四十歳を越え
多くの大人達は、
死ぬまでに
もう一度、
燃えるような
恋をしてみたいと
考える
それはあたかも
黄昏の空に
飛びこんでくる
流星のように、
最後の輝きと
なるかもしれない。
この熱い気持ちを
胸に秘めつつ、
落ち着かない日々を
送る大人達を
我々は......
黄昏流星群
と呼ぶ−
(弘兼憲史『黄昏流星群』1巻5ページ。)
皆様ご存知『黄昏流星群』の、記念すべき第1話冒頭を飾る台詞です。(^ω^)
説明するまでもないかもしれませんが、40代以上の男女の恋愛模様を題材とした連作集となります。熟年の性についてかなり踏み込んだ描写が為されているのが特徴と言えるかと。
40代以上とは書きましたが、実際には60代前後が中心という印象もありますね。中には80代が登場するエピソードもあります。その年代の男女の交わりが、性行為も含め実にねっとりと、生々しく描かれているので、「あぁ、爺さん婆さんがやってるやつね」くらいの認識で遠ざけている、或いは流し読み程度という方も少なからずいるのではないかと思う訳です。
しかしながら『黄昏流星群』はそれだけではない。
継続して読んでいる方は気付いているかもしれませんが、この作品群の中には時折、溜まった澱が吹き出したかのような、無闇に尖ったエピソードが描かれたりするのですね。
かなり前から、そういうエピソードがあることを知り合いに教えていたりしたのですが、かくいう自分自身時折つまみ読みしている程度だし、知らない作品はまだ存在する筈だ。そう思ったので、
50巻まで読みました。٩( 'ω' )و
そして読んでいくと、やはり味のあるエピソードがいろいろ見つかりますし、それ以外にも弘兼憲史さんの指向というか傾向というか、そういうものが朧げに見えてきたりするのですね。
ということで、独断で選ぶ『黄昏流星群』のお薦めエピソードを幾つか挙げていきます。最初は軽めの入門編的なものから、次第に濃くしていく予定です。
以下、少なからず内容に言及しますので、「俺はまっさらな気持ちで『黄昏流星群』に向き合いたいのだ!」という方はご注意ください。
1:遊星萌ゆ(単行本35巻収録)
まずは初級編とでも言いますか。
発表された際にある程度話題になったこともありますので、ご存知の方も多いかと思います。秋葉原を題材にした話ですね。
半世紀近く、女性と接する機会も持たないまま学問一筋に生きてきた大学教授(フランス文学専攻)が、カルチャースクールの講演で秋葉原に赴き、帰り道に偶然立ち寄ったメイド喫茶に働いていたメイドに心奪われるが...という筋書き。
(弘兼憲史『黄昏流星群』35巻14ページ。)
カルチャースクールの講演のため、久しぶりに秋葉原に来た教授が、以前来たときとはずいぶん様変わりした秋葉原の様子を眺めている場面です。
これが描かれたのは2008年頃なので、その当時の秋葉原の様子を伝える資料みたいになっていますね。その前年くらいに流行った『らき☆すた』の、アニメ版『時をかける少女』パロディ広告が再現されていたりします。その上にあるのは『こどものじかん』ですか。もう10年近く経っているのか...としみじみしますね。
(同書20ページ。)
カルチャースクールの帰りに立ち寄ったメイド喫茶で、勧められた「ツンデレどえすコース」を頼んだ際のメイドさんの対応がこちらになります。
単純に接客態度の悪いメイドに見えなくもないのはご愛嬌。(^ω^;)
今のメイド喫茶は、どんな感じなのかな、と思ったりもします。
因みにこれを描いた4年後、2012年頃に描かれたエピソード「俺の明星」にも秋葉原が登場します。新宿のヤクザの会長が、秋葉原を中心に活動するアイドルグループのひとりに夢中になる話です。
(同書45巻122ページ。)
会長が秋葉原に赴いて周囲を眺めている場面です。
この時期(2012年頃)は『ソードアート・オンライン』がアニメ化していた時期なのだな、とか2008年頃にはDVD発売の表記のみだったけどこの時期になるとBlu-rayも併記されているな、とか判ったりしますね。
