マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

『BREAK/THROUGH −たとえあなたがエヴァに乗らなくても−』:或いはその「語り」について

さて、些か遅くなりましたが、いちおう年数回の恒例行事となっている「即売会で購入した同人誌の紹介」を幾つかやってみようと思います。とは言っても、昨年冬コミは3日目が仕事で不参加だったため、買った同人誌はごく限られたものですが。


最初にご紹介するのはこちらです。



『BREAK/THROUGH −たとえあなたがエヴァに乗らなくても−』(サークル:Something Orange)


書評系のブログとして高名な Something Orange の管理人、海燕さん(id:kaien)の筆による同人誌です。


御本人自らこの同人誌の前書きで「10年の活動の総決算」と書いてあるように、海燕さんの価値観・ならびに作品への熱・加えて(少なくともネット上での)御本人の特質みたいなものも凝縮されている1冊であろうと感じました。
以下、読んでいて感じた諸々を書き連ねていきます。的外れな解釈をしている可能性も少なからずありますが、そのあたりはご容赦のほどを。


この同人誌では、海燕さんが愛してやまない作品について、熱く語り倒されます。そのジャンルはマンガ・アニメ・小説(ライトノベルからハードSFまで)・エロゲーと多岐にわたります。
そしてこの本においては、一貫したテーマに基づいて個々の作品が語られている。一言で書いてしまえば「人間讃歌」、*1より詳細に書こうとするならば「巨大で圧倒的な運命のようなものに対して(たとえそれが無意味かもしれないとしても)もがき、抗おうとする様子・姿勢こそが最も人間らしく、美しい姿なのだ」という主張です(少なくとも自分はそう解釈しました)。このテーマは5章あたりから少しずつ形を明確にしていき、7章以降から急激に熱を帯び始め、10章で最高潮を迎えます。


今「熱を帯び始め」と書きましたが、とりわけ後半は文体がかなり変わってきます。典雅なレトリック・体言止め・「畢竟」「〜ねばならぬ」といった、やや古風かつ荘重な響きをたたえる言い回し、これらが文章を覆い始めます。あくまで主観ですが、作品への感情移入度が高ければ高いほど、こういった用法は(海燕さんに限らず)使用頻度が高まるように感じます。
10章「花の勲章ー『SWAN SONG』を解読する」に至っては、極度に作品に入り込んだ結果か、『SWAN SONG』内での台詞と海燕さんの文章が半ば融合したかのようにまでなっている。


実に流麗な、読者を惹き込ませる内容となっています。僕はこの同人誌で取り上げられた作品では未読・未見のものも少なからずあるのですが、やはり気になってしまう。
そして考えるのが、「この文章をどう呼ぶべきなのか」という点です。
感想・書評と呼ぶには少し違う。そう呼ぶには些か流麗に過ぎますし、どちらかと言うと語りたいテーマのほうが先立っている印象があります。何より序章と終章は小説になっています。二次創作に近いでしょうか?
この同人誌の巻末に収録されている「欠席座談会(噓)ー『BREAK/THROUGH』を語る」においても、海燕さんのお知り合いの方々によって同様の話題が持ち出され、「書評の皮を被った小説」と表現されたりもしています。*2


ただ、個人的な印象を書けば、その評も少し違和感を感じました。
ちょっと反撥があるかも判りませんが、



神父(プロテスタントなら牧師)が教会で行う説教



が、この同人誌ならびに Something Orange というブログに最も近い気がするのですね。


教会で行われる説教は、「イエスへの帰依・信仰に基づいた生活」といった、聴衆へ語りかける主題がまず存在する筈ですよね(自分もそこまで詳しくはないので、間違っていたら申し訳ないです)。その主題に相応しい題材を、聖書のどこかから引っ張ってくる。そしてそこを読み込んで理解を深めたうえで様々なレトリックを駆使して語りかけるのが、「教会で行う説教」であろうと考えます。


時にその説教は熱を帯び、文学性のようなものをたたえることすら存在します。
アメリカ文学史の勉強とかすると、植民地時代には必ずジョナサン・エドワーズという牧師の説教『怒れる神の御手の中にいる罪人』とかが出てくるのですよ。*3何でもこの説教を聞いた聴衆にはその熱い語りによって泣き叫んだり、気を失ったりした人もいたのだとか。


翻って、海燕さんの文章です。
まぁ僕の「説教」に関する認識が完全に的外れだとしたなら身も蓋もないのですが、仮に近いものだとして、そう考えると海燕さんの文章は実に似通った構造に思える。
語りたいテーマ・主題があり、それに適う作品を、レトリックを駆使した流麗・且つ熱量の強い文章で語り尽くす。
その語り口は、それ以外の解釈を軒並み押し流してしまうような熱さ・強さを携えている。更に言えば、宗教性すら伴っているように思える時が少なからずある訳です。


