こうの史代さんの新刊はマンガ表現を題材にしたマンガ。『ギガタウン 漫符図譜』
1月中旬のことになりますが、こうの史代さんの新刊『ギガタウン 漫符図譜』が発売されました。
こうの史代さんといえば、2016年11月に公開され、現時点(2018年3月)においてもロングラン上映が続く劇場版アニメーション『この世界の片隅に』の作者として知られているかと思います。原作も、マンガの歴史に燦然と輝く名作ですね。
アニメのほうも、興行的な面はもちろん、多数の賞を獲得したりして非常に高い評価を得ているのは既に多くの方が知るところだと思います。
パイロットフィルムの製作資金をクラウドファウンディングで募集したことも話題になりました。余談ですが、自分もそのクラウドファウンディングをささやかながら支援しましたので、スタッフロールに名前があります。
٩( 'ω' )و
ところで、こうの史代さんの作風というか作家性みたいなものについて、どのようなイメージを持たれているでしょうか?
『この世界の片隅に』では、昭和18(1943)年〜昭和20(1945)年頃の広島・呉を舞台に、戦争と日常が地続きとなっている日々の暮らしが、ヒロイン・すずさんの想像力に彩られた視線によって描かれていました。もうひとつの代表作と言える『夕凪の街 桜の国』でも、広島が描かれています。
東日本大震災の被災地を訪ね歩く(訪ね飛ぶ?)絵物語風の『日の鳥』の存在とかも相俟って、日本への真摯なまなざしみたいなものを感じる向きもあるかもしれません。
そのようなイメージは間違っていないとは思うのですが、そこだけを見るのは片手落ちだろうな、というのが個人的な見解です。
こうの史代さんという方は、「マンガならではの表現技巧」といったものに非常に自覚的といいますか、それを強く意識したうえで作品を描いているという印象がある。
前述の『夕凪の街 桜の国』では「コマ割りと独白だけのページ」があったり、『この世界の片隅に』ではとある箇所から背景を利き手ではない左手で描くことで歪んでしまった「世界」を表現していたりします。
他にも、『長い道』という作品では普段とは違うペンを用いて作画したり、黒澤明監督の『天国と地獄』のように一部だけカラーを使用した作画を行ったりということもしていますね。違うペンを、ということでは、『ぼおるぺん古事記』ではタイトルからも判るようにボールペンで作画をしています(マンガ作品においてボールペンを使うのはかなり珍しい筈)。
(自分の知る限りでは)スクリーントーンをまったく使わない、というのも表現的な面での特徴かもしれませんね。
続きを読む
「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」簡易レポ
1月6日〜2月4日にかけて、上野の森美術館で「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」が開催されています。
生賴範義氏については、知っている方は自分より遥かに詳しいかと思いますし、名前を知らないという方も、ほぼ間違いなく一度はどこかで作品を目にしたことがあるのではないかと思います。
自分の場合は、お名前を意識したのは比較的最近ですが、最初に接した作品は何かと思い返してみると、光栄(現コーエーテクモゲームス)が出したファミコン版『蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン』や「ヤング・インディ・ジョーンズ」シリーズのノベライズ版表紙イラストになります。
ゲームの分野では光栄・コーエーのSLG(『信長の野望』『三国志』シリーズや『大航海時代』『ランペルール』etc)のパッケージ、映画にハマれば『スター・ウォーズ』『ゴジラ』に『EAST MEETS WEST』のイラスト、SFを読み始めたら『銀河パトロール隊』に最近kindleで購入した『ハイペリオン』シリーズの表紙、マンガを読み始めた流れで大伴昌司の大図解シリーズ良いねと思ったら実はそこにも多数のイラストを提供している...と、緩くではありますが何らかのかたちで生賴範義氏の作品には接し続けてきている訳です。
