手塚先生弁解セレクション
先月末のオフ会で話題になったのですが、手塚治虫先生は自作に対しての弁解・或いは言い訳が非常に面白いです。・・・些か穿った読み方かもしれませんけどね。(´ω`)
こちら、光文社文庫版『鉄腕アトム』の1コマ(1巻10ページ)。念のため繰り返しますが『鉄腕アトム』です。いわゆる手直し、加筆修正というやつですね。
手塚先生は『ブッダ』を描いたあたりにペンタッチを一気に変えてしまいまして、変える以前の作品については新しい版(全集版とか)を出す際に物凄い修正を加えてしまうのです。研究者・コレクター泣かせではありますね。その修正についての研究本まで出ているくらいです。
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上に掲載した画像もその修正の一環と言えましょう。『鉄腕アトム』の幾つかの回の冒頭でこのように登場し、いろいろと解説を加えたりする訳です。今回はそれらの中から、興味深い内容のものを幾つか拾い上げてみようと思います。
因みに利用する版は光文社文庫版です。これしか持っていないので他の版(全集版・講談社文庫版等)ではどう描かれているのかは判りません。それでは抜き出してみましょう。
これから見ていただく「気体人間」はじつはふたつのお話があわさったもので・・・
最初の十二ページほどは「鉄腕アトム」連載の時の第一話なのです・・・
「アトム大使」が終わって「鉄腕アトム」にかわった時
アトムを主人公にしろといわれてよく構想も決まらないまま
旅館にカンヅメになって仕上げたものなのだよ
だからおとうさんとおかあさんの顔はコマごとに ガタガタにかわってるのだ
ことに ある顔はヒゲがおちているがね
じつは これはだれかの代筆なのだよ
(「気体人間の巻」:1巻100ページ。)
後半の弁解もさることながら、同時に当時のマンガ界の混沌とした状況も伝わってきますね。
別個の話を繋ぎ合わせて1つの話にするとか、現在では考えにくいですね。それ以外にも(少なくとも60年代あたりまでは)、ある作品をトリミングして別の短篇を作り上げるような荒業も行われていたようですよ。*1
次の引用はヒゲオヤジとの対話形式。
手:2013年の東京だ!
ヒ:ヘッ 二〇一三年がきいてあきれらァ!
手:?
ヒ:だってそうじゃないすか
いまは未来でがしょうここは未来都市なんでがしょう?
そんなのになぜわしァゲタなんかはいて
こんなヨレヨレの背広を着なきゃなんねえンだい
もっと こうサッソウとできねェんかなァ
それにうちの生徒はみんなまだ学生服ですぜ
四部垣なんざァイガグリ頭ときてらァ
ねェどうしてですィ こんなチグハグな絵を描いたのか聞きたいねッ
手:それはちゃーんとわかってるんだ
ほんとの未来都市を描くと 今の読者にとって風変わりすぎて
読んでてもなじまないんだよ
だからわざとあちこちに現代のものをまぜて
読者に親しみを感じさせるようにしてあるんだ
ここがSFマンガのむずかしい所さ
(「赤いネコの巻」1巻190〜191ページ。)
手塚先生のSF観とみるか、それとも後付けの理屈と考えるかは人によって違うかもしれません。
ただ身近なものほど、それの未来予測は難しいのではないかと。服装なんてその最たるものですね。
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この『彼らが夢見た2000年』という本は「西暦1900年の人たちが予想した西暦2000年」のイラストを紹介したものですが、彼らの着ている服は1900年と殆ど変わることがないのですよ。
そしてヒゲオヤジの服装は現在から見てそれほど違和感があるものではなかったりもします。
次はアトムとの対話です。
ア:ねえ先生 手塚先生はどうやってあんな物語を作るんですか?
ちゃんと始めからおしまいまで物語をつくってから描くんですね?
