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絶望の向こうに:上野顕太郎『さよならもいわずに』

少し前に、上野顕太郎さんの新作『さよならもいわずに』を読みました。


さよならもいわずに (ビームコミックス)

さよならもいわずに (ビームコミックス)


自らの体験をマンガにした作品には名作が少なくありません。パッと思い付くものでも、花輪和一刑務所の中』、吾妻ひでお失踪日記』、小林まこと青春少年マガジン』、卯月妙子『実録企画モノ』等を挙げることができます。


刑務所の中

刑務所の中

失踪日記

失踪日記

青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス 週刊少年マガジン)

青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス 週刊少年マガジン)

実録企画モノ

実録企画モノ

(参考までに。何れも傑作ですが、『実録企画モノ』は内容故に読み手を物凄く選びます。)


そして『さよならもいわずに』も、まぎれもない傑作であったと思います(「傑作」という語句が適当な表現なのかは判らないのですが)。
以下、少なからず内容に触れますので未読の方はご注意を。記事の収納もしておきます。







この作品で描かれるのは、上野顕太郎氏の最愛の妻*1の死と、その後の一年間です。そこに前夫人(敬称略で書くのも敬称を付けるのも失礼に感じるので、以下はこの表記を中心に)との思い出も併せて描かれていきます。
そして『さよならもいわずに』は、前夫人を喪ったことによる絶望が、絶望に支配された心象風景が、これでもかと言わんばかりに描写され続けます。


序盤の前夫人の最期のくだり(「2004年12月10日 午前0時」)が、詳細に描かれます。
その日の仕事を終えて、二階の仕事場から降りてきた上野氏が見た、うつぶせに倒れている前夫人の姿。変色している手。聴こえない心音。開いた瞳孔。それを目の当たりにした際の上野氏の動揺・狼狽が、地に足が付いていないような現実感の喪失が、マンガならではの表現を用いて描かれるのです。


その最期の様子が描かれたのち、その前日が描かれる。
そこで前夫人が嘗てストレス性喘息や自傷癖を持っていたこと、2年前(つまり2002年)に鬱病と診断されたこと、子どもの前では素振りを見せないながらも、丁度その時(亡くなる前日)に鬱の波が来ていたことが語られます。そして鬱が来ていることを知った上野氏の独白が、重くのしかかってきます。

ごめんよ


私はいつも
キホの病気を
恐れていた


日常が
崩れてしまうのを
恐れていた


予定が狂って
しまうことを
恐れていた


一番つらいのは
キホ自身だと
いうのに


この時
私は思って
しまった...


こまったな
やっかいだな
めんどうだな
............と


あやまるのは
私のほう
なんだ.........


上野顕太郎さよならもいわずに』81〜83ページ。)


一緒に寝る約束をしてから再び仕事場へと戻り、その日の仕事を終えて二階から降りてきた際に、倒れている前夫人を発見します。
そして仕事場に戻る際に見た、つまり上野氏が最後に見た前夫人の生きている姿、上野氏が「一生忘れないだろう」*2と語った表情が、84〜85ページの見開きで描かれます。巧く説明できないのですが、締め付けられるような気分になる表情です。鬱病の薬を飲んでいた為か、何か茫洋とした面持ちで、前夫人が何を思っていたのかを計り知ることは(少なくとも自分には)不可能です。これは絶対に自分の目で確かめて戴きたいと思います。


そしてその後の1年間がこの作品で描かれる訳ですが、前夫人を喪った上野氏の絶望たるや凄絶極まるものでして。
道行く人を見ては「何故あなたではなく」*3妻が死なねばならぬのだという思いに囚われ、火葬に参列した方達に対しての「キホは幸せでした」*4という自らの言葉にすら疑義を抱き、自分達を盗撮した映像がないか捜してしまう様子まで描かれます。


その絶望が最も色濃く描かれているのが「2004年12月23日午後7時」、199〜202ページです。
上野氏がコミックビームの編集者に、この出来事をマンガに描きたいと申し出る場面です。そして読んでいて、ページに黒い染みのようなものが出てくるのに気付きます。その染みはページを追うごとに大きく、数も増えていき、フキダシに書かれた台詞を覆い隠すまでに広がっていきます。つまりこれは作者自身の涙を表現している、メタフィクション的な演出なのです。

分かった
約束するよ
絶対 君より
先には死なん!!


でも
俺は?


キホが死んだら 俺はどうなんの?


ケンタローさんは
きっと......


泣きながら
漫画を描いてるわ


(同書232〜234ページ。)


という、上野氏と前夫人との会話もこの演出と密接に係っているように思います。
そして編集者との打ち合わせの最後のコマがこちらになります。



(同書202ページ。)


黒い染みが、上野氏の左胸(つまり心臓がある箇所)を覆い尽くしているのが判るかと思います。心に巨大な空洞ができてしまったかのような心象が、上野氏の絶望の深さがまざまざと描かれています。





この絶望に支配されたかのような物語の最後は、1993年6月のとある1日が描かれます。
そこでは若かりし日の上野氏と、恐らく結婚したばかりであろう前夫人が会話をしています。そしてその会話には、最期はこうであって欲しかったという上野氏の痛切なまでの願いが織り交ぜられている(と思われます)。


前夫人はそこでまだ産まれていない娘さんのことを上野氏に託し、*5「さよなら」と言うのです。


この「さよなら」、258〜259ページの見開きで描かれます。
その際の表情は、哀しみを感じさせながらも微笑をたたえています。84〜85ページで描かれた最期の表情と、構図のうえでも明確な対照を示しています。そしてその言葉に対して、上野氏も「さよなら」と応えます。「さよならもいわず」に亡くなってしまった前夫人への思いが凝縮された場面だと思います。


そして恐らく描き下ろし箇所*6の「2010年6月」(同書268〜272ページ)は、作品冒頭10〜11ページと鮮やかな対照を為しています。そこには微かな希望が描かれています。



・・・ずいぶんと長くとりとめのない内容になりましたが、この作品はそうではありません。
軽く流し読むような内容ではないですが、是非読んで戴きたいです。何かを心に残す作品だと思います。


という訳で本日はこのあたりにて。

*1:現時点では前妻

*2:さよならもいわずに』83ページ。

*3:同書143ページ。

*4:同書172ページ。

*5:娘さんが産まれるのは1994年です。

*6:単行本派なので・・・。