2014年に宮崎で開催された展覧会「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」(今回上野の森美術館で開催されているのはこれの巡回展というかたちになります)を機に本格的な再評価が始まった、という印象があります。同年には久しぶりの新作画集『緑色の宇宙』も刊行されています。
翌年の「生賴範義展 II 記憶の回廊」開催直後、2015年10月に、生賴範義氏は永眠されたのですが、「記憶の回廊」以降の図録は amazon でも販売されていて、長らく絶版・プレミア化が続きまとまったかたちで氏の作品に接することが難しかった状況は劇的に改善されてきています。
生?範義? THE LAST ODYSSEY 1985‐2015
- 作者: 生頼範義
- 出版社/メーカー: 宮崎文化本舗
- 発売日: 2016/12/03
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
とは言えやはり現物をこの目で見てみたい、宮崎は些か遠い...という状態が続いていたため、今回の巡回展は非常に楽しみにしていた訳です。
前置きが長くなりましたが、ようやく昨日行くことができたので簡易レポを書いておきます。
続きを読む
謹賀新年+α
明けましておめでとうございます。
昨年は、と言ってもここ数年ずっとではありますが、仕事のほうが何かと忙しく、数ヶ月更新が滞ることも珍しくないという状態でした。そのため、最新記事が『黄昏流星群』のやつになってしまいトップページに延々とおっさん達の画像が並び続けるという状況と相成ってしまいました。
あと個人的に印象深かったのは、自分の過去記事がコンビニ本に雑なかたちで剽窃されたっぽいという珍事ですね。
今年の目標としては、まぁささやかではありますが、昨年よりは更新頻度を上げていきたいですね。相変わらずマンガは読み続けていますし、いろいろ感想を書いてみたいものも増えてはきていますので。
昨日(12月31日)は実に久しぶりに冬コミ3日目への参加が叶い、評論系を中心に同人誌を買い込んだりもしたので、それらも含めたアウトプットをしていきたいな、とは思っています。
(購入・或いは献本戴いた同人誌。)
今年もよろしくお願いいたします。
神々の黄昏
まずはこちらの画像をご覧ください。
先日、『黄昏流星群』の尖り気味なエピソードを幾つかご紹介する記事を書きました。
その際ちょっと言及するのを忘れてしまったのですが、『黄昏流星群』には人ならざる存在が唐突に登場するエピソードが少なからず存在するのですね。上記リンク先だと「星鵠を射る」がそれに該当します。
そしてそのような、人ならざる存在をまとめたものが、上の画像となる訳です。
٩( 'ω' )و
幾つか漏れがあるような気もしますが、その点はご容赦戴ければと。
この「人ならざるもの」を大雑把に分類すると、以下のようになるかと思います。
①:天使
②:悪魔
③:神様
④:幽霊・幽体
⑤:地球外生命体
⑥:サンタクロース
⑦:インキュバス君
⑧:その他
どのキャラクターがどれに分類されるのか、当てて見るのも面白いかもしれませんね。
ヒント?を幾つか挙げておきます。
1:天使は4人
2:悪魔は2人
3:神様は2人
4:幽霊・幽体は6人
5:地球外生命体は1人
6:天使の1人の名前はレオナルド
7:4人の天使のうち、2人は複数回登場する
8:①〜③のうち、おでんと関わりがあるのが2人
どうしても判らない場合は、実際にご覧戴くのがよろしいかと。
人ならざる存在が紡ぎ出す物語、つまり神々の黄昏を、是非ご堪能ください。
といったところで、本日はこのあたりにて。
『映画大好きポンポさん』をもっと愉しめるようになる映画を3つ挙げる
先日、『映画大好きポンポさん』の書籍版が発売されました。
この作品は、最初は pixiv で公開された作品です。
