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ピコピコ少年を探して

ハイスコアガール』。今、最も面白い作品のひとつである。
今年の6月にこの作品について言及したブログ記事においては、予想を遥かに超えるアクセス数を記録した。


そして、『ハイスコアガール』の原型・プロトタイプ的な作品が、太田出版から出ている『ピコピコ少年』ならびに『ピコピコ少年TURBO』である。


ピコピコ少年

ピコピコ少年

ピコピコ少年TURBO

ピコピコ少年TURBO


この作品は、作者・押切蓮介さんの自伝的要素が色濃いものとなっている。
それ故に、『ハイスコアガール』のような恋愛要素はない。フィクションとしての物語性は薄く、むしろエッセイマンガに近い内容と言える。小学生〜高校生時代、時間とお金の殆どすべてを費やしてゲーセンや筐体がある駄菓子屋に通い詰める「ピコピコ少年」の姿が描かれている。その姿は甘酸っぱさよりはむしろ苦さが伴っているが、それでいて愛惜に満ちている。
同じような体験をしてきた人たちにとっては、『ピコピコ少年』は『ハイスコアガール』以上の共感を憶えることも少なくないだろう。


そしてこの作品を読んで、思い出すのだ。
嘗ては自分もピコピコ少年であったことを。
寸暇を惜しみ、ゲーセン(或いはそれに近い施設)に通い詰め、家ではファミコンスーパーファミコンPCエンジン等に無我夢中になっていたことを。


26〜28日は丁度3連休であり、また用事もあったため、久し振りに実家に帰省した。
それに併せ、嘗て自分にとって夢の空間でもあった場所を、十数年ぶりに再訪してみることにした。






ここは嘗て、中古ゲーム専門店があった。
自分の住む街に、初めてできた専門店だ。確か、1990年だったと思う。
中古ゲームソフトの販売の他に、時間制でゲームをすることもできた。
スーパーファミコンPCエンジンメガドライブが備え付けられたTVが5台ほど店内に備え付けられており、それぞれの機体につき20種類くらいのゲームを選ぶことができる。そして10分50円、或いは20分100円でそのゲームを遊ぶことができる、というシステムだった。


当時のゲームソフトは、高騰の一途と辿っていた。
スーパーファミコンのソフトは8000〜10000円くらい、PCエンジンメガドライブは6500〜8000円くらいだったろうか。*1
そうそう簡単に買えるものではなかった。吟味に吟味を重ねて購入し、それでもハズレを〓んでしまうことも、1度や2度ではなかったと思う。
ましてや、総てのハードを購入することなど、夢のまた夢だ。*2そんな状況において、この制度は非常にありがたいものだった。PCエンジン版の『大魔界村*3に熱中したり、友人と50円ずつ出し合ってメガドライブの『ゴールデンアックス』や『ボナンザブラザーズ』を同時プレイしていたことを、今も鮮やかに思い返すことができる。
数年後には、NEO-GEOの筐体も備え付けられた。『クイズ迷探偵NEO&GEO』をコンティニューを繰り返してクリアしたり、初の100メガショック作品『龍虎の拳』に打ち震えたのもこの店だった。


今はこの場所には公文式が入っていた。当時の面影を偲ばせるのは、扉の上にある、錆び付いた枠のみとなっている。




その専門店(があった場所)と同じ通りにある、この建物。
ここが嘗てはおもちゃ屋であったことは、もはや地元の人間の記憶からも薄れてきているかもしれない。
この店は、ファミコンソフトや、プラモデル等を扱う店だった。昔ながらの「おもちゃ屋」であったと記憶している。確か1987〜88年頃に閉店したと思う。その際に閉店セールとしてファミコンソフト一律1000円での販売を行い、確か『オセロ』を買った筈だ。
またこの店は、当時ミリタリー的なものへの関心があった兄が、『ダウボーイ』を買ってしまった*4店としても、個人的に記憶に残っている。




地方の象徴として捉えられることも多い「イオン」。
自分の実家にも、当然のように進出している。しかしイオンが入る前は、別の店舗が入っていた。イオンの前はサティ、更にその前はニチイという総合店が展開していた。