言うまでもなくアイドルグループはAKBをモデルにしたグループな訳ですが、『黄昏流星群』の特徴のひとつに、執筆当時の日本の世相・流行を題材に取り入れて描くというものがあります。『気まぐれコンセプト』的な側面もあるということですね。
2:星のレストラン(単行本4巻収録)
これは変り種かつ入門編としてもお薦め、という珍しい作品です。
熟年同士の交わりが皆無(若い頃の回想のみ) というのがその理由ですね。この作品の根幹を覆している気がしなくもないですが、それ故にスッと入り込めるエピソードになっています。そして全編を通しても、ストーリーの完成度は高いほうだと思います。
あとこのエピソードの特徴として、
(同書4巻116ページ。)
(同書4巻131ページ。)
(同書4巻163ページ。)
(同書4巻171ページ。)
次から次へと繰り出されるフランス料理蘊蓄を挙げることができます。全編を通じて、こういった解説に溢れかえっているのですね。このエピソードだけなら料理マンガと言って差し支えない状態です。
これが発表されたのは1997年頃で、その当時は『美味しんぼ』とかが「ビッグコミックスピリッツ」の看板のひとつだったと思うのですが、それくらいは俺にも描けるのだ!という気概みたいなのを感じたりもしますね。
因みにこのエピソードの概要としては、普段はコンビニ弁当しか食べていないようなうだつの上がらない老人が、実はある事件をきっかけに忽然と表舞台から消えた伝説的なフレンチのシェフであり...というものです。
これは弘兼作品に限ったことではなく、古今東西を問わず存在するモティーフかとは思いますが、冴えない人物と思いきや実は...という筋立ての作品はこれ以外にも度々登場します。
3:ソドムの星(単行本9巻収録)
ここから少々濃度が上がります。
タイトルから察せられるとおり、ゲイの男性を描くエピソードです。
総合商社の人事部長を務める野々山徹夫(53)は、妻との夜の生活は20年近くお預け、性欲が湧かない状況が続いています。クラブに連れられても疲労感が先立つばかり。そんな折、ふとしたきっかけでゲイバーに入ることになります。そこで野々山は、自分が潜在的な同性愛嗜好であったことを自覚するのですね。そしてこれから自分の人生を取り戻そうと、会社に勤めつつも夜はゲイバーでバーテンの仕事を始めたりするのだが...という筋書き。
そしてこのエピソード、まるで救いのない話でして、ゲイバーでの夜の仕事が会社に知られ早期退社をすることになり、自分捜しの旅に出るとタイに旅立ちます。そしてそこで少年と懇ろになるも、実はその少年は野々山の金狙いで、野々山はある日暴漢に襲われて全財産を失い重傷を負います。そしてその際の怪我がもとで死んでしまうのですね。
ここにちょっとした符合を見出すこともできます。
弘兼憲史さんの代表作『島耕作』シリーズに登場した樫村健三ですね。樫村は結婚して妻子もいる身ですが実は同性愛者で島耕作を慕い続けていたという設定です。そして双方、東南アジアが鬼門というべき存在です(樫村はフィリピンでテロリストに銃殺されてしまいます)。
『黄昏流星群』34巻のエピソード、珍しい時代劇にして屈指の名編「武士の星空」にも衆道を好む武士が登場しますが、彼もやはり死の運命からは逃れられない。全体的に、弘兼作品において同性愛者は過酷な道を歩くケースが多いのですね。
そういった観点から観ると非常に興味深く感じるエピソードが、47巻に収録されている「未来予想図 星団」です。このエピソードは近未来の日本を舞台としていまして、少子化対策として結婚している家庭には大幅な所得税減税を認める法案が存在します。その恩恵を受けるために、ゲイの男性とレズビアンの女性が結婚して同居生活を始めるが、ある日隣にゲイの男性の嘗ての恋人とその妻が引っ越して来て...という筋立てです。
そしてこの話はかなり丸く?収まるのですが、このエピソードの特徴は別のところにあるのです。
(同書47巻138ページ。)
(同書47巻147ページ。)
これも憶えている方はいらっしゃるかと思いますが、作中に唐突に弘兼先生が登場して、講談よろしく解説を始めたりするのですね。『黄昏流星群』は20年以上連載が続いている作品ですが、このような構成が取られたのは唯一このエピソードのみです。