これが非常に話題となり、気がつけば書籍化という流れ。
現在も無料で全編読めますので、気になった方はまずこちらを読んでみるのも良いかと思います。因みに書籍版との違いは、6つのチャプターに分けられている点・CHAPTER.1〜5の末尾にコラムが合計7つ収録されている点・巻末描き下ろしマンガといったところです。何れも(実在の)映画に関する内容となっています。こちらも読物として面白い内容となっていますので、興味のある方は是非手にして欲しいと思います。
ポンポさんは映画のプロデューサー。数多くのヒット作を送り出した伝説的プロデューサー、J・D・ペーターゼンの孫であり、そのコネクションと共に映画人としての才能も引き継いだ、銀幕の申し子と呼ばれる存在です(しかしながら、ポンポさんが製作する映画はB級娯楽作品が中心)。
彼女のアシスタントとして働くジーン・フィニは、映画以外の居場所がないような青年です。学生の頃はカースト最下層に位置し、そこから逃げるように映画だけを観続けていた、そして映画監督になることを唯一の夢としてペーターゼンフィルム社に飛び込んでいった、そんな青年です。
ある日、ポンポさんの次の企画のオーディションに、未だ女優志望という段階の少女、ナタリー・ウッドワードが参加します。そしてそこから物語は大きく動き始めます。
あとは実際に読んで戴くとして、この作品のキモはやはり、妥協や打算を極限まで排除して創作に興じる狂気にも似た情熱・それがもたらす愉悦と快楽を描いている点にあるのだろうと思う訳です。それ故に、それを知っている人・或いはそれに憧憬を抱く人の感情を揺さぶるのだろうと。
そして作中やコラム類で言及される(実際の)映画の数々。これもまた非常に魅力的なのです。作者の杉谷庄吾さんの映画愛・映画に対しての持論・価値観が行間からにじみ出てくるといいますか。
映画が好きなら、更に読んでいて愉しくなるのではないかと思います。この作品のキャラクターが登場する際、プロフィールと共にそのキャラクターが好きな映画が3つずつ挙げられるのですが、自分が観たことのある作品タイトルがあるとニヤリとしてしまいますよね。
ということで、ちょっと映画の話をします。
タイトルにも挙げたように、『映画大好きポンポさん』をもっと愉しめるようになる、と個人的に考える作品です。以下、内容にも少なからず触れるので未読の方はとりあえず pixiv のほうを読んでおくのが良いかと思います。
この作品中に、「マイスター」という映画が出てきます。
ポンポさんが脚本を書いた作品で、大雑把に内容をまとめると「天才指揮者が老いや焦りから失態を演じてしまい音楽への情熱も失ってしまうが、休養で訪れたアルプスで出会った少女との交流から次第に情熱を取り戻し復活を遂げる」というものです。
この「マイスター」に影響を与えているのではないか、と勝手に推測する3作品を挙げてみよう、という訳です。まぁ、あくまで自分が勝手に予想しているだけなので全然関係ないのかもしれないのですが、的外れなこと言っているよと嗤って戴ければと。
1:『サウンド・オブ・ミュージック』
サウンド・オブ・ミュージック 製作50周年記念版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2015/05/02
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (2件) を見る
アルプスと言えばこれだろう!ということでまずは1本目、『サウンド・オブ・ミュージック』です。アカデミー賞も受賞している名作なので、詳細は省きます。ミュージカルは苦手で...という方もいるかもしれませんが、これは観て損はないと思います。雄大なアルプスの描写に目を奪われますよ。パッケージとかだとイメージが付きにくいかもしれませんが、第二次世界大戦直前、ナチスが台頭してきた時期のオーストリアを舞台にした、実話を基にした重厚な歴史ドラマでもあるのですよね。
まぁ、上映時間が3時間近いので、ポンポさん好みではないかもしれませんが。
(^ω^)