この店は、近隣で唯一、ディスクライターを設置している店舗だった。
ディスクシステムの、カード書き換え機である。500円で、別の作品に書き換え(上書き)してくれるのだ。『ファミコン探偵倶楽部PartII うしろに立つ少女』や『ふぁみこんむかし話 遊遊記』の書き換えをしている際の胸の高鳴りを思い出す。


そして上で、初の中古ゲーム専門店は1990年頃に開店したと書いた。
だがそれ以前に中古ソフトが入手できなかったかというと、そんなことはない。
ニチイ(当時)では、新品のゲームソフトも扱っていたが、年に3〜4回ほど、中古ソフトの大規模なワゴンセールを行っていた。同様の催しをする店は、他の街にもあった筈だ。
そのワゴンセールが開催される直前、新聞にそれを開催する旨の折込チラシが入ってくる。裏面には、タイトルと買値/売値がびっしりと印刷されているのだ。
食い入るようにチラシ全体を眺め、開催日に店に駆け込むのが、当時最大の愉しみだった。
ドンキーコング』や『パックマン』を買えたのもこのワゴンセール故であるし、PCエンジン版『ラストハルマゲドン』を手に入れたときの感動は今なお記憶に新しい。


大々的に、イベントの様相を呈しつつ開催されるワゴンセールは、既に存在しない。




現イオンのほぼ向かいにある、この建物には、この街で2番目に開店したゲーム専門店があった。
格闘ゲームの全盛期、『ストリートファイターII』が登場してしばらく後のことだ。ゲーセンではないのでアーケード筐体はなかったものの、NEO-GEOの筐体は最も多く設置している店だった。
餓狼伝説SPECIAL』や『真サムライスピリッツ』、『龍虎の拳2』といった作品を繰り返し、繰り返しプレイして、クリアをしたときや超必殺技を発見した時の悦びを、今でもはっきりと思い出すことができる。


今はこの場所にも、まったく別業種の事務所が入っていた。




浦沢直樹さんの『20世紀少年』に、「ジジババ」と呼ばれる駄菓子屋が出てくる。
正式な名前は誰も知らないが、通称・渾名で誰もが知っている店。ここもそんな店である。
無闇に安く、そして胡散臭さが漂う謎の駄菓子類を売っている店。
コスモス社製のドッキリマンシール(所謂「ロッチ」)も売っていた。祖母がうっかり買ってきてしまったことがある。


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そしてここにも、NEO-GEOの筐体が置かれていたのだ。
しかし小さい店舗故か、筐体の金額の兼ね合いなのか、この店の筐体はボタンの配置が他の店と違っていた。
一般的なボタンの配置は、A〜Dボタンがほぼ横一直線に並んでいるが、この店ではDボタンがCボタンの上に配置されていた。この配置は、非常にプレイしづらいのだ。普段の癖でDボタンを押したつもりが、そこには何もないという事例が発生しやすい。


プレイは些かしづらいものの、他の店に比べ比較的空いている傾向があったため、駄菓子を買ったついでに1〜2回プレイする、そんな店である。
ここも既に閉店されており、現在は自動販売機が稼動しているのみである。「たばこ」の看板も色褪せ、錆び付いている。長い時間手を付けられていないことが窺い知れる。




嘗てのピコピコ少年にとっての夢の空間は総て、夢の跡へと変わっていた。
その空間は、amazonに駆逐されてしまったのか。
現在のピコピコ少年は、何処にいるのか。
友人同士で何処かの家に集まったりしているのだろうか。
ネットゲームやブラウザゲームの世界だろうか。


そんな思いを巡らせる、十数年ぶりの再訪だった。

*1:個人的な印象。

*2:自分はSEGAのハード以外は比較的持っていたので、かなり恵まれたほうだったと思う。

*3:つまりこの店では、PCエンジンスーパーグラフィックスを備え付けていた。

*4:徳間書店から出ていた「ファミリーコンピュータマガジン」(通称ファミマガ)のレビューで、30点満点で12点台という驚異的な点数を叩き出したソフトである。