遠くて近い、2つの『惡の華』
4月に入って、アニメの新番組を幾つか観ています。
その中でとりわけ話題を集めているのが、押見修造さん原作の『惡の華』であろうと思います。賛否両論渦巻いている、という印象ですね。
ネット上では既に繰り返し書かれていることなので知っている方も多いかと思いますが、アニメ版の『惡の華』では「ロトスコープ」という技法が用いられています。簡単に説明すると、実写をトレースしてアニメにする手法ですな。世界初の劇場版長編アニメーションであるディズニーの『白雪姫』でも使われたりしています。
そしてそのロトスコープで作られた『惡の華』、原作とまるで絵柄が異なっている。自分も第1話を観た際は驚きました。
放映時の反響とか、ロトスコープについての解説等の記事を幾つかまとめておきます。
- アニメ「惡の華」原作者・押見修造と監督・長濱博史が対談(コミックナタリー)
- 春アニメ『惡の華』作画(キャラ絵)がヤバ過ぎるwwwww 誰得なんだwwww(やらおん!)
- 猛烈に気持ち悪い。アニメ「惡の華」にネット騒然(エキレビ!)
- 『惡の華』第一回 アニメ関係者ツイートまとめ(togetter)
- 『惡の華』第二回 アニメ関係者ツイートまとめ(togetter)
- 『惡の華』のロトスコープが与える効果は何か(togetter)
- アニメ監督・北久保弘之氏の#ろとすこ(togetter)
2chとか、はてブコメント等では賛否の「否」のほうが多い印象ですね。
その最たる要因と言える、アニメ版のキャラクターがこちら。
こちらはメインヒロインの仲村さんになります。
何かもっさりした印象を受けますね。
原作の仲村さんはこちらです。
主人公の春日は、密かに想いを寄せている佐伯さん(もう一人のヒロイン)の体操着を衝動的に盗んでしまいます。そしてそれを目撃していた仲村さんが、嬉々とした表情で春日に伝えている。春日の転落・懊悩の第一歩となる、重要な場面です。
この仲村さんと、アニメの仲村さんの視覚的な差異はかなり大きい。仲村さんに限らず、殆どの登場人物に言えることですがね。
しかも原作では、巻を追うごとに、仲村さん、佐伯さん共に、頽廃的な妖艶さを増していきます(少なくとも個人的にはそう感じます)。押見修造さんのペンに魂が込められているように思う。
春日を「惡」への道に引きずり込み、罵り、辱めて、恍惚の表情を浮かべる。まさしく春日を破滅へと導くファム・ファタル。そんな仲村さんを、押見修造さんは渾身の力で描いています。
それ故に、アニメ版の仲村さんとのギャップに、戸惑いを憶える人は多いだろうと考えます。原作の仲村さんに魅力・愛着を感じていればいる程、反撥も強くなるであろうと。
ただ、違う点ばかりではないな、とも。
原作のエッセンスとでも言いますか、通底するものはあります。
更に言えば、原作以上にそれを伝えているのでは、と思える箇所もありますね。
これもまた個人的な感覚ではありますが、舞台となる町の閉塞感・どん詰まり感がそれなのですね。
この描写こそが、『惡の華』の白眉であると思っています。
実際に、町の閉塞感について言及されている箇所が幾つかあります。
単行本1巻のあとがきにもありますが、この町は押見修造さんの生まれ育った町がモデルになっています。あとがきの台詞を少し引用しておきます。
漫画のとおり
K市は四方八方を
山に囲まれ、
昔は栄えていましたが
今はめっきりさびれ
町にある
すべての鉄はさび...
商店街のシャッターは
降りまくり...
住んでいると心が
ささくれだってくるような
街です。
(同書1巻204ページ。)
上に掲載した画像の台詞と、少なからず被っていますね。
ボードレールに耽溺するような思春期の少年にとっては、間違いなくしんどい環境でありましょう。ずっとそこにいると、精神が擦り減って抜け殻のようになってしまう、そう思わざるを得ない閉塞感。
そしてアニメ版の『惡の華』は、それを更に効果的に描いているように思う訳です。
動画をご覧戴ければ判るかと思いますが、町のさびれ具合が異様に生々しい。さびついた「塩」の看板とかヤバいです。もう数十年にわたって、停滞し続けているのではないかと思わせます。因みにこの町の光景、実際に押見修造さんの育った町で撮影しているとのこと。
それをロトスコープでアニメ化した故の生々しさかもしれません。
通学の場面とかでは、動画でも流れているようなノイズがよく入ります。何というか、非常に不安な気分にさせるような音なのですね。思春期の焦燥感みたいなものが、効果的に表現されているようにも感じます。
また、キャラクターの動きは実写から描き起こしているのでかなりリアルなのですが、キャラクターそのものの描き方は、かなり平面的に描いている、没個性的な描き方をしているのも特徴かな、と。離れた箇所の人物は顔が描かれなかったりもしますし。
これは、視聴者が作中のキャラクターに自らを投影させる仕掛けではないかな、と。実写であったり、キャラクターの個性が際立っていると、そういう読み・視聴がしづらくなると思う訳ですね。
そういう観点からすれば、アニメ版の『惡の華』は、視聴者自らの思春期・或いは黒歴史を掘り返す効果はマンガ版より強いかもしれない、と考えたりする次第です。
何だかんだ言いつつ、かなり楽しみな作品だったりします。
春日と仲村さんと佐伯さん、この3人の泥沼のような思春期をどう描いていくのか、続きに期待を寄せています。・・・売れるかどうかについては意見を差し控えておきますが。(´ω`;)
最後に必聴のEDを貼り付けておきます。
といったところで、本日はこのあたりにて。