2:『殺人幻想曲』
指揮者が主役ならこれかな、と。不穏なタイトルですがコメディ映画です。
監督のプレストン・スタージェスは1940年代に活躍した映画監督・脚本家です。スクリューボール・コメディと呼ばれる、一癖ある男女がぶつかりあいながら最後は結ばれるような作品を主に手掛けています。この作品は公開当時は不評でしたが、現在は(たぶん)代表作のひとつに挙げられているのではないかな、と。
高名な指揮者が妻の不貞を疑うようになり、いろいろ報告を受けるうちにそれを確信するようになるのですね。そして妻の殺害方法とかを妄想しながら指揮棒を振ったりするのですが、その精神状況が如実に指揮に影響する様子が可笑しいのですな。妄想で殺害を企てて昂りまくっているときに鬼気迫る指揮をして絶賛の嵐を受けたり、とか。
3:『ブルグ劇場』
あくまで個人的な予想ですが、この作品は「マイスター」の骨格となっている。
1936年の作品となります。
主役となるのは舞台の老名優です。ある時、この俳優は「若さがなくなった」という批評を受け、そのショックが元で舞台を休むようになるのですね。そして休業中に街で見掛けた若い女性に一目惚れしてしまい、彼女が勤める店に足繁く通い始めるのですが、彼女には駆け出しの舞台俳優である恋人がいて...という筋立て。
そして幾人もの登場人物の思惑・感情が錯綜していく訳ですが、最後に老優は舞台への情熱を取り戻し復帰を果たすのです。
職業の違いはあれど、「マイスター」と『ブルグ劇場』、構成が非常に近いのが判るかと思います。
そしてこの「マイスター」についてジーンが言及するくだり、
冒頭とラストにある
オーケストラの
演奏シーン
ダルベールの
心の有り様で
同じ曲が
全く別物になるよう
工夫された演出......
うまい!
としか
言いようが無い
(杉谷庄吾【人間プラモ】『映画大好きポンポさん』87ページ。)
『ブルグ劇場』もほぼ同じ演出なのですよ。
『ブルグ劇場』では舞台俳優なので演奏ではなく戯曲になります。冒頭とラストで、『ファウスト』が演じられるのですね。共に同じ場面。しかしながら演出と演技の妙で、まったくの別物に見えてしまう。観たのはずいぶん前ですが、非常に驚いたことを記憶しています。 たぶん、「マイスター」の脚本を読んだときのジーンに近い感情だったと思う。
と、3作品挙げてみました。
実際に影響があったのかどうかはともかく、何れの作品も名作だと思いますので、ご興味のある方は一度ご覧になってみるのも悪くないのでは、と思います。
といったところで、本日はこのあたりにて。
あなたの知らない黄昏流星群
四十歳を越え
多くの大人達は、
死ぬまでに
もう一度、
燃えるような
恋をしてみたいと
考える
それはあたかも
黄昏の空に
飛びこんでくる
流星のように、
最後の輝きと
なるかもしれない。
この熱い気持ちを
胸に秘めつつ、
落ち着かない日々を
送る大人達を
我々は......
黄昏流星群
と呼ぶ−
(弘兼憲史『黄昏流星群』1巻5ページ。)
皆様ご存知『黄昏流星群』の、記念すべき第1話冒頭を飾る台詞です。(^ω^)
説明するまでもないかもしれませんが、40代以上の男女の恋愛模様を題材とした連作集となります。熟年の性についてかなり踏み込んだ描写が為されているのが特徴と言えるかと。
40代以上とは書きましたが、実際には60代前後が中心という印象もありますね。中には80代が登場するエピソードもあります。その年代の男女の交わりが、性行為も含め実にねっとりと、生々しく描かれているので、「あぁ、爺さん婆さんがやってるやつね」くらいの認識で遠ざけている、或いは流し読み程度という方も少なからずいるのではないかと思う訳です。
しかしながら『黄昏流星群』はそれだけではない。
継続して読んでいる方は気付いているかもしれませんが、この作品群の中には時折、溜まった澱が吹き出したかのような、無闇に尖ったエピソードが描かれたりするのですね。
かなり前から、そういうエピソードがあることを知り合いに教えていたりしたのですが、かくいう自分自身時折つまみ読みしている程度だし、知らない作品はまだ存在する筈だ。そう思ったので、