手:へへへへ・・・そういわれちゃはずかしい
もちろんそういうヤツもあるけれどね
中にはシメキリにおわれて・・・おしまいのオチまでろくに考えずに描き出しちまうこともあるんだ
たとえば「キャプテンKen」という話がそうだったね
キャプテンケンと名乗る少年と水上ケンという少女がいる
二人はそっくりだった
いや じつははじめ二人を一人二役の同一人物というつもりで描いたんだ
ところが「リボンの騎士」なんかを読んでる読者はすぐそのタネがわかってしまって・・・
同じ人物だって投書がドッと来たんだ
こっちもシャクだからいっそ別人にしちまえと思って・・・
キャプテンケンを水上ケンの子供だったというふうにスジを変えちまった
ア:フーン じゃあ描きづらかったでしょう
手:じつは「ZZZ総統」も初めはリヨン大統領と同じ人物のつもりだった
でも結局はつまんないと思って変えたんだ
(「ZZZ総統の巻」2巻4〜5ページ。)
手塚先生が、作品の解説のみならず物語の作り方についても述べています。『火の鳥』とかはおしまいまでつくっていたのでしょう。*2
それにしても、「投書がドッと来た」というくだりに当時の作者と読者の距離が現在よりは近かったのだろうという印象を受けると共に、「シャクだから」別人にしてしまうところに手塚先生らしさを感じます。
続いては、編集者とのやりとり。
最後の「覆」は覆面姿の3人組。桑田次郎さんのマンガに登場するキャラクターかな?
手:ぼくはめったなことで病気はしないんだ
だけど この熱病にゃまいったァ
編:そらア手塚さんだってただの人間だ 病気ぐらいしなきゃア
手:くそォ なんとかして原稿をかいてやる
死んでも幽霊になってかいてやるぞ
編:まあヤセガマンをはらずに・・・
今月のアトムは代筆にしますよ
手:ど・・・どうせ代筆ならぼくの絵に似てる人がいいな・・・
そう桑田次郎さんならいい・・・
編:書いてはもらいましたが桑田さんは 今では全然絵柄がちがいますよ
手:しまった!
覆:で「アルプスの決闘」の後半部分は桑田次郎さんの代筆でした
でも単行本になってから手塚がそうとう 書きなおしたそうだ いいだろう
どうせおれたちは代筆だ
(「アルプスの決闘の巻」2巻210ページ。)
手塚先生のマンガに賭ける執念が感じられますね。
「死んでも幽霊になってかいてやるぞ」。これほどの想いで描き続けている人って、現在はどのくらいいるのでしょう。まぁこれは作画技術の劇的な進化等の絡みもある訳なんですけどね。
代筆っていうのは、まだアシスタントの制度が確立していなかった時代ならではかもしれませんね。
それにしても、個人的には桑田次郎さんの筆による『アトム』も凄く読んでみたいです。
最後も編集者とのやりとりにしてみましょう。
時代はこれまでに引用した時期から10年ほど経過した昭和41〜42年頃、学生運動が盛んだった時期です。
「正義の味方」への反撥から、アトムを批判する声が出てきた頃です。
編:手塚先生もう今までのアトムじゃだめですよ!
少しアトムを悪い子にかえてみてください !!
手:だ だって
編:そうすると今までのムードとちがってきますよ
とにかくアトムに暴力をふるわせるんです
人間をブッ殺すんです!
ビルをぶっこわさせるんです
手:だってさァ それじゃアトムが悪者になっちまうじゃないか
編:そこ そこ
いっそアトムを悪魔にしちまいなさい
そのほうがおもしろい!ケケケケ
手:そういうわけで編集者の意見を聞いて「青騎士」や「メラニン一族」では今までとちがったアトムを描くことになりました
おれにゃできん と とても描けん !!
アトムを悪人にするなんて・・・どうしてもできない !!
ーアトムの性格をかえてからアトムの人気は目にみえておちてしまいました
もう 手おくれでした
編:そらァ知ったこっちゃないですね
私の責任じゃないですよ さよなら
手:ひきょうものッ !!
アトムは断じて正義の味方なのだ !!
(「青騎士の巻」10巻175〜176ページ。)
このくだり、積年の怨み今こそ晴らさんと言わんばかりの筆致で描かれます。
またこの編集者が、実に小憎たらしい表情で描かれるのですよ。よほど悔しかったのでしょうね。編集者側からすれば、時流に合わせるという判断にも理はあるかとも思いますが。少なくとも手塚先生にはこのように見えたのでしょうね。
手塚先生は『アトム』については複雑な感情を抱いていた、という話をどこかで聞いた気もしますが、何だかんだ言って愛着はあったのでしょうね。
他にもいろいろと興味深い弁解はあるのですが、随分長くなったのでこのあたりにて。
因みにより過激な発言もありますので、ご興味のある方はこちらをどうぞ。