この演出、読んだ際には非常に唐突な印象を受けた訳ですが、見方によっては、このような戯作的な演出にしないと描きづらかったのだろうかとか、弘兼先生の複雑な心境が垣間見えるようにも感じたりする次第です(あくまで邪推じみた見方ですが)。
4:ミザリーの星(単行本6巻収録)
だいたいタイトルどおりです。(^ω^)
主人公は小説家で、その熱狂的なファンを名乗る女性と知り合いになるも、その女性が段々と本性を現していき...というもの。
(同書6巻72ページ。)
(同書6巻79ページ。)
小説家を監禁して暴行を加えている場面になります。
元ネタの『ミザリー』を彷彿とさせますね。
そしてこのエピソードのみならず、『黄昏流星群』を読み込んでいくと、弘兼憲史先生はスティーヴン・キングに多大な影響を受けていることが窺えるのです。
そのひとつとして、単行本10巻に収録されている「脆い星光」の1コマを挙げてみます。
(同書10巻99ページ。)
「脆い星光」は、冷え切った関係となっている夫婦が共に不倫を重ね、そこから思わぬ方向に物語が転がっていくエピソードです。これも完成度は高い作品ではないかなと思います。
そして上のコマは、夫の不倫相手(同じ会社の経理担当、ややメンヘラ的気質あり)が書類を持ってきたと思いきや...という場面になります。
紙いっぱいに埋め尽くされた「結婚して」の文字、なかなかにサイコサスペンスな趣を感じさせる訳ですが、これは明らかに、スティーヴン・キング原作(或いはスタンリー・キューブリック監督の映画)『シャイニング』の印象的な一場面、「All work and no Play makes Jack a dull boy」で埋め尽くされた原稿用紙をもとにしています。
それ以外にも、実は読んでいくと、少なからず超常現象・或いは人知を超えた存在が描かれるエピソードが存在することが判るのですね。
例えば、単行本11巻収録の「極北に星光る」には、幻影を見せる超能力を持つ老人が登場します。
(同書11巻177ページ。)
ブリーフ一丁のおっさんは、嘗て小料理屋を営む奈々枝という女性を強姦し、刑務所に服役していた人間です。出所後再び奈々枝を探し当て、暴力も振るいつつ再び手篭めにしようと画策している卑劣漢なのですな。そのおっさんに引導を渡すべく、普段は封じている能力を用い、奈々枝が誘っている幻影を見せて流氷が押し寄せる極寒の海に落とさんとしている場面です。
この能力を長時間用いるとたいへんな体力を消耗する。それでもなお、この超能力を持つ老人は、奈々枝のために能力を使い続けるのですね。『グリーンマイル』の死刑囚・コーフィを思わせます。
箸休め:小ネタ2つ
さて、このあとは是非とも読んで戴きたいエピソードを3つほど挙げるのですが、その前に小休止といいますか、既にお腹いっぱいになりつつあるかもしれませんので小ネタを2つだけ挟んでおきます。
(同書21巻18ページ。)
日本全国のセールスマン・営業に朗報、これで業績はうなぎ登り必至です。
(^ω^)
そしてこのエピソードタイトル「笑う星るすマン」は如何なものかと思いました。
(同書24巻181ページ。)
「星夜の贈り物」というエピソードに登場する「本物の」サンタクロースなのですが、翁の能面みたいな顔で無闇に怖いです。これを発表する少し前、単行本23巻収録のエピソード「崩壊する星域」で能が描かれたので、それに引きずられたのかもしれません。
箸休めはこのくらいにしておいて、それでは個人的に是非読んで欲しいエピソード3つを挙げていきたいと思います。一言で説明すると、
- 不可思議な霧の中で殺人鬼のおっさんに襲われる話
- 隣に住んでいる冴えないおっさんが殺し屋だった話
- おでん屋のおっさんが悪魔だった話
になります。
5:五里霧の星域(単行本27巻収録)
40年ぶりの同窓会で再会した4人は、一緒にゴルフに行きます。
そしてその帰り道、深い霧に巻き込まれ、不思議な町に辿り着く。そこは昭和30年代前半くらいの街並で、人の気配がまったくない。町から脱出を試みるも、同じ場所に戻ってきてしまう。
