歴史がまったく異なる姿を見せる瞬間:惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』の感想
最近は更新が滞り気味ですが、マンガは継続的に読んでいます。
感想を書きたいと思いつつも時間的な余裕が取れずそのままになっているものも少なくありません。今回はそんな中から、近頃気に入っている作品『チェーザレ 破壊の創造者』の感想じみた駄文を書き連ねていこうと思います。
現時点での最新刊、7巻を中心に書きます。
可能な限りネタバレは避けますが、ある程度は内容に触れるので未読の方はいちおうご注意ください。
チェーザレ 破壊の創造者(7) (KCデラックス モーニング)
- 作者: 惣領冬実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/08/21
- メディア: コミック
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『チェーザレ』はそのタイトルが示すとおり、ルネサンス期の軍人・政治家であるチェーザレ・ボルジアを描いている作品です。
単行本7巻までの時点ではピサ・サピエンツァ大学が主な舞台となっており、大富豪ロレンツォ・デ・メディチの推薦を受け同大学に入学したフィレンツェ出身の若者、アンジェロ・ダ・カノッサの視点からチェーザレの姿が描かれます。
またそれと並行してローマ教皇庁を中心として各種の権謀術数が渦巻く様子、大学内における国同士での対立、繁栄の陰に存在する貧民区の実情、ピサの街並や暮らしの描写等も描かれ、実に多種多様な民族・階級の人々が織り成す群像劇の趣きも同時に持っています。
この作品はフィクションではありますが、史実に基づいて描かれているのは言うまでもありません。
そして徹底した歴史考証が為されているのも、『チェーザレ』の特徴と言えるかと思います。大学でも教鞭を取られている研究者・原基晶氏*1が監修にあたっており、チェーザレ・ボルジアの伝記として最も定評のあるサチェルドーテ版『チェーザレ・ボルジア伝』の原書(邦訳なし)を底本として作品を創っておられるとのこと。
当然それ1冊ということはなく、毎巻巻末には膨大な量の参考文献・資料が掲載されています。建築・服装・調度品等々の描写は精緻を極め、中世ヨーロッパの姿を再現しようとする作者さんの気魄が感じられますね。
そして歴史解釈という点においても非常に興味深い箇所があります。
個人的に最も印象的だったのが、7巻で描かれた「カノッサの屈辱」のエピソードです。
作中でチェーザレは、ピサ大聖堂に祀られている墓に興味を抱きます。
その墓はチェーザレの時代を遡ること約200年前のドイツ人皇帝・ハインリヒ7世のもので、墓を造ることを後押ししたのは叙事詩『神曲』の作者として名高いダンテ・アリギエーリ。そして本来ダンテは、皇帝とは対立する立場の教皇派の人物です。
- 作者: ダンテ,平川祐弘
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/11/20
- メディア: 文庫
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本来対立する立場の筈のダンテが、なぜ皇帝の墓を造るよう働き掛けたのか?
その点に興味を抱いたチェーザレは、折よくサピエンツァ大学に招聘されていたダンテ研究の権威、クリストーフォロ・ランディーノ教授を自宅に招き、教えを乞います。
そしてランディーノは教皇派・皇帝派の対立の歴史を語り始め、教皇の権威が立証された「カノッサの屈辱」の話も出てくるという訳です。
ここで、世界史の教科書ではどのように「カノッサの屈辱」が書かれているか見てみましょう。
手許にあったのは『詳説世界史【改訂版】』(山川出版社、1999年版)です。少々長くなりますが引用してみます。
(前略)こうした教会の世俗化が進むにつれて、聖職売買など種々の弊害が多くなったため、教会内で自浄作用がはじまり、11世紀にフランス東部のクリュニー修道院を中心に粛正運動がおこった。この精神を受け継いだ教皇グレゴリウス7世は、聖職売買や聖職者の妻帯を禁じ、また従来、君主や貴族ににぎられていた聖職叙任権を教皇の手におさめて、教会を世俗勢力の支配や干渉から解放しようとした。このため、教皇と、教会を統治の手段に利用していた神聖ローマ皇帝とのあいだに叙任権闘争とよばれる衝突がおこり、グレゴリウス7世は皇帝ハインリヒ4世を破門した。皇帝はこれを好機とするドイツ諸候の反乱をおそれて、イタリアのカノッサで教皇に謝罪した(カノッサの屈辱、1077年)。
(前掲書、122〜123ページ。)
自分もだいたいこれに基づいた認識です。作中のチェーザレもそれほど変わらないように描かれています。
(惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』7巻82ページ。*2)
教皇に赦しを乞う様子が描かれた場面です。
これはカノッサのエピソードがランディーノから語られる直前、チェーザレが「カノッサの屈辱」の詳細をランディーノに話している最中に挿入されているコマになります。
(惣領冬美『チェーザレ 破壊の創造者』7巻110ページ。)
で、こちらがランディーノが「カノッサの屈辱」を語った際のコマ。
構図じたいは同じですが、位置が左右反対になっていますね。*3
そしてこれが重要なのですが、位置のみではなく2つのコマの意味合いまでもがまったく異なったものになっているのです。
詳細は実際に読んで戴きたいので省略しますが、このエピソードが描かれていくことで、上に引用した記述とはかなり趣きを異にする歴史の姿が浮かび上がってくるのですよ。そして殆ど変わらない筈のコマが出てきたにも関わらず、まったく正反対の印象を読者に与えてくる。その際の感覚を、是非とも体験して戴きたいところです。
ちょっと脱線しますと、グレッグ・イーガンの短篇『貸金庫』(短編集『祈りの海』に収録)を読んだときや映画『ブルグ劇場』を観た際も同じような感覚を感じましたね。
- 作者: グレッグイーガン,Greg Egan,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000/12/01
- メディア: 文庫
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また、人物の位置が入れ替わっているということ自体にも注目ですね。
「教皇が皇帝に赦しを与えている」という構図から、「皇帝が教皇に赦させている」という構図に一転しているのです。それと人物の位置が入れ替わったのは無関係ではない筈です。
・・・と、例によって長々と書いてしまいました。
惣領冬実さんの流麗な筆によって描かれる、重厚且つ絢爛豪華な歴史絵巻『チェーザレ 破壊の創造者』。お薦めの1冊です。