1月中旬のことになりますが、こうの史代さんの新刊『ギガタウン 漫符図譜』が発売されました。
こうの史代さんといえば、2016年11月に公開され、現時点(2018年3月)においてもロングラン上映が続く劇場版アニメーション『この世界の片隅に』の作者として知られているかと思います。原作も、マンガの歴史に燦然と輝く名作ですね。
アニメのほうも、興行的な面はもちろん、多数の賞を獲得したりして非常に高い評価を得ているのは既に多くの方が知るところだと思います。
パイロットフィルムの製作資金をクラウドファウンディングで募集したことも話題になりました。余談ですが、自分もそのクラウドファウンディングをささやかながら支援しましたので、スタッフロールに名前があります。
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ところで、こうの史代さんの作風というか作家性みたいなものについて、どのようなイメージを持たれているでしょうか?
『この世界の片隅に』では、昭和18(1943)年〜昭和20(1945)年頃の広島・呉を舞台に、戦争と日常が地続きとなっている日々の暮らしが、ヒロイン・すずさんの想像力に彩られた視線によって描かれていました。もうひとつの代表作と言える『夕凪の街 桜の国』でも、広島が描かれています。
東日本大震災の被災地を訪ね歩く(訪ね飛ぶ?)絵物語風の『日の鳥』の存在とかも相俟って、日本への真摯なまなざしみたいなものを感じる向きもあるかもしれません。
そのようなイメージは間違っていないとは思うのですが、そこだけを見るのは片手落ちだろうな、というのが個人的な見解です。
こうの史代さんという方は、「マンガならではの表現技巧」といったものに非常に自覚的といいますか、それを強く意識したうえで作品を描いているという印象がある。
前述の『夕凪の街 桜の国』では「コマ割りと独白だけのページ」があったり、『この世界の片隅に』ではとある箇所から背景を利き手ではない左手で描くことで歪んでしまった「世界」を表現していたりします。
他にも、『長い道』という作品では普段とは違うペンを用いて作画したり、黒澤明監督の『天国と地獄』のように一部だけカラーを使用した作画を行ったりということもしていますね。違うペンを、ということでは、『ぼおるぺん古事記』ではタイトルからも判るようにボールペンで作画をしています(マンガ作品においてボールペンを使うのはかなり珍しい筈)。
(自分の知る限りでは)スクリーントーンをまったく使わない、というのも表現的な面での特徴かもしれませんね。
話がずいぶん逸れてしまいましたが、マンガならではの表現技巧に関心が深い(と思われる)こうの史代さんが、マンガ表現を題材にした作品が、『ギガタウン 漫符図譜』なのです。満を持しての、といった感がありますね。
作品タイトルにある「漫符」、意外と馴染みの薄い言葉かもしれません。漫符とは何か、という疑問については、書籍のカバー折り返しならびに帯に説明があります。
漫符とは🎵、💢、💦など漫画特有の表現記号のこと。
とあります。
因みに「漫符」という言葉の初出は竹熊健太郎さんと相原コージさんによる傑作『サルでも描けるまんが教室』とされており、そこでは以下のような解説が為されています。
漫符とは何か?一言で言うならそれは、感情や感覚を視覚化した、まんがならではの符号(記号)の事だ。文章における「!」や「?」に相当するものだが、漫符はその種類も多く非常に奥が深い。図を見ても解るように汗マークや湯気マークを描き加えただけで無機物・有機物を問わず泣いたり怒ったりするのだから恐ろしい。
(相原コージ・竹熊健太郎『サルまん サルでも描けるまんが教室21世紀愛蔵版』上巻35ページ。)
また、『ギガタウン 漫符図譜』のあとがきマンガでも言及されている「別冊宝島EX マンガの読み方」においては、マンガ特有の記号表現に「形喩」という言葉が用いられ、形喩の中でも「単独である程度の意味をなす」ものを「漫符」と呼んでいます。*1
あとがきマンガによりますと、こうの史代さんは「まんがが読めない人」との縁が多くあったとのことで、そういう方は読み方が判らないと仰ることが多いと。そしてその要因として、コマの流れ(の複雑化)と漫符(の簡略化に伴うほんらいの意味と現在の形状との乖離)を挙げています。
そこで、先程の帯に書いているように、漫符を採集すると共に1つずつ漫符の意味を解説し、用例として4コママンガを描いた訳ですね。採集された漫符の数は104。*2
1つ1つのマンガは独立した内容ですが世界観は統一されていて、国宝「鳥獣人物戯画」をモティーフにした動物たちが暮らす街(街並みは昭和の日本を思わせる情景)の日常が描かれます。「ギガタウン」とは巨大な街ではなく「戯画タウン」なのです。
実際の例を幾つか見てみましょう。
レイアウトは
でほぼ全ページが統一されています。
上で挙げたページの場合、少し見切れてしまいましたが、漫符「♫」について
①(一つだけの場合)機嫌が良いこと、ラクに何かをこなしている様子を表すことが多い。
②(複数の場合)実際に音楽が鳴っている様子を表すことが多い。
という説明が為されています。
そしてそれを理解したうえで左のマンガを読むと、ウサギの子がテストの問題を簡単に解いている様子が描かれている、というのが判るという訳です。
自分とかはずっとマンガを読み続けてきた故なのか、解説がなくても何となく雰囲気は読み取ることができます。しかしながら読み進めていくと、ぼんやりとした理解が言語化されることで明確になる、という事例が度々出てきて面白いですね。
そして説明された漫符が、あとのページで別の漫符と一緒に使われる、というケースも当然存在します。異なる意味を持つ複数の漫符を理解していくことで、様々な漫符を用いて表現される感情・雰囲気等を読み解くことができるようになっていく訳です。
(同書38ページ。)
ウサギがトランプのババ抜きをしている姿が描かれていますが、ジョーカーを引いてしまい衝撃を受けている様子・楽しげにババ抜きを続けている様子・相手がジョーカーを引いてくれず気落ちしている様子・楽しかった感情が冷え込んでいく様子・結局最後までジョーカーが残ってしまい憤りを露わにしている様子が、漫符を用いることで明確になっています。
そしてウサギの耳の横に描かれる5つの漫符は、これ以前のページにおいて既に解説が加えられているので、それを理解していれば(マンガを読めない、という方でも)ウサギの感情の変化を読み解くことが可能な訳です。*3
このように、100を超える漫符を使用したマンガの用例を読み進めていくことで、マンガじたいの読解力も養われていく、そういう読み物となっています。
そして先程から何度か言及しているあとがきマンガ「おしまいに」は、 読解の応用編と言える構成になっています。
(同書125ページ。)
漫符とは別に「効果」の採集がされています。漫符と異なり、それ単独では意味を持ちづらい形喩といったところでしょうか(脚注もご参照を)。
この6ページのあとがきマンガには、数々の漫符・効果がちりばめられています。是非1コマ1コマをじっくりと読み解いていって欲しい。マンガのさりげない描写にこれほどまでの意味・感情が込められているのか(描き手はさりげない描写にこれほどの意味・感情を込めているのか)と感嘆する筈です。
マンガ表現にご興味のある方は、是非ご一読を。
といったところで、本日はこのあたりにて。