マンガLOG収蔵庫

時折マンガの話をします。

山岸くんのこと

「錬金場」というサイトがあります。

 

ジャンル的に分類すると、マンガ・アニメ等のレビューサイト、感想系サイトといったところでしょうか。いちおう、自分のブログもそれに分類されますね。

「錬金場」は、『テニスの王子様』や『魔法先生ネギま!』の感想で知られたサイトです。現在はこういうサイトじたいがあまり読まれなくなっている傾向はあるかと思いますが、当時(10年くらい前)は超大手サイトだった、と言って差し支えないと思います。

 

そのサイトの管理人、山岸くん(@yamagishi)が、2018年12月13日に亡くなられました。そして17日に告別式が執り行われ、友人として参列してきました。

 

 

未だ言葉にならないような感情が、澱のように溜まっているのも感じますが、山岸くんのことを、初めてお会いした頃から現在までのことを、振り返ってみたいと思います。懐古的な背景にも触れていきますが、それも含めて、山岸くんの思い出です。

 

 

初めてお会いしたのは、恐らく2008年の後半か2009年初頭。今から10年くらい前になる。

しかしながら、それ以前から山岸くんのことは、「錬金場」というサイトのことは知っていた。2008年以前の自分は、まぁ今でもそうかもしれないが、所謂泡沫サイト管理人である。そしてこの時期(自分の感覚としては2006〜2010年くらい)は、情報収集の手段も今とは大きく異なっていた。

マンガやアニメに関する何らかの情報が欲しい場合は、それら情報に特化したニュースサイトに行ってリンク先を漁る、というのがメインだったかと思う。KKGという略称もあった頃だ(「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」の頭文字を取った略称)。

 

自分はゴルゴ31さんと、御三家以外だと痕跡症候群さんを良く拝見していた。情報の選び方とかサイトのレイアウトとかが、自分好みであった為だ。

そして日々選ばれる感想記事とかのリンク元として、毎日のように名前が出てくるサイトというのがある。そのひとつが「錬金場」だった。

 

先述のように、当時の「錬金場」のメインコンテンツとなっていたのは、『テニスの王子様』と『魔法先生ネギま!』だったと記憶している。自分の印象だと『テニスの王子様』のイメージが強い。そしてその文体からは、当時(恐らくは現在でも)マンガのレビュー・感想系のサイトではトップであろう「ヤマカム」の影響が色濃く伺えた。

 

とりわけ2007年3月〜2008年5月頃までの勢いはすごい。その1年3ヶ月ほどの期間だけで、500万アクセスを叩き出している。

その当時の山岸くんは、自分にとって雲の上の存在だった。

 

 

幸いにも、2008年7月頃から、自分のサイトも少しずつ、ニュースサイトに取り上げられることが増えてくる。そして時期を同じくして、マンガやアニメが好きな人たちが集まるオフ会とかにも少しずつ顔を出すようになった。コミケとかコミティアの時期に開催する、打ち上げ的な飲み会である。

はっきりとした時期は憶えていないが、山岸くんと初めてお会いしたのは、そんなオフ会のひとつであった。

 

 

山岸くんは、とにかく楽し気に話し掛けてくる人だった。

 「◯◯が面白いんですよ」「△△が□□する場面が、最高なんですよ!」といった具合に、常に満面の笑みを浮かべながら語り掛けてくる。語りかける相手を真っ直ぐに見据える両眼は、いつも爛々と輝いていた。

「山岸くんはこの作品がほんとうに、心の底から好きなんだな」というのが否応無しに伝わってくる。被せながらも訥々と言葉を重ねていく、人によっては圧さえ感じるかもしれないその語り口は、最近では珍しい「オタクの語り方」であったかもしれない。そしてそれを聞いている時間は、自分にとって非常に楽しいものであったと思う。

 

