マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

『A5判の夢』と新城さちこというマンガ家について

12月3日に、コミティアに行ってきました。

 

 

ほんとうは9月開催のコミティアにも行く予定だったのですが、開催前日にコロナに罹患してしまい行くことが叶わず、久し振りの参加となりました。

何冊か欲しかった同人誌を購入してきた訳ですが、そのうちの1つがこちらです。

 

虫塚虫蔵さん(@pareorogas)のサークル「迷路'23」の同人誌。

今回取り上げるのは、こちらの写真の左にあるコミティア新刊『A5判の夢 貸本漫画小論!』*1になります。

 

こちらの同人誌は、1977年夏、コミックマーケット7(!)にて頒布されたものの復刻版となります。

初版はなんとガリ版謄写版)だったとのことで、鉄筆を用いたであろう筆跡もそのままに復刻されています。

 

著者は川本耕次氏。

詳細は wikipedia とかにもまとめられていますが、コミックマーケット2代目代表・米澤嘉博氏も参加していた漫画批評集団「迷宮」に出入りしつつ「三流劇画」の評論活動を行い、その後みのり書房に勤めマニア向けニューウェーブマンガ雑誌「月刊Peke」を立ち上げ*2、その後アリス出版に行きロリコンブームを巻き起こした伝説的雑誌「少女アリス」編集長に就任し、アリス出版を退社後は群雄社出版へ行き『ロリコン大全集』の企画・編集を行い、更にはロリコン官能小説本も執筆...と、多くの足跡を残している。1970〜80年代のサブカルチャーを理解するうえで非常に重要な方だろう、と思います。

あとは、既に閉鎖していますが、「ネットゲリラ」というサイトを長く運営されていた方でもあります。自分はこちらのサイトは知っていたクチです(ちょっと肌に合わない感覚があって、殆ど読まないでいるまま閉鎖してしましましたが...)。

 

川本氏は昨年末に逝去され、今年追悼同人誌『川本耕次に花束を』が刊行されています(上の写真の真ん中のやつです)。

 

で、話を戻して『A5判の夢 貸本漫画小論!』ですが、副題が示すとおり、貸本漫画について書かれた同人誌となっています。本文全40ページ*3、「第一部 貸本漫画小史」「第二部 作家・作品について」がそれぞれ20ページ前後という構成。

ページ数だけ見れば小品という趣はありますが、貸本の定義から始まり、貸本漫画誌「影」の創刊と劇画の誕生、劇画が大手出版社の雑誌・マンガにも影響を与えていく様子、日本が経済的な成長を遂げていくことで逆に必要とされなくなり衰退していく貸本漫画の歴史が、コンパクトにまとめられています。

 

そしてようやく本題ですが、「第二部 作家・作品について」は、以下のように分けられています。

一. 新城さちこ

二. 滝田ゆう

三. 高橋まさゆき

四. 日の丸文庫の作家たち

川本耕次『A5判の夢 貸本漫画小論!』復刻版2ページ。)

 

この「新城さちこ」という名前に、何か引っ掛かるものを感じました。

貸本で女性作家という珍しさもあるが、どこかで聞き覚えがある。

さてどこだったか...と調べたところ、こちらの本でした。

 

『少女マンガはどこからきたの?「少女マンガを語る会」全記録』。

数々の名作マンガを著してきた水野英子先生が発起人となった「少女マンガを語る会」の、1999〜2000年にかけて行われた座談会の記録です。

座談会が行われた当時、少女マンガ黎明期(1953〜1972年頃)の記録は非常に少なく、また誤った言説も多く流布していたとのことで、このままでは正確な記録・資料が散逸・消滅してしまうという危機感もあり、開催されたという経緯があります。

黎明期に活躍された多くの、レジェンドと言える方々が多数参加され当時の少女マンガについて縦横無尽に語られた、非常に貴重な、且つ面白い記録となっています。

 

その中に、新城さちこさんの名前が出てきています。

ちょっと長くなりますが、引用してみます。

 

矢代 貸本マンガを読んでらした人におうかがいしたいんですが、どなたか新城さちこ[図4-41、42、*3-50参照]をご存知でしょうか。自分のことでごめんなさい。彼女のマンガって、結構影響力があったと、私は思ってるんですが。彼女の貸本マンガの価値がね、どんなものだったのかなと。

