マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

『Fの森の歩き方』に収録された、藤子先生の名言

今日、藤子・F・不二雄大全集の別巻『Fの森の歩き方』を購入しました。



膨大な数になる藤子・F・不二雄先生の作品ガイドといった内容になっていまして、キャラクター紹介や名場面集に加え、作品の誕生秘話や扉絵コレクション、加筆修正の模様、更には詳細な年譜・作品リストも収録した、たいへん読み応えのある内容となっています。
紹介されている作品の中には、これまで存在すら知らなかったものも少なからずありました。自らの未熟を痛感すると共に、藤子先生の仕事量に驚愕するばかりです。


そして収録されたものの中には、藤子先生の文章や対談記事も含まれています。
その中のひとつ、「あとがきにかえて 昔を思えば百八十度の大転換」が非常に素晴らしい内容だったので、幾つか引用してみたいと思います。マンガを巡る状況の貴重な証言でもあります。


初出は1982年に刊行された『藤子不二雄自選集10』(小学館)とのことです。

 

昭和二十六年「天使の玉ちゃん」毎日小学生新聞連載でデビュー。二十九年上京。本式に活動を始めたわけですが、その頃の児童まんがを取巻く状況は、それは厳しいものでした。
「俗悪まんが追放」が声高に叫ばれていた時代です。マスコミに児童まんがについての記事がのれば、それは決って批判非難の物でした。
「俗悪まんが(つまり児童まんががすべて)は暴力的であり、反道徳的で痴呆的で、放置すれば日本中の子供を汚染するであろう。」というのが共通した論旨でした。
「当店にはまんがを置きません。」と広告したデパートがありました。選挙運動で空地にまんがを山積し火をかけた候補者もいました。


(『Fの森の歩き方』278ページ。)


これは半世紀以上前の状況を回顧した内容ですが、マンガの悪影響を語る論旨というのは現在とさほど変わっていないというのが判りますね。当時は焚書といった過激な手段を行う人もいたようで、さすがに現在はないかと思いますが、それに替わるものとして法規制の動きがあるということでしょうか。
それにしても、現在法規制を進めようとしている立場の方々も、子供の頃には暴力的だ反道徳的だと言われ続けたマンガを(大なり小なり)読んでいるとは思うのですが、やはり子供の頃から「暴力的でけしからん!」とか思っていたのでしょうか。ちょっと不思議です。


そして、そのような時代からすれば、マンガを読み放題、描きたい放題の現在(つまり1982年)は百八十度価値が転換している、としています。
そしてその後に続く文章が、深いのですよ。

 

 偏見にこり固まった批判勢力も、一方にあっていいんじゃないですかね。そんな圧力に屈して筆を折るようなら、それは本物の漫画家じゃない。子どもが叱られたくらいで離れるなら、それは本当のまんがではないのです。


(同書279ページ。)


どうです、何かズシリとくる文章ではありませんか。
巻頭に収録されたエッセイ「子どもまんがと私」と併せて、藤子先生のマンガ家としての矜持みたいなものが強く感じられる名文だと思います。
やはり、何を言われようが、マンガは読みたくなるものですよね。


という訳で、取り立ててオチもないですがこのあたりにて。