調べるうちに判ったのが、この町は4人が少年時代に過ごした街並と同じであること、そして当時の光景を思い浮かべると、それが実体化して現れるということです。彼らは町を取り囲む霧を、『惑星ソラリス』におけるソラリスの海と同じように、潜在意識を実体化させる知性体と推測します。
そして彼らは、思わずというか何というか、自分の初めての相手を思い浮かべてしまうのですが、当然その相手も実体化して、まぁ流れとして褥を共にする訳ですな。
そしてここからが急展開でして、実体化した相手と会話したりするうち、その町で当時発生した一家六人殺しの話題になるのですね。そしてたまたま面識のあった1人が、その殺人犯の顔を「想って」しまうのです。
更には別の一人が、初体験の相手の一人の父親で、武闘派のヤクザだった男を「想って」しまうことで、大混乱に陥ってしまう訳です。
(同書27巻116ページ。)
※『黄昏流星群』です。
迫り来る殺人鬼。スピード感溢れる描写がたまらないです。
(同書125ページ。)
※繰り返しますが、『黄昏流星群』です。
ヤクザの娘が初体験だった男がその娘を少々邪険にあしらったところ、激昂した娘が父親(武闘派ヤクザ)に言いつけるのですね。するとヤクザは銃を携えて登場、問答無用で殺しにかかって来るのです。娘思いなのですな。(^ω^;)
(同書135ページ。)
※もう一度繰り返しますが、『黄昏流星群』です。
作中では『惑星ソラリス』への言及がありますが、それとは別に『サイレントヒル』シリーズに近い世界観かもしれないな、とか考えたりします。一家六人殺しの犯人は、さしずめレッドピラミッドシングといったところでしょうか。(^ω^)
『サイレントヒル』じたい、元々はスティーヴン・キングの『霧』(『ミスト』)をゲーム化するという企画から始まり、諸々あってそれが頓挫したためオリジナルで製作されたという経緯があるので、弘兼先生好みの世界観と言えるかもしれません。
因みにどんな結末を迎えるかは、実際に読んでのお楽しみということで。
6:隣の星人(単行本30巻収録)
冴えないおっさんが殺し屋の話です。
正確に言えば、冴えないおっさんが実は殺し屋なのではないかという疑念に執われる話でしょうか。
町工場に務める女性、片山さん(47)の住むアパートの隣に、ある日中年男性が引っ越してきます。一見すると冴えない、貧相な風体のおっさんです。
しかしながら、同僚女性のゴシップ的趣味から、そのおっさんが尋常ではなく鍛え抜かれた身体であることを知ります。そしてある日、部屋の前で熱を出して倒れていたおっさんを介抱したことをきっかけに、片山さんとそのおっさんは懇ろな仲になるのですね。
そしてそれと時期を同じくして、その地域で原因不明の飛び込み自殺が多発するようになるのです。遂には、片山さんの勤める工場の班長も同じ運命を辿ります。
班長が飛び込む直前、それとは正反対の振る舞いをしていた点、その班長が政治家と何らかの繋がりを持っていた点、班長が飛び込む現場におっさんがいた点、おっさんの素性がまったくもって不明な点...等から、このおっさんは殺し屋なのではないか、という説を同僚女性が言い始める。そして独自におっさんを調査していたその同僚女性までが水死体となって発見されたとき、疑惑はいよいよ深まっていき...というのが概要となります。
この作品は、片山さんがおっさんに対し「もしかして殺し屋では」という疑惑を抱いたきっかけが奮っています。交わって果てた直後の振る舞いなのですね。
いわゆる賢者タイム的な時間とでも言いますか、どのような振る舞いをするのか。
放心状態が多いのでしょうか、甘い言葉を囁くのか。或いはデューク東郷のように煙草を燻らせるのか。
このおっさんの場合は、
(同書30巻120ページ。)
腹筋です٩( 'ω' )و
ギューンギューンというオノマトペを用いる程の、激しい腹筋です。
事後に唐突に始める腹筋、殺し屋と疑うには充分と言えましょう。
もし相手の女性に「この人、殺し屋かも...」と思わせたいのであれば間髪入れず腹筋をするべきですし、もし相手の男性が射出するや否や腹筋を始めようものなら、相手が「実は殺し屋ではないか」と疑うべきなのです。
では殺し屋のおっさんの鍛え抜かれた肉体を観てから、最後の1つをご紹介しようと思います。