そしてそれ故に、合う人には見事なまでに合うが、反撥する人も少なからずいるだろうと考える次第です。
反撥する人は、恐らく取り上げられる作品に対して(明確にしろ朧げにしろ)何らかの意見・持論を持っている人だと考える訳ですよ。それらを全て消し去りかねない、宗教性を感じる熱い語り。それは違うのではないか、少なくとも俺の読んだ・観た作品とはまるで違う何かだ、と感じることもあるだろうと。



かく言う自分自身、相当に解釈が異なった箇所があります。
10章「花の勲章ー『SWAN SONG』を解読する」より少々引用させて戴きます。

畢竟、かれもひとりの人間であったのだ。決して無感情無感動のロボットではなかった。ひとは運命に勝利することはできぬ。ひとがどれほど死力を尽くしても、運命は指先一つでその努力を粉砕する。その絶対なる理をまえに、かつて柚香が、鍬形がそうしたように、司もひとたびは絶望したことだろう。しかし、かれはそこから立ち上がった。敗北を認めてその場に座り込んだとしても誰もかれを責めはしなかったに違いない。しかし、かれはあくまでその展開を拒否するのだ。この時、かれは高貴なる抵抗をたたかう戦士となった。


(『BREAK/THROUGH』102ページ。)


SWAN SONG』の主人公・司があくまで「運命」に対して抵抗する、それを受け入れることを拒否する姿を、高らかに讃えている箇所になります。
このくだりを読んで、僕が思い起こした作品の一節を次に引用してみます。

これは悔い改めた者の物語などではなかった。神にすべてを奪われながらも、神に対して戦いを挑み、勝利した男の物語だったのだ。


上で引用した文章は、旧約聖書ヨブ記」の解釈です。信仰に厚いヨブが神により次々と苦難に見舞われ、すべてを奪われながらも信仰を守り悔い改めながら死んでいくくだりを誤訳によるものとし、まったく異なる解釈を示しています。
そしてこれまでとは異なる解釈に基づくヨブの言葉を、運命に立ち向かい続けたヨブを、この作品の作者は讃えている。少なくとも初めてこれを読んだ際にはそう感じました。


そして薄々感づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品、山本弘さんの『神は沈黙せず』なのですね。


神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

(上記引用は文庫版下巻353ページ。)


しかし『BREAK/THROUGH』5章において、山本弘さんは批判的に取り上げられているのです。善悪が明瞭過ぎるまでに分かれているのが人間的ではない(大意)という具合に。だが個人的には、海燕さんと山本弘さんの価値観はかなり似通っているように思えるのです。


どれだけトンデモ科学の危険性に警鐘を鳴らしても、何ら変わらずにそれを信奉し続けるビリーバーの人たち。それでも警鐘を鳴らし続ける山本弘さんの姿勢は、運命を拒否して抵抗を続ける司の姿と似通ってはいないだろうか?と思う訳です。
恐らく、アプローチの違いなのかな、とも。



と、まぁこれが自分の解釈の訳ですが、僕ごときの解釈を易々と吹き飛ばしてしまう熱量が海燕さんの文章には存在します。恐らく山本弘さんの本を読まずに(そして少なからぬ数の、既に読んでいる人も)『BREAK/THROUGH』を読むと、その解釈に染まってしまう可能性が実に高い。実に魅惑的な文章なのです。


何とも妙な文章になりましたが、一読の価値ありです。
1つの作品を、ここまで読み込むことができるのかと感嘆するのは間違いないと思います。その語り口に耽溺するのも一興でありましょう。また、実に多様な作品を取り上げていますので、読みを広げる起点となると思います。逆に、これまでとは違った読み方も提供してくれる筈です。
何か違うな、と感じた場合は、それを取っ掛かりに自分の読みを深めていくこともできるかと。


文章量はかなりのものですが、その熱量故に思いのほか早く読むことができると思います。遅読の自分でも、実家に帰省した際の往復で読み終えたくらいです。
刺激的な作品だと思います。


という訳で、今回はこのあたりにて。

*1:「人間讃歌」がテーマとされている作品としては『ジョジョの奇妙な冒険』があまりにも有名ですが、この同人誌においても『ジョジョ』は2度引用・言及されています。

*2:『BREAK/THROUGH』127ページ。

*3:他に文学作品らしい文学が無かった、と言えるかもしれませんが。