50巻まで読みました。٩( 'ω' )و
そして読んでいくと、やはり味のあるエピソードがいろいろ見つかりますし、それ以外にも弘兼憲史さんの指向というか傾向というか、そういうものが朧げに見えてきたりするのですね。
ということで、独断で選ぶ『黄昏流星群』のお薦めエピソードを幾つか挙げていきます。最初は軽めの入門編的なものから、次第に濃くしていく予定です。
以下、少なからず内容に言及しますので、「俺はまっさらな気持ちで『黄昏流星群』に向き合いたいのだ!」という方はご注意ください。
続きを読む
過去記事がコンビニ本に勝手に使われていたうえ、雑なコピペが原因で恥ずかしい文章になっていた
昨晩 twitter のTLに、このようなツイートが RTで流れてきました。
御田鍬先生、激怒案件!! pic.twitter.com/IxY1bDte3H
— きゃの十三 (@kyano13neo) 2017年8月13日
添付されている写真から判断すると、水木しげるセンセイ作品にこのような元ネタが...的な本らしいというのが判ります。そして恐らくはツッコミどころ満載な内容なのだろうという予測もできる。
自分も水木センセイファンの端くれとして、どれどれどのような内容か...と写真を拝見してみたところ、2枚目の写真に既視感を感じたのです。
はて、この写真下部にある文章どこかで...と思った訳ですが、
俺の過去記事だ ٩( 'ω' )و
まぁ偶然かもしれない。
これは比較検証してみる必要があるだろう、と思いましたので、
買ってきました。(^ω^ )
鉄人社から出ている、『人気マンガ・アニメの怖い元ネタ』という本になります。いわゆるコンビニ本というやつですね。
「この作品には実はこのような元ネタが...」というのを集めた内容となっています。
冒頭のツイートにあった該当箇所は、「第四章 あの名作の知られざるネタ元」の最初を飾る、「水木しげるが生んだすごい妖怪たちの元ネタ」という項になります。126〜129ページがその項にあたります。
そして既視感を感じた文章は以下のくだりになります。
そもそも、水木しげるは元ネタが多い作風で有名だった。
たとえば、「鬼太郎のベトナム戦記のラストシーンはプドフキン監督の映画「母」を参考にしたものだし、戦争マンガの傑作「幽霊艦長」のエンディングは、1958年の映画「灰とダイヤモンド」と同じだ。「ゲゲゲの鬼太郎」だけでなく、様々なソースから引用をしているわけだ。
(『人気マンガ・アニメの怖い元ネタ』128ページ。)
実はこの引用箇所じたいにかなり恥ずかしい間違いがあったりするのですが、それに関しては追って触れます。
では、自分の過去記事を参照してみることにします。
4年ほど前に書いたものになりますね。
詳細はリンク先をご参照戴ければと思いますが、該当箇所を引用しておきます。
水木センセイの作品には少なからず元ネタがある、というのはそれなりに有名な話です。これは何も妖怪絵に限った話ではないのですね。実例を挙げてみましょう。
この画像は、『白い旗』という作品のクライマックスです。水木センセイは戦記マンガも多数描かれていますが、数ある作品の中でも有名な、戦記ものの代表作のひとつと言えるでしょう。
硫黄島での玉砕で僅かに生き残った部下の命を救うため、砲弾が飛び交う中でひたすらに白旗を降り続けた隊長が、一人残らず死に絶えるまで抗戦するべしと考える別の日本軍将校の命令で射殺されてしまう場面。戦争の理不尽・無意味さが淡々と、しかし静かに燃えるように描かれる名編です。
そしてこの場面の元ネタがこちら。
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2012/08/25
- メディア: DVD
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
