日本マンガ学会第22回大会シンポジウム覚書
先日、日本マンガ学会第22回大会が相模女子大学にて開催されました。
日本マンガ学会第22回大会 (相模女子大学)大会詳細 - 日本マンガ学会
7月1日は研究発表・総会、2日はシンポジウムだったのですが、2日がちょうど仕事が休みだったので、行ってみることに。
— きくち (@m_kikuchi_) 2023年7月3日
シンポジウムのテーマは「再検討・『少女マンガ』史」。2部構成で、第1部が「『少女マンガ』を語り継ぐ」、第2部が「『少女マンガ』はどこから来たの?」。
5月末に刊行された『少女マンガはどこからきたの?』に合わせたかたちでしょう。
こちらの書籍、1999〜2000年にかけて4回にわたり開催された座談会の記録です。
副題にもある「少女マンガを語る会」は、『星のたてごと』とか『ファイヤー!』等、数々の名作を世に送り出している水野英子先生の呼びかけにより発足した会となります。トキワ荘唯一の女性マンガ家としても知られていますね。
初期少女マンガ(1950〜60年代)の記録が殆ど残っていないことへの危惧から、その当時に実際に活動していたマンガ家を中心に、編集者や出版側の方々、研究者等も交えてその当時のことを語った、たいへん貴重な証言集となっています。
前置きはこのくらいにして、シンポジウムで語られたこととかを書き連ねてみます。
記憶頼みなので、かなり雑な覚書程度なのと、少なからず記憶違いが生じている可能性もあるので、その点は予めご了承のほどを。だいたいこんなことを言っていたと思う、くらいの感じです。(^ω^;)
因みに登壇者は以下のとおりです(敬称略、twitterアカウントやブログを併記)。
第1部
- 小西優里、岸田志野、卯月もよ [図書の家] @toshonoie
- 笹生那実 [マンガ家] @sasounami
- 藤本由香里 [明治大学国際日本学部 教授] @honeyhoney13
- 日高利泰 [熊本大学文学部 准教授] @shigureya
- 岩下朋世 [相模女子大学学芸学部 教授] @iwa_jose
第2部
- 水野英子 [マンガ家] @MizunoHideko
- ちばてつや [マンガ家] https://ameblo.jp/chibatetsu/ ※オンライン出演
- 里中満智子 [マンガ家] http://satonakamachiko.blog.fc2.com ※オンライン出演
- 竹宮惠子 [マンガ家・日本マンガ学会会長] @trapro2017
- ヤマダトモコ [明治大学 米澤嘉博記念図書館 展示スタッフ] @yamatomo413
- 増田のぞみ [甲南女子大学文学部 教授] @zommy727
以下覚書。
・日高准教授による史実についての発言。証言には記憶違い・美化などの要因もありそのまま信用することは難しい。複数の証言や史料を突き合わせて「恐らくこれが史実だろう」と確定させていく。
実例としては、わたなべまさこ(@masako_wanb)はデビュー作が『小公子』と複数回発言しているが、未だ現物を確認できていない。
・図書の家の御三方による発言とか。雑誌そのものの重要性。貸本の時期とかは、単行本にする際に大幅なトリミングをしてしまうケースなどもあり、まったく印象が異なるケースもある。
判りやすい例として、図書の家が編集・デザインを行なった『総特集 わたなべまさこ』に収録された『山びこ少女』。原型を留めていないくらいにトリミング・再構成が施されている他、カラーもモノクロになっていて、鮮やかな色彩は失われている。
・笹生那実先生の発言。次代を担う少女マンガ家の育成・養成という点において「別冊マーガレット少女まんがスクール」(1966年9月号から開始)が果たした役割は大きい。ただ、少女向け貸本の出版で知られる若木書房が「若草」という本(会誌的なもの?)を発行していて、原稿を送ると添削・指導をしてくれた。これは「別マまんがスクール」よりも早い。
「若草」の会員も募集していて、笹生先生は中学の頃に入ったとのこと。そこの会員からプロとして活躍した人物も多い。後に役割を終えるが(「別マまんがスクール」の選者として鈴木光明が入った1971年頃?)、活動末期に入会した新人が「若草」内でトップになったりした。名前は陸奥A子(@sweetbasilco212)。
・藤本教授の発言。日高准教授の発言を受け、米澤嘉博『戦後少女マンガ史』文庫版出版時に関するエピソードを披露。少なからぬ部分を記憶頼みに書いたらしく、タイトル等での間違いが散見されたので、現物にあたり修正を施した。その際に市井の碩学の助力が不可欠だった。
一方で、新しく発見したと思っていたことが『戦後少女マンガ史』でサラリと言及されているような事例もあり、この本は未だ深掘りする価値がある。(このあたりに関しては、文庫版『戦後少女マンガ史』解説も参照のこと)
・藤本教授の発言続き。1960年代のイギリスではマンガの人気が非常に高く、100万部を超える雑誌もあった(”Jackie" とか)が、1980年代にはほぼ壊滅状態に。60年代と80年代のマンガを比較すると、内容(作者も?)に殆ど変化が見られない。「若草」や「別マまんがスクール」とは対照的に、次代の育成に失敗しているということ。
・第2部でとりわけ印象深かった、里中満智子先生の発言。ちばてつや先生の『ユカをよぶ海』(「少女クラブ」1959年7月号掲載)の、男の子をひっぱたくユカがとてもいい。
どれだけユカの人気があったかを示す証拠として、「少女クラブ」の翌月号?の読者ページを見せる。ページいっぱいに描かれた、読者から送られてきたユカの似顔絵。そのなかのひとつを指差し、「これを描いたの、谷口ひとみさんです」と指摘。
・谷口ひとみは、『エリノア』という作品1作のみを遺して早逝。『エリノア』は「週刊少女フレンド」1966年15号に掲載された、少女フレンド第4回新人まんが入選作。授賞式の1ヶ月後に亡くなっている。
谷口ひとみの妹さんが、後年里中満智子先生のアシスタントを務められ、またその際に里中先生から「谷口さんに文通を申し込んで断られた」と語っていたというエピソードが、後年出版された「まんだらけZENBU」41号並びに『エリノア』『定本 エリノア』に収録されている。
— きくち (@m_kikuchi_) 2023年7月3日
(画像右下が谷口ひとみ『定本 エリノア』。)
と、ちょっと長くなってきたので、本日はこのあたりにて。
このシンポジウムでの証言が、しっかりと記録に残ることを期待します。