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時折マンガの話をします。

『コミティア30thクロニクル』第1集全作品感想・後篇

コミティア30thクロニクル』第1集全作品感想の後篇になります。
前篇はこちら。


委員長お手をどうぞ』や『少年少女☆レアカード』等の作者・山名沢湖さんの作品。1996年8月(COMITIA37)発行の同人誌『TRITSCH-TRATSCH-POLKA』収録。
恋人を次々と「殺して」いく女性の遍歴と、その心理を軽妙且つ淡々と描く作品です。


全体的に白を基調とし、余白を多く用いることでカラリと乾いたイメージを醸し出している画面構成。少女マンガ的な可愛らしい筆致。それでいながら次々と吐露される「殺人」の数々。その落差が面白いです。
それと同時に、その行為自体がいわゆる比喩表現と思われる点、自分自身に信頼を置くことができない(と思われる)女性の心理が並行して描かれ、喜劇とも悲劇とも取れる独特の魅力がある作品でした。


委員長お手をどうぞ(完全版)

委員長お手をどうぞ(完全版)


  • BELNE [アートファクトリィ]『シマウマにはシマがある』


2004年8月(COMITIA69)発行。BELNEさんはかなりキャリアは長い方で、デビューは1976年になります。現在「NEMUKI+」にて『はないろ語り拾遺帖』連載中。あと、これは『コミティア30thクロニクル』のプロフィール欄で初めて知ったのですが、『ゴッドハンド輝』の原作・構成監修を担当した天碕莞爾氏はBELNEさんの別名義とのことです。
画家の弓削が、学生時代からの友人で現在はマンガ家をしている山部の原稿を手伝いつつ、ラジオから流れてくる夏休み子供電話相談室に耳を傾ける、そんな夏の昼下がりの情景が淡々と描かれます。


何気なく聴いている子供電話相談室の質問のひとつが「何故シマウマにはシマがあるのか」な訳ですが、それの答えと、現在置かれている山部の状況・心境が重なる構成が巧いのですよね。
ほのかにBL的な雰囲気が漂っている印象もあったりするのは気のせいなのかどうなのか。質問の答えと併せて、ご一読して確かめて戴ければと思う次第です。



長く描き続けていた同人誌『天顕祭』が2007年メディア芸術祭奨励賞受賞、商業出版もされた後、「IKKI」や「月刊アクション」で活躍されている白井弓子さんの作品です。1997年6月発行のアンソロジー同人誌『ひとつ』収録。
美大に通う女子大生・高橋の片思いが描かれています。全5話のうちの第1話。


商店街のフェアで開催される似顔絵描きのコーナーに、密かに想いを寄せている田畑と一緒にアルバイトで参加することになる訳ですが、暇になった時間帯に田畑の似顔絵を描いている際の、高橋の心理が実に丁寧に、似顔絵描きの描写と絡めて描かれていました。
そして田畑にはどうやら付き合っている相手がいるようなので、その相手も含めた関係はどうなるのか実に気になる訳ですが、それは『白井弓子初期短篇集』に収録されているようなので、やはりいつかちゃんと読まねばならんなぁと思ったりしています。


白井弓子初期短篇集 (IKKI COMIX rare)

白井弓子初期短篇集 (IKKI COMIX rare)


  • TAGRO [放送塔]『R.P.E』


『宇宙賃貸サルガッ荘』や、アニメ化もされた『変ゼミ』の作者として知られるTAGROさんの作品です。1999年11月(COMITIA50)発行の同人誌『B.O.D vol.4』収録。
会社から独立することを決めた青年・小柳と、その彼に立ち塞がる現実、彼の周囲にいる人たちの生々しい心情が描かれる作品です。