ポーランド映画界の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督の代表作『灰とダイヤモンド』。
第二次大戦後のポーランドのレジスタンスグループの対立(自由主義側とソ連側)を背景に、テロリズムに走ることになる青年の悲劇を描いた名作です。そのラストシーンが、上の画像です。
これ以外にも、『鬼太郎のベトナム戦記』のラストシーンは、旧ソ連を代表する映画監督の一人、フセヴォロド・プドフキン監督の代表作『母』が元ネタだったりもしますね。
- 出版社/メーカー: アイ・ヴィ・シー
- 発売日: 2005/12/22
- メディア: DVD
- この商品を含むブログ (1件) を見る
やはり俺の過去記事を元に書いている、と思わざるを得ないですな。٩( 'ω' )و
先ほど触れた「かなり恥ずかしい間違い」も傍証のひとつとなっています。『灰とダイヤモンド』のラストシーンを元にしている作品、『幽霊艦長』じゃないんですよ。『白い旗』です。
自分の過去記事の引用箇所、ちょっと説明不足だったかもしれませんが、『白い旗』という作品は、ちくま文庫版『幽霊艦長』に収録されている短編のひとつなのですね。戦記マンガを集めた短編集なのですが、タイトルとなったのはその中のひとつ『幽霊艦長』であるということです。
なので引用した画像の出典には「水木しげる『幽霊艦長』ちくま文庫版、287ページ。」と書いた訳です。
しかしながら『人気マンガ・アニメの〜』の執筆者氏はそれに気付かず、出典箇所のみ読んで『幽霊艦長』のラストシーンの元ネタが『灰とダイヤモンド』だと判断してしまった模様。
画像の直後に「この画像は、『白い旗』という作品のクライマックスです。」と書いたのですが、どうやら伝わらなかったようで、自らの説明力不足を嘆かねばならないのでありましょう。
まぁ、『幽霊艦長』ならびに『白い旗』をちゃんと読んでいれば、間違えようがない筈なのですが。
(^ω^ )
『人気マンガ・アニメの怖い元ネタ』には元ネタ(自分の過去記事)が存在して、且つそれを誤読して勘違いをしたまま出版するという、体を張ったギャグなのかなと感じた次第です。
他の箇所はどうなのかも気になるところではありますね。
といったところで、本日はこのあたりにて。
『約束のネバーランド』における認識番号の法則
『約束のネバーランド』、面白いですね。
孤児院のグレイス・フィールドハウスで幸せに暮らす38人の子供たち。しかしある日、最年長のエマとノーマンの二人は、孤児院の隠された目的を知ることになり...というくだりから始まる物語です。
第1話が公開された際もその衝撃的な展開が話題になったと記憶していますし、最近だと、自分は未見なのですが「アメトーーク」でも紹介されて絶賛されていたとか何とか。
そして今月、最新巻となる4巻が発売されたのですが、帯折り返し部分に、原作者の白井カイウさんによるコメントが書かれていました。こちらになります。
ここで個人的に気になったのが、
①首筋のナンバーの法則?の
ほぼ答えみたいなヒントが
本巻本編のどこかにあります
というくだりです。
首筋のナンバーというのは、孤児院の子供たち全員の首筋に刻印されている認識番号のことです。第1話の冒頭で出てきますね。
(白井カイウ・出水ぽすか『約束のネバーランド』1巻15ページ。)
こんな感じ。
幸せな暮らしでありながら、何かが歪であることを示す演出にもなっています。
この認識番号、何か法則みたいなのはあるのかなと漠然と思っていた訳ですが、やはりあるらしい。
という訳で、ちょっと調べてみることにしました。
以下、ある程度は作中の内容にも触れるので未読の方はご注意を。
狂気を創り出すコマ割り:『ヒストリエ』10巻におけるアレクサンドロスの描写について
先日、待ちに待った『ヒストリエ』の新刊が発売されました。
- 作者: 岩明均
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/03/23
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (11件) を見る