実のところ、自分と山岸くんの嗜好は、あまり被っていない。

それはマンガ・アニメ等のストーリー展開・絵柄どちらにも当てはまる。山岸くんが所蔵していたマンガと自分の蔵書を比較すると、驚くほどに被るものが少ない。

にも関わらず友誼を交わすことができたのは、やはり彼の人柄に拠るところが大きい。自分よりも山岸くんとの親交が深かった近代麻雀漫画生活の管理人・いのけんさん(@inoken0315)による「『善属性』の人間」という指摘は、正鵠を射るものだと思う。

 

近代麻雀漫画生活:漫画レビューサイト「錬金場」の山岸君との思い出

 

 

初めてお会いした際には、山岸くんはギリギリで学生だったか。もしかすると、社会人1年目くらいだったかもしれない。 

何らかのイベント等があり、その後の飲み会で戦利品の同人誌や、マンガやアニメの話に花を咲かせる。そういう楽しい時間が続いていた。

それに変化が出てきたのは、2011年か、2012年頃だろうか。彼は仕事に忙殺されるようになっていく。山岸くんは、「楽しい話をしていたい」という志向が非常に強い。そんな彼であっても、twitter から漏れ聞こえる彼の呟きは辛そうだった。終電は当たり前、深夜2時頃に帰宅して、5時か6時頃には家を出なければならない。そんな日々が続いているようだった。所謂社畜というやつであったのだろう。

「錬金場」のアーカイヴを見ると、2012年から更新が激減しているのが一目で判る。

 

 

そのような状況であっても、山岸くんはコミケやその後の飲み会には可能な限り参加をしていた。その際も、「マンガを読んだりアニメを観る時間がまったくないんですよ」「お金を使う暇が全然ないので、通帳の数字だけが増えていくんですよ」といった話をしていた。その際も、自虐的な笑いのネタとしてその話を披露していたのが、山岸くんらしいところだと感じる。

 

 

時期ははっきりしないが、類推するに2013年の夏頃だろうか。恒例となっていたオフ会で顔を合わせた際、「無理やり休み取って、ハワイに行ってきたんですよ!」と写真を見せてくれたことを記憶している。話を聞くと、かなり衝動的にチケットを取ったようだった。彼はいつものようにニコニコと笑いながら話してくれたが、その時期は相当に精神的に煮詰まっていたのだろうと思う。

ただ、これはひとつの転機であったのかもしれない。2014年頃から彼は、舞台探訪に勤しむようになる。

 

 

好きなマンガやアニメに登場した土地・モデルになった場所へ実際に赴く。それは、作品世界に没入し登場キャラクターに愛着を抱く山岸くんの「作品の読み方」にも寄り添った趣味であったと思う。

そして彼の舞台探訪の特徴は、国内外を問わず、どんなに遠くても当たり前のようにフラリと赴くことだった。『ご注文はうさぎですか?』のEDに登場する宿に泊まりにフランスへ行き、『ストライクウィッチーズ』で登場したイタリアへ、『艦隊これくしょん』に登場する戦艦を見にスミソニアン博物館へ...。

嘗ては感想・レビュー中心だった「錬金場」は、次第に舞台探訪へと軸足を移していった。

 

仕事のほうは変わらず多忙を極めていたようだったが、余裕を見つけては舞台探訪に赴くことで、ある程度は精神的にもバランスを取っていたのかもしれない。飲み会でお会いする際は変わらず楽しそうに話し掛けてくれた。

 

余談ながら、自分は接客業である。山岸くんは時折、自分の職場にも顔を出してくれた。「お久し振りです。××、ありますか?」「前、◯◯買いましたよ!」みたいな会話を何度か交わしたことも、懐かしく思い起こされる。

2017年3月に、突発的に京都旅行に行くことを決めてオススメの場所をtwitterで投げかけた際、すかさず近江神宮伏見稲荷を推してくれたのも山岸くんだった。それぞれ、『ちはやふる』『いなり、こんこん、恋いろは。』の舞台となる場所である。

 

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自分は業務形態の都合上、あまり長期の休みを取ることはできないが、それでも少しでも旅行に行くようになったのには、山岸くんに影響されたという面がある。