これ、実に「痛い」話なのですね。これまでとは違う舞台に立とうとする、という状況においては前篇で触れたあらゐけいいちさんの『開けっ!』と相通じるものがあるのですが、描かれる心理は正反対の、実に屈折したものであります。独立するために辞意を伝えた際の、社長の恫喝じみた発言。早々に叩き潰される理想。鬱屈とした心情と、都合の良いはけ口を探す小柳の姿。身につまされると同時に、どうしようもない「痛々しさ」が容赦なく描かれる訳です。
そして、会社に小柳が在籍していた時のクライアントである出版社に勤めていて、小柳に好意を寄せている沢田さんという女性がいるのですが、何ともエキセントリックな性格をしているのです。エレベーターで小柳と二人になった際に唐突に告白したり、一人称が「ぼく」だったり、小柳にセックス恐怖症であることをいきなり伝えたりと。



(『コミティア30thクロニクル』第1集390ページ。)


小柳には狙っている女性が別にいて、沢田さんのことは殆ど眼中にない。社長との話のあとの鬱屈とした状態で、その女性と朝まで過ごそうとするも断られてしまい、そういえばあいつが...くらいの感覚で会いに来た訳です。上のコマは、被害者的な自己演出をすることで、都合良く慰めてもらおうとしている小柳の姿を沢田さんが喝破している場面のひとつになります。この一連の描写は実に痛い。
そして、そんな小柳が何故か好きでたまらない沢田さんの姿もまた痛いのですよね。最後のページ*1で、エレベーターに乗っている沢田さんの一人称視点で描写される3コマ。ドアを閉めようとした瞬間に一瞬足が見えて、反射的に「開」ボタンを押すも、そこには誰もいない。沢田さんは小柳の幻影を追い続けているのです(そして前のページでは、小柳と、彼が好意を寄せている女性が待ち合わせをしている場面が描かれています)。沢田さんの手の動きだけで、彼女の「痛さ」が見事に描かれています。


因みにこういった、恐らくは実体験もある程度反映されているであろうシリアスな作品群は、この作品も含め『マフィアとルアー』に収録されています。『変ゼミ』とはまるで毛色が異なる作品群、ご興味のある方は是非。


マフィアとルアー (星海社文庫)

マフィアとルアー (星海社文庫)



『アキタランド・ゴシック』で商業デビューした器械さんの作品です。2007年11月(COMITIA82)発行。
助手二人(ロリ)を同時に口説いていたことがバレてしまい、その二人は殺し合いをするまでに。その様子を見た科学者が取った選択は...?


猟奇的な内容と、可愛らしい絵柄で描かれたドタバタ劇。スプラッタコメディというやつです。
8ページという掌編なのであまり内容に触れずにはおきますが、異常なシチュエーションがコミカルに、且つありふれた日常のように描かれる作風は、『アキタランド・ゴシック』とも共通しているように感じました。


アキタランド・ゴシック (1) (まんがタイムKRコミックス)

アキタランド・ゴシック (1) (まんがタイムKRコミックス)



2000年5月(COMITIA52)発行。作者の大庭賢哉さんは、どちらかというと児童文学作品の挿絵イラストに活動の主軸を置いていらっしゃるようですね。マンガ単行本は2冊刊行されています。
ややファンタジー的な世界観の作品です。この作品の主役・リーザは、いつも独りで読書をしている女の子です。そんな彼女の住む街に、ある日旅芸人の一座がやってきます。その一座の中にいたのは、「人の心や、忘れてしまった過去を読み取ることができる」能力を持つ少年・テッド。リーザとテッドが知り合ったことがきっかけとなり、彼女の日常やテッド自身にも変化が生じていき...という筋立て。


他者を見下して壁をつくることで結果として孤独になってしまう心理だとか、信じたくないこと・知りたくないことまでも白日の下に曝け出し突き付けてしまう暴力性、その行為を暴力と感じずにいる無邪気さ、そういったものが描かれ、幾許かの苦さを残しつつも成長の兆しを感じさせる結末。非常に完成度の高い作品だと思います。



14歳の恋』とかを描かれている、水谷フーカさんの作品です。2007年5月(COMITIA80)発行。
タイトルからもある程度推察できますが、童話の「赤ずきん」をモティーフにした物語です。


童話本来が持っている残酷さを強く押し出した、昏いメルヘンといった趣の作品です。
商業誌では暖かみのある、時には甘々な作品を多く描いている作家さんだったので、この作品は良い意味で裏切られたという印象がありました。事実・真実にどう向き合うか、という視点において、1つ前の『リーザの左手』とも相通じるところがあるな、とも感じたりします。