9巻が出たのが2015年の5月なので、1年10ヶ月ぶりになりますか。
この巻では、前半は9巻において戦端が開かれた、マケドニア軍とアテネ・テーベ連合軍によるギリシア地方覇権を決する戦争(カイロネイアの戦い)の顛末が、後半ではマケドニア王・フィリッポスや重臣アンティパトロスの目論見により政治・軍事の世界に否応なく巻き込まれていくエウメネスが描かれます。
既に何度か繰り返し読んでいる訳ですが、ほんとうに素晴らしいの一言に尽きますね。様々な思惑が複雑に絡み合いつつ、広がりを見せていくストーリー、引き込まれます。既に次の巻が待ち遠しいですね。
で、先程前半ではカイロネイアの戦いが描かれる旨を書きましたが、そこで描かれるのは、この戦いで初陣を飾ったアレクサンドロスの姿です。後の英雄・アレクサンドロス3世ですね。
そしてアレクサンドロスの描かれ方ですが、天才性を持つと同時に只ならぬ狂気を孕んだ存在として描写されます。父であるフィリッポスをして「ヤツは病気だ」*1と言わしめるほどの。
ほんの僅か先の未来が「見える」という神懸かり、それに基づく常識では思いも寄らない行動、まったくもって異質な価値観・言動。アテネの兵隊が「白っぽい小柄のバケモノ」*2と認識してしまう異様な存在として描かれるのですね。
で、その異様さ・狂気を、マンガの特性といいますか、構造を巧みに利用して表現している箇所がありまして、それが非常に面白いなと思ったので軽く触れてみます。
既読の方はもうお判りかもしれませんが、こちらになります。
敵陣の切れ目を突き抜いて単騎でアテネ軍の背後に回ったアレクサンドロスは、敵の隊列を掻き乱すこと「のみ」を目的として、背後をテーベ軍側へと駆け抜けながら敵兵の首を次々に「撫で斬り」していきます。そして手持ちの剣がすべて使い物にならなくなると見るや、馬から降りて先程切り捨てて首から下だけになった兵隊のもとへ悠然と歩いていき、淡々とその亡骸の装備を外し、剣を調達していくのですね。
呆気に取られ、或いは理解不能な恐怖で身動き一つできずにいるアテネ兵を前に、アレクサンドロスは自らの武人としての心得・持論を滔々と展開し始めるのです。それが上のコマになる訳です。
このコマ、ぱっと見では明らかに違和感があります。何かに憑かれたかのような、正気ではないような印象を受ける。
しかしながらこれは、マンガならではの表現であると共に、読む側が狂気を勝手に見出してしまっているとも言える訳ですね。
これは、2つのコマを別々に見ると判ります。
それぞれのコマを単体で見ると、特に違和感を感じるものではないことが判るかと思います。ほんらいこの2つのコマは別個の存在といいますか、僅かではありますが異なる時間のコマなのですね。
また、描かれてはいない箇所を推測するかたちにはなりますが、恐らくそれぞれのコマ、描かれていない目の向きは、描かれているそれとほぼ同じ向きになっている。顔の左側が描かれているコマの右目は左側に寄り気味の筈ですし、同様に右側が描かれているコマの左目は下向きになっている筈なのです。
しかしながら、この別個のコマが左右に並ぶことで、読む側がこの2つの顔を1つの顔として捉えてしまう訳です。結果として、左右の目が異なる方向を向いていて且つ口許が中途半端に歪んでいるかのような、非常に違和感の強い、狂気を孕んだかのような顔として認識してしまう。非常に巧い演出だなぁと感じました。
複数のコマを繋げることで異なる意味が生じる、っていうのは、映画でいうモンタージュ理論っぽいところがありますね。それでいて、連続している僅かな時間の、特定の箇所を切り取って同じ面に並べて描くというのはマンガならではかもしれないなと思いました。
と、まぁそんなことを考え連ねていた訳ですが、そういったことを特に気にせずとも『ヒストリエ』は最高の面白さなので、まだ読んでいない方は是非ご一読を。2ヶ月に1冊くらいのペースでも、次の新刊が出る頃には恐らく追いつく筈です。
といったところで、本日はこのあたりにて。