(同書30巻100〜101ページ。)
『ザ・ファブル』でもそうですが、やはり殺し屋たるもの、自宅では全裸が基本なのでしょうか。٩( 'ω' )و
7:星鵠を射る(単行本33巻収録)
何を言っているのか判らないかもしれませんが、おでん屋のおっさんが悪魔の話です。
このエピソードの主人公・小日向は元刑事で、定年退職後に犯罪研究所に再就職します。
そこで過去の凶悪犯罪を調べているうち、奇妙なことに気付きます。1961年6月19日生まれの犯罪者が4人存在する。しかも更に調査を進めると、その4人は同じ病院で生まれていて、もう一人同じ日に生まれていることも判ります。
そしておでん屋で飲んでいる際、隣で飲んでいた女性と意気投合し、関係を結ぶのですな。そして刑事の習性で身元を調べてみたところ、何と1961年6月19日生まれの、残る1人であることが判るのですね。
そしてその女性、青木美加の実家に行き当時の写真を見せてもらったところ、正体不明の人物が映っていることが判明します。
(同書33巻34ページ。)
そして犯罪者の家族の許にも赴き調査を進めたところ、出生時のみならず犯罪現場の写真にも、同じ人物が写っていることが判明します。更には、犯罪の起こった年代・場所はまちまちであるにも関わらず、すべての写真で同じ姿なのです。謎は深まるばかり。
更には、突然美加が小日向に襲い掛かります。襲撃を退けた小日向が問いただすと、「何かに操られているような」感じで勝手に体が動いたと美加は答えます。
深まるいっぽうの謎に対し、研究所に勤める同僚の1人が、オカルト的なアプローチを提示します。5年前の留学時に入手した、1881年8月18日に発生した猟奇的大量殺人を考察した本によると、これは悪魔が邪悪な悪戯を愉しんでいるのだという。同様の事件は1691年9月16日にも発生していて、更に古い文献によると1001年10月1日にも発生していると。そこから、
(同書33巻57ページ。)
このような仮説を示します。
そして1961年6月19日も、同様にひっくり返しても同じ数字になると。
更には、写真に写っている謎の男こそが悪魔なのだという説です。
何故アラビア数字をわざわざ悪魔が採用したのか・ローマ数字の頃は活動していなかったのかとか、ユリウス暦からグレゴリウス暦への変更に伴う年代のズレとかも律儀に守っているのかとか、細かいことは気にしてはいけません。きっと悪魔には我々には及びもつかない考えがあります。
そのいっぽうで、青木美加は体調を崩しやすくなっていきます。そして、小日向と美加が初めて出逢ったおでん屋のおでんに執着していることが判る。半ば無意識で買ってしまうのだと。おでん屋へ赴いた小日向は、この屋台のおっさんが悪魔であるとの確信を深めていきます。
そして数日後、小日向の部屋で倒れている美加が。
テーブルにはまたしてもおでん。そして、
(同書33巻90ページ。)
冷蔵庫を埋め尽くすおでん!
悪魔との直接対決を決意した小日向は、一路おでん屋へと向かう...!
と、何というかどう書いても脱力感が伴う訳です。
そして良識的に?考えれば、どこかの時点で小日向は精神に異常をきたしていてこれはすべて小日向の妄想なのではないかとか思ったりもする訳です。『カリガリ博士』みたいな話ではないのかと。
しかしながら、
(同書33巻99ページ。)
(同書33巻102ページ。)
おでん屋のおっさん、本当に悪魔なのですよ。(^ω^;)
戯れに人間を弄ぶ、正真正銘の悪魔!その冷徹な表情!
身に纏うは正真正銘、屋台を引くおっさんのスタイル!たなびく暖簾!
悪魔とおでんが奏でるハーモニーが為せる業ですね。
小日向の、青木美加の、そしておでん屋のおっさん(悪魔)の運命や如何に。
是非実際に確かめて戴きたく思います。
他にも、マルチエンディング方式のエピソードとか、時折ネットを賑わせるASKA氏の歌にインスパイアされたエピソードとか、興味深いものはいろいろあるのですが、ずいぶん長くなったので一区切りとしておきます。
この記事が『黄昏流星群』へ踏み込む一助となれば幸いです。
といったところで、本日はこのあたりにて。