 

2017年9月には、上記リンク先記事にもあるように、いのけんさんの結婚パーティーにも出席している。自分も招待されて出席したのだが、「ウェディングケーキのツイート、めっちゃRTされてる!」と楽しそうに話し掛けてきたのを憶えている。

 

余談となるが、「RT数、過去最高?」と訊いてみたところ、「いや、シスプリの呼称のやつですね」という返事だった。

 

 

山岸くんの嗜好と人柄が、凝縮されたツイートでもあると思う。

 

 

 

そして2018年。

3月末、山岸くんから twitter のDMが届いた。

重い病気にかかってしまったこと、場合によっては長期入院することになるかもしれないこと、部屋の整理に協力して欲しいことが綴られていた。

病名は「骨髄異形成症候群」とのことだった。

 

丁度休みが合ったので、4月上旬に、ナデガタさん(@nadegata)と一緒に、山岸くんの家を初めて訪問した。

殆ど足の踏み場がない、マンガと雑誌のタワーが乱立している部屋だった。それは彼の人生の足跡そのものでもあるが、魔窟のような印象も受ける。自分たちの前日にも別の友人が片付けを進めていて、なおその状態である。

 

意を決して本を選別し、箱詰めを進めていく。床面積を増やすこと・導線を確保することを最優先で作業した。身体を捻りながら本のタワーを跨ぎ、僅かに露出している床に足を着ける。そんな状況だったのだ。「服を買いに行くための服がない」ではないが、ある程度スペースを広げないと片付けの作業もままならない、そんな状態だったのだ。

3時間くらいかけて、恐らく十数箱のダンボールに本を詰め込み、ある程度の導線を確保することができた。

その後、舞台探訪の写真を見せてもらったり、旅券を取る際のマイルの話を伺ったりする。「修行」とも称されるらしいマイル獲得のためのあれこれの話は、殆ど飛行機に乗ったことがない自分には不可解な世界であったが、非常に面白い内容だった。もっとたくさん聞いておくべきだったと、今更ながらに思う。

 

その数日後にも、本を売りに秋葉原まで行く際にご一緒した。ノートPCの購入も検討しているようだった。もし入院となった場合、長期になるだろうからノートPCが欲しい。しかしその病院はwi-fiが繋がっていないからどうするか...そういった話をした。

ネットが繋がらないと友人への連絡も難しくなるどころか時間潰しもままならないこと、長期入院となると当然旅行・舞台探訪にも行けなくなること。

表には出さないように努めていたが、やはり病への不安が重くのしかかっていることが窺えた。

 

 

それを振り払おうとするかのように、そして残された時間を楽しみ尽くそうとするかのように、山岸くんは旅行・舞台探訪に行きまくるようになる(病気のこと、その他諸々があり、2月頃には仕事は休職していたらしい)。

その成果はサイトからも窺い知れる。今年の「錬金場」は、恐らくここ7年くらいで最高頻度の更新を行っていた。 

 

 

最後にお会いしたのは、コミックマーケット94の2日目、2018年8月11日になる。

山岸くんは、個人としては恐らく初のサークル参加をしていた。偶然にもこの日が休みだったので、挨拶に行ったのだ。

頒布した同人誌は、もちろん舞台探訪本だ。

 

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杉浦綾乃セリフ探訪』。 サークル「錬金場」として、恐らく最初で最後の同人誌となる(同人誌じたいは、2冊目であったらしい)。

山岸くんにとって非常に大事な作品であった『ゆるゆり』の登場人物、杉浦綾乃が言っていたダジャレに使われた土地に実際に行く、という内容だ。

もちろん最初に行くのは、罰金バッキンガム宮殿である。国内外合わせて十数箇所の(ダジャレで用いられた)場所の紹介と、旅行に関する豆知識をまとめたコラムも収録されている。

 

サークルスペースで挨拶をした際、こんな感じの会話を交わしたことを記憶している。

 