みなもと のちにすごく貴重な人になられる方だということを、作品を読んでる段階で推し量って、だいたい状況は─。矢代先生は影響を受けたとおっしゃいますけれども、私個人の感想ですが、読者の側としてはそれほど印象に残っていないんですよ。申しわけないですが。貸本少女マンガの世界ではそれなりにいい位置にあったのではなかろうかとは思いますけれど。山本まさはる[*4-52]さんのお姉さん、ですよね。

矢代 一昨年亡くなったものですから、

みなもと ああ、そうですか......。

矢代 はい。彼女のマンガについて、またちょっと考え直している最中なもので、この機会に聞かせていただけたらと思いまして。

 新城さんと矢代さんのお二方の間柄をお聞きしたいですね。お互いにどういう話をされたのか、矢代さんは新城さんのマンガに何を感じられたのかとか。

矢代 女の子の生活感を、でも今考えてみたら皆さん描いてらしたんですけど、新城さちこが一番......。

みなもと 落ち着きがあったような気はします。

矢代 こう言っては何ですが、その程度でしたでしょうか[*4-53]。いやそれだけの感想でもありがたいのですが。私にとっては新城さちこがとても魅力で。雑誌では水野英子先生だったんです。水野英子と新城さちこの間に大変ギャップがあるので、この間で何か出来ないかなと思って、そればっかり考えていました。でも結局は、とてもとても......。中途半端で全部終わってしまいました。新城さちことはあまり話をすることもなかったんです。義理の姉であるが故にですね。あんまりマンガの話はしないようにしていたら、そのうちに亡くなってしまって......。

 

(『少女マンガはどこから来たの? 「少女マンガを語る会」全記録』291〜292ページ。)

 

「矢代」は矢代まさこ先生、「みなもと」はみなもと太郎先生、「巴」は巴里夫先生です。

 

矢代まさこ先生の代表作である「ようこシリーズ」と呼ばれる28作品は、少女マンガの歴史上においても重要な作品...とされながらも、全作品入手困難且つ高騰しており、復刻版や電子書籍での刊行もされることなく、名前は知っているが読んだことがない本の代表みたいな位置付けです(自分も読んでみたいと思っているのですが、未だその願い叶わず)。

みなもと太郎先生は説明するまでもないでしょうが、『風雲児たち』の作者。マンガ全般への造詣も深く、『お楽しみはこれもなのじゃ』や、未完となったものの『マンガの歴史』の執筆もされていますね。

巴里夫先生も、1950〜70年代に貸本・少女マンガの舞台で活躍されたマンガ家です。*4

 

 

引用箇所からも判りますが、新城さちこさんは矢代まさこ先生の義姉にあたります(引用箇所で言及されている山本まさはるさんと矢代先生は夫婦で、山本まさはるさんの実姉が新城さちこさん)。

そして引用箇所を読むと、矢代まさこ先生の発言からは憤りというか、忸怩たるものが滲み出ているように感じる訳です。みなもと太郎先生との間に、かなりの温度差を感じるといいますか。

 

ただ、恐らくはみなもと先生の捉え方が主流であったろうとは思われます。

これまでに出版された本において、新城さちこさんへの言及があったものは決して多くない。

自分が知っている範囲だと、米澤嘉博さんの『戦後少女マンガ史』と、恐らく貸本マンガについて最も詳細に論じられた『貸本マンガRETURNS』くらいです。

 

 

この2冊の、新城さちこさんへの言及箇所を引用してみます。

 

新城さちこは、そこに少女の二面性のようなものを持ち込む。残酷さとあたたかさを同居させ、もう一歩深いところまで少女を見つめようとする彼女は、不良少女や、孤独な少女などをも扱っていく。しかも、安易な解決法を廃し、その孤独や反抗の有様を一つの少女自身の表現として把え、世界と少女の関わりを描いていく。

 

米沢嘉博『戦後少女マンガ史』ちくま文庫版127ページ。)

戦後のドラマを背景にしない「軽い」難病物語が隆盛していた同じ一九六三年ごろ、短編誌『虹』(金園社)に掲載された新城さちこの「風の便り」には、若き日の吉永小百合を彷彿とさせる健気なヒロインが描かれていた。それは「豊かさ」が社会の隅々まで浸透しつつあった六〇年代に、ふたたび「重い」ドラマを描き出し、当時の社会の実相を別の角度から照らし出すものだった。