Game over

Game over

こちらは非常に甘々な内容。)


  • kashmir [lowlife]『第六作戦』


○本の住人』や『百合星人ナオコサン』の作者、kashmir さんの作品になります。2012年5月(COMITIA100)発行。
将来エロマンガ家になると突然予言された小学五年生の女の子・梨央。しかも梨央が描いたエロマンガが原因で、世界は滅亡の危機に陥るという。そして梨央の部屋に唐突に、未来を変えるためにやってきたと言う自称未来人の女の子がやってくる...。


そして二人の女の子の掛け合いが延々と続く、そういう作品です。下ネタやパロディも盛り込みつつ、漫才のようなやりとりが行われます。絶妙に噛み合っていない会話の面白さや、次から次へと話が飛躍し混沌としていく妙を堪能できます。
ところで『李さん一家』のパロディは定番中の定番ではありますが、今だとどのくらいの方に通用するものなんでしょうかね。



  • もみじ真魚 [こもれびのーと]『いっしょにゴハン食べたいッ 1』


2011年5月(COMITIA96)発行。
同棲中のカップルがゴハンを食べる、というシンプルながら破壊力の高い内容です。このシリーズはこれを書いている2014年7月時点で11冊は出ていますが、その1冊目となります。


カップルの二人の惚気を堪能しつつ、ごく一般的な食材であっても実に旨そうに(実際旨いだろうことが容易に想像できます)描く表現力にも注目して戴きたいところ。
作者のもみじ真魚さんは現在「世界100ヶ国巡り」を随時行っていて、そこで食べたものを同人誌で描くシリーズも刊行中。そちらも気になる作品ですね。


詳細はこちらで→もみじ真魚さんのサイト:こもれびのーと


  • 位置原光Z [大作戦]『博士と助手』


5月に発売された単行本『アナーキー・イン・ザ・JK』が話題になった(筈)位置原光Zさんの作品です。まとめサイトとか tumblr とかで度々画像を見掛ける印象がありますね。『博士と助手』は2010年8月(COMITIA93)発行。
美少女アンドロイドの製作に精を出す博士とアンドロイド、ならびに助手との会話劇となっています。


プロフィール欄の説明によると話の先を考えず、つまり即興でストーリーを作っていくとのことで、それによって次から次へと予想の斜め上を行く展開が続きます。下ネタも織り交ぜつつ、二転三転するストーリー。そして読み始めたときにはまったく予想しなかった終わり方。面白いです。
そして最初に登場したときはけだる気な雰囲気しか感じなかった助手が、数ページ後には無闇に可愛らしく、まったく違った存在に見えてくる。これもまたマンガの面白さなのかなぁと感じたりする次第です。


アナーキー・イン・ザ・JK (ヤングジャンプコミックス)

アナーキー・イン・ザ・JK (ヤングジャンプコミックス)



現在最も注目されているであろう作家の一人、九井諒子さんの同人誌になります。2010年5月(COMITIA92)発行。
「翼人」と呼ばれる、翼が生えている人(病気の一種らしい)が存在する世界。翼人として生まれた女の子が、進路と恋路の間で揺れる様子が、翼人の身体的特性や社会的位置づけも交えつつ描かれていきます。


非常に苦い読後感がある作品ですね。
翼人としての能力(つまり空を飛ぶ技術)を維持するためには海外留学をする必要があり、そのプログラムも充実している。親からの期待もある。その一方で、翼人の女の子は、好きな少年と同じ高校に通いたい。飛ぶことも別に好きではない。


女の子が想いを寄せている少年は、その話を聞いて「自分の行きたいところにいくべきだ」という意見を女の子に伝え、周囲の留学への期待・圧力を嫌悪までするのですが、その女の子が空を飛ぶ姿を実際に見た瞬間に、意見をガラリと変えてしまうのですよね。留学するべきだ、その能力をなくすのは勿体ない、と。
いっぽう女の子は、その少年からの励ましが後押しになって、地元の高校へ進む決意を固めたばかりなので当然困惑する。少年と一緒に高校に行きたいのだ、と告白までするのですが、その際の返答がすごい。

そんな
つまんない
理由で?


(『コミティア30thクロニクル』第1集555ページ。)


その台詞を言った際の表情が、また見事と言いますか、心の底から理解できない、という表情なのですね。
その直後のページでは、「理解のつもりが 足引っ張ってただけだって 気付いたから」*2と、独りで勝手に納得してしまっている。
飛んだ姿を見たときから、この少年は女の子をその個人ではなく「翼人」という存在でしか見なくなってしまった訳なんですよね。理解を拒んでいるのは、(少なくとも自分には)この少年のように思える。しかも本人は微塵もそうは考えていない。
何と言いますか、とにもかくにも苦い作品です。


竜の学校は山の上 九井諒子作品集

竜の学校は山の上 九井諒子作品集


  • 南研一 [parking]『SUMMER SONG』


1996年11月(COMITIA38)発行。作者の南研一(ヒタカヒロフミ)さんは現在は創作からは離れているようなのですが、この時期を代表するサークルであったとのことです。またTAGROさんが『R.P.E』のような作品を描く際に影響を受けた作家さんだという旨が、イラスト付きコメントに記載されています。*3
近未来の世界を支える、エンジニア兼思想家・ウエーヴァが作り上げた「13システム」。その12番目のプログラムで、人の意識に救済を与えるとされながらも未完成との理由で凍結された「クイーン」。クイーンを再起動させるプログラムを発見した青年たちは、その再起動を行うべく、システムコアへの侵入を計画する...。


この『SUMMER SONG』、他の作品群と比較しても頭一つ抜きん出ている印象がありました。
社会に巧く適合できない、現在の自分に何がしかの空虚さを感じている、そんな青年たち。輝いていた(少なくともそう感じている)学生時代の記憶。それを取り戻そうかというように進めていく、世界そのものに変革をもたらしかねない壮大な計画。
トーリーの規模の大きさも勿論のこと、自分が空虚さを抱えたまま、日々を消費して色褪せていくのではないかという恐怖・焦燥の描写が真に迫っていました。そしてそれを打破しようと何かしらの物語を求める姿と、その「物語」じたいが幻想に過ぎないのだという認識、それでもなお人は現実の中に物語を求めて日々を生きていくのだという覚悟にも似た感情。
恐らくそれは、執筆当時の作者さんの心境とも重なるものなのだと推測します。最後の2話でそれまでのストーリーを半ば放棄したTV版『新世紀エヴァンゲリオン』ともどこか繋がるところがあるようにも感じました。『SUMMER SONG』はその心境と、物語を見事に合致させた作品であったように思えます。


また、絵柄や技法(モノローグの多用とか)に、岡崎京子さんの作品に近いものを感じたりもしました。とりわけ最高傑作として挙げられることも多い『リバーズ・エッジ』ですね。



(『コミティア30thクロニクル』第1集566ページ。)


上に挙げたのは『SUMMER SONG』冒頭の1コマですが、ちょっと口にすると気恥ずかしさを感じるような(しかしながらストーリーの核となる)、詩的なモノローグが作中の随所に登場します。また、同じ構図のコマを複数連続して描くような技法も併せて使われたりしていますね。
そういえば、岡崎京子さんの『リバーズ・エッジ』で最も象徴的に使われていた言葉は、「平坦な戦場でぼくらが生き延びること」でした。『SUMMER SONG』とほぼ同じ問題意識のようにも感じられます。*4
1990年代前半〜半ば頃の空気を鮮やかに切り取った作品なのであろう、と思う次第です。


リバーズ・エッジ 愛蔵版

リバーズ・エッジ 愛蔵版


といったところで、ずいぶん時間が掛かりましたが、本日はこのあたりにて。

*1:コミティア30thクロニクル』第1集398ページ。

*2:同書557ページ。

*3:同書399ページ。

*4:執筆年代で言えば、『リバーズ・エッジ』のほうが先です。