「今期のアニメだと、『はたらく細胞』良いですね」

「あ!『はたらく細胞』、あれのおかげで僕の病気の説明がすごく楽になったんですよ。僕の身体の中にいる血小板ちゃんがすごく少なくなっている、って説明することができるようになったんです!」

「あぁ、なるほど」

「ただ、やっぱり病気のことがあるんで、純粋に『はたらく細胞』を楽しむのが難しいんですよ...」

 

 それに対して、「あぁ、そうか...そういう見方にならざるを得ないよね...」と、曖昧な返ししかできなかったことが、棘のように自分の心に残っている。

それから少し雑談をした後、「じゃぁ、また飲み会とか何かで」と挨拶を交わし、同人誌の御礼を一言添えてサークルスペースを離れた。

それが、最後の挨拶になってしまった。

 

 

11月25日。コミティアの日だった。

コミティア後の飲み会が開催され、その前に秋葉原に立ち寄った際、偶然いのけんさんと、飲み会に参加表明していたフランさん(@furan_skin)と鉢合わせた。

カフェで軽く喋ることになり、そこにトルドさん(@toldo13)が合流する。トルドさんもまた、自分以上に山岸くんと交流の深い漫画クラスタの一人である。

 

トルドさんは、山岸くんのお見舞いから戻ってきたところだった。

聞くところによると、診断を受けた際にすぐに入院が決まったらしい。殆ど何の準備もできないまま、ほんとうに急に決まったことだったようだ。後日知ることになるが、「急性骨髄性白血病」と診断されたとのことである。

 

twitter のログを読み返すと、恐らく19日に診断されたようだ。

彼は自分の辛い心境とかは、可能な限り表には出さなかったが、19日以降は苦しさが滲み出ているようなツイートが多い。

それでも入院後にブログ記事をアップしている。劇場版『中二病でも恋をしたい! -Take On Me-』の舞台探訪を完全制覇したことを報告する記事だ。最後の記事にして、通算999個目の記事となる。

そこには病の気配は微塵も感じられない。ネガティヴな感情を表に出さず、楽しいことを語っていたいという山岸くんの志向性は、生涯を貫いて徹底していた。

 

あと1回飛行機に乗ればマイルの大きな特典的なものが得られる筈で、それがなくなってしまったことにいちばんショックを受けていた、みたいな話をトルドさんから聞き、みんなで「山岸くんらしい」と納得して笑ったりしていた。

闘病アカウントも作っていて、後日それを教えてもらったりもした。

 

 

自分が闘病アカウントをフォローしたのは11月30日。いのけんさんはその日にお見舞いをしている。

その翌日、容態が急変したらしい。

脳卒中を起こし、そのまま昏睡状態に陥ったとの話だ。

 

そしてそれから約2週間後、12月13日の早朝に、山岸くんは旅立っていった。

 

 

 

山岸くんは、自分よりも遥かに年若い。にも関わらず、駆け抜けるように逝ってしまいました。

やり残したことも決して少なくない筈です。『ラブライブ!サンシャイン!!』の劇場版もまだ観ていない。まだ完結していない、好きなマンガもたくさんあった筈だ。舞台探訪だって、まだ行っていない箇所は数え切れないくらいあるだろう。

様々な思いが駆け巡るが、もう山岸くんには、何もしてあげることができない。それが辛く、悲しい。

 

山岸くんがいない日常は、これまでより少し寂しい。

しかしそれでも、自分の人生は続く。自分にできることは、山岸くんを憶えていることと、自分は自分で人生を満喫することだろうと思います。

 

それと直近の話として、遺された山岸くんの蔵書をどうするか、ということもあります。告別式の際に山岸くんのお母様とご挨拶する機会があったのですが、膨大な本をどうするか、呆然としていると苦笑しつつ話してくださいました。何らかのお手伝いをしてくれると助かる、とも。

 

しばらくの間は、山岸くんのことを忘れる暇はなさそうです。