 

貸本マンガ史研究会編・著『貸本マンガRETURNS』168〜169ページ。

 

と、このくらいに留まっていまして、そして双方ともこの直後に矢代先生の「ようこシリーズ」について、数ページにわたり紙幅を割いています。「ようこシリーズ」が如何に革新的であったか、その重要性が窺い知れる。

 

 

そしてようやく『A5判の夢』に戻る訳ですが、『A5判の夢』において、新城まさこさんはかなりの紙幅を費やされているのです。だいたい4ページくらい。

上記著作に比べても、破格と言って差し支えない分量を新城まさこさんに割いている。

こちらも幾つか抜き出してみます。

 

「切り捨てられていった」作家達の中でも、貸本誌を主な作品発表の場としていたために今では全く忘れ去られてしまった作家がいる。その中でも新城さちこは少女漫画を変革する可能性を秘めた作品を描いてきた作家だった。残念ながら絵柄などの点で流行に乗りきれず、あとに続く作家がなかったためにその作品は評価されず、漫画史に名前を残す事もなかったが、『分岐点』『風の便り』等の作品は今読み返してもやはり名作である。

 

川本耕次『A5判の夢 貸本漫画小論!』復刻版27ページ。

彼女のテクニックは貸本誌においては群を抜いている。内容的には類型的なメロドラマから、コメディタッチの作品、更にはミステリーまで描いているのだが、その絵はどちらかというと漫画的であり、しかも女性特有の「優しさ」を持っている。

 単なる少女趣味を超えた本当の意味でのドラマ性を持った最初の女性少女漫画家の一人といってもよいだろう。

 

(同書28ページ。)

一般の漫画における「劇画」の存在さえもが、狭い貸本漫画誌の世界のみでやっと認識されるにすぎず、まだ世間一般─はおろか漫画界でも認知されていなかった昭和三十年代に少女漫画の世界でこれだけのリアリティとシリアスな内容とを持った「少女劇画」とでも言うべき作品が生まれていたというのは驚くべきことである。

 

(同書29ページ。)

 

絶賛と言って差し支えないのではないでしょうか。

更には本文の註釈として、

 

注2

 矢代まさこの言葉

 ─しっかり勉強して新城さちこ先生のような、読者の胸を打って共感をいだける作品を書けるようになりたいなァ....

─虹三十九号作者紹介より。

 

(同書28ページ。)

 

と、若かりし頃の矢代先生の言葉まで収録しています。

『戦後少女マンガ史』刊行(1980年)よりも前の時点で、です。

矢代まさこ先生は新城さちこさんのことが忘れ去られている、正当な評価を受けていないという憤りを感じていられたように思われますが、評価している人はいたのだ、ということが判ります。

しかしながら、『A5判の夢』初版は100部も売れなかったらしい。

川本氏も、この同人誌の頒布以降は、違うジャンルへと軸足を移し、以降貸本について語ることは殆どなかった訳で、そのうちに貸本少女マンガにおいては「ようこシリーズ」を軸にする史観、みたいなものが大勢を占めていき、次第に新城さちこさんの扱いは軽くなっていったのではないかな、と予測する次第です。

 

川本氏の言葉に「エロ本屋は、永遠に勝てない戦いを続けるゲリラである」というのがあるのですが*5、貸本マンガにおける評論活動もまた同様のゲリラだったのかもしれんなぁ......とか、しみじみ感じたりしたのでした。

 

 

といったところで、長くなったので本日はこのあたりにて。

*1:奥付の表記は『A5版の夢』になっていますが、表紙の表記に準拠しました。

*2:この時期に内山亜紀さべあのま(敬称略)といった面々が同誌でデビューしています。

*3:初版に付録として付いてきた「貸本漫画リスト」が新刊目録分を含め5ページ、復刻版に収録されたインタビュー・後書きが8ページ、奥付1ページが追加されているので復刻版は全54ページとなります。

*4:晩年はご自身のサイトで復刻版を刊行されていて、2016年の逝去後もサイトは活動を続けていたのですが、2年くらい前からページじたいが確認できなくなっています。悲しい......。

*5:川本耕次氏の自伝要素の強い著書『ポルノ雑誌の昭和史』あとがきの見出しタイトルです。