光晴の晩年に密着したものですが、死後に経歴を調べ直したところ、それまでに語っていた自らの経歴が虚構であることが明らかになっていく、という内容になっています。

山中潤氏のあとがきによって、「ガロ」の分裂騒動が、白取千夏雄さんの見た「真実」とはまったく異なるものとして立ち上がってくる訳です。黒澤明監督の『羅生門』にも近いかもしれない。真実は藪の中。

編集の妙、といったものを感じさせる構成になっていました。

 

 

何ともまとまりのない感想になってしまいましたが、本日はこのくらいで。

すごい本なのは確かだと思います。まだ買えますので、是非読んでほしいですね